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新卒で入ったブラック企業で上司が蒸発し自殺未遂した話

私がピッチピチの20歳で入社した会社は漆黒の闇に包まれておりましたのでその話。

書いているうちに思ったより重い話になってしまいましたが……覚書として残しておきます。​

顔の黒い先輩デザイナーたち

リフォーム事業が主な某ベンチャー企業で、社員は10名程度。WEB系の専門学校を卒業した私は特にデザインでやりたいこともなく、担当教師の勧めで流されるままその会社へと入社しました。

 そもそも初めてオフィスへ訪問した際、私とすれ違いに退社する先輩女性デザイナーが顔色真っ黒&超絶体調が悪そうで焦点の合わない目をしていた時点から気づくべきだったと今となっては思います。

彼女はその会社に10年務めましたが、あまりの激務で神経をやっており最後は真っ直ぐ歩くこともできなくなっていたとを後から聞きました。

しかし、キャピキャピざかりですべてが不安と期待でドキドキのハタチの私にはそんなことはわからず……男性ばかりの会社の中で新卒の若い女の子ということもあり入社後はチッヤホヤでWEBデザイナーとして社内運営のECサイトの管理とデザイン周りを任されておりました。今考えればそのチヤホヤも「こいつこんなとこに入ってきちまって大丈夫か?」という心配ゆえのことだったのでしょう。

 社内のデザイナーは私と、一応上司に当たるSさんという30代の先輩デザイナー男性の2名のみ。彼もまた私とすれ違いに辞めたデザイナーと同じく10年務めており、顔色も同じく黒く、10分ごとにタバコを吸いに席を立たなければやっていけないくらい常にゲッソリとしていました。

新卒の若すぎる私とどう接していけばいいのかわからない様子で、入社当初は色々と教えようとしてくれていましたが3ヶ月ほど経つと自身の激務でそんな余裕は無くなり、まともに話すこともなくなりました。

私が朝早く出社すると、デスクで突っ伏して意識を手放している顔の真っ黒な男性がよくいましたが、それが会社に泊まって作業していたSさんだと認識するのは少し時間がかかりました。彼は常に何かの業務に追われており、デザイナーとしてはままあることかもしれませんが毎日の重残業は当たり前でした。

人は限界を迎えると顔色が青でも紫でもなく黒になるということを私はここで学んだのです。

飽きっぽい社長

この会社で非常に厄介だったのは社長の存在でした。

「唯我独尊」の言葉の化身のような40代後半男性で、非常に飽きっぽく、一週間に一回自身の会社のロゴを変更したがるような困ったオジサンでした。

 デスクで作業をしているとフラリと社長がやってきて「こないだのコレ、やっぱりなんか違ったからこんな感じでに変えてくれない?」と色々とぐちゃぐちゃ書かれたメモと共に指示してくるのがセオリーで、そのメモが解読できないので詳しくヒアリングするとこうでもないああでもないと自身のメモを否定し「やっぱりこうで!」と最後は全く違った指示に変わります

それも意味がよくわからないがまぁこういうことだろうとデザインし直しているとまた途中でデスクにやってきて「やっぱりさっきのこうしようかなぁ!」とまた違う指示に変わるのです。いくらヒアリングし直しても結論どうしたいのか言語化できず、聞くたびに気分で指示が全く変わる。彼の頭の中では完成形があるのだがそれを上手く言葉にできず、それも5分足らずで飽きてしまうのでまた別のものにしたがる……その繰り返しでした。

 何度デザインをやり直しても結局使うことはなく、奇跡的に採用されても数日後には「やっぱり違った」とぐちゃぐちゃ書かれたメモを渡してくる……社長が運転する車に乗ったことが一度だけありますが、自分の走っている道にすぐ飽きてしまうのか無限車線変更の繰り返しでとても恐怖を覚えました。

 まぁ、そんな感じで今考えるとデザイナーにとって最悪な相手だったなと感じるのです。明確な指示もないまま「俺が納得する何かを具現化しろ!」と言ってくるのですから。

来ないで欲しい明日、酒びたりの日々

そうして入社後から半年も経たないうちに私も就業時間から大きく時が経つまで帰れない状態になりました。定時が17時だとしたら毎日23時すぎまで会社にいる状態で、社長が出す無理難題をやりつつ、通常業務をさばいて行く日々。

リフォームがメインの会社なので、デザイン納期が迫っているのに突然現場見学に連れ出されたり、休日も現場の写真を撮影しろと指示が来るので休みを返上して稼働。しかし現場ではドカタのオジサマたちに「邪魔だ!」「勝手に撮るな!帰れ!」と怒鳴られる。そして多忙の中全く興味のない家電製品を勉強して覚えなくてはならない……。そんな日々の中で少しずつ私の精神は削られていきました

そうなると進められる仕事も上手く進まなくなりさらに悪循環が生まれる中、社長を介してどんどんタスクは膨らんでいく。スケジュール管理のやり方も一切教わっていないまま帰りの電車の終電ギリギリダッシュする日が増えていったのです。

 新卒にも関わらずそんな日常で会社に頼れる人もおらず毎日不安なまま病んで行く精神状態。ほぼ毎日終電で帰ってくると私はいつの間にか毎日ワイン1瓶飲み干し気絶するように眠るしか明日を迎えられなくなっていました。

コンビニで300円くらいのワイン。母親と同居していたためバレないように布団の中で毎日ラッパ飲みしていました。ワインを飲んでいる間は明日のことを考えることはなく、ワインが無くなるまでは頭がバカになって自由な気持ちでいれたのです。

 たまにある貴重な休みの日はもっと酷く、とにかく平日のことを忘れたい一心で友人と記憶が無くなるまで飲み明かし、早朝の新宿のド真ん中で朦朧としながら道に昨晩飲んだ酒を吐きまくって帰りました。友人と会わない日は自室で一人ワインやビールを飲めるだけ飲んで朝起きると部屋の絨毯全部ゲロまみれだったことも。若かったのでいくら無茶して飲んでも次の日仕事できてましたが、かなり危険な状態だったと思います。

上司、突然の蒸発

そんな生活の中、それはある朝のこと。まだ誰もいない早朝のオフィスで、極限まで散らかったSさんのデスクになんとなくいつもと様子が違う違和感を覚えた私は、PCの画面に張り付く蛍光色の付箋に気づきました。

『10年間お世話になりました!!』殴り書きでそう書かれていた文字に気づいた瞬間ゾッとしたと同時に、「やはりダメだったか……」そう呟いていました。

 施工現場を仕切るような業務もしていたSさんは、この一件の前夜、かなりのミスを犯してしまったことに対して非常に焦燥し落ち込んでいました。リフォーム系のため、機材や施工のことでミスが起こるとかなりの単位での損害が出てしまいます。

本当は駄目ですが近くのコンビニで買った缶ビールを飲みつつ、他に誰もいない暗いオフィスでどうすればいいのか動けなくなっていたSさんに先に仕事を上がる旨を伝えると、「お疲れ様」と死にそうに笑った顔が今でも脳裏に蘇ってきます

 結論から言うと、重大なミスを犯してしまったことで色々と限界が来てしまったようでした。ミスを犯したことなどバレないわけがないのにバレないようにその案件に関する資料やメールを破棄し、翌日から行方不明となったのです。他の社員たちが何やってんだと怒りを現わにする中、彼の連日の激務を知っていた私は「もう正常な判断ができなくなってたんだなぁ」と朧げに思いました。

Sさんの蒸発を知った社長はもちろん激怒。10年間働いてくれた恩など何処吹く風で「アイツを警察に突き出す」と鼻息荒く行方を追っておりました。

その日からまた地獄

Sさんの蒸発から数時間後、本当の地獄がスタートしました。

まずは鳴り止まない電話。様々な案件と現場を抱えていたSさんが誰にも言わず消えたので当日行う施工や進んでいた案件等の関係者が一斉に電話をかけてきたのです。

社員が少ない会社なので迅速な処理に手が回らず、オフィスに来た電話に取るのは何も知らない新卒のハタチの女。「テメェ今から殺しに行ってやるからな!!」激怒を超越した怖いオジサンたちにリアルに何度も電話口でそう言われました。なぜ怒られているのかわからず何度も怖い電話に出てはまだ敬語もままならない新卒が泣きながら謝る。まさに地獄。

 その後もSさんの抱えていたものの処理で自分の仕事も十分にできない状態でさらに精神は削られ、上司蒸発から一ヶ月で限界が来ました

無理やり退く選択肢

激務と毎晩のワインがぶ飲みで体も心も限界だった私は、家では食事もできなくなり、出勤時は涙が止まらず、勤務中も理由なく体が震え、一時間に一回オフィスのトイレで必死に過呼吸を抑えるような状態でした。このままでは自身が壊れることを恐れ退職届を書きましたが激務につき渡す人も渡す時間もわからなくなり、必死で調べた結果、精神科で診断書を書いてもらいそれを一緒に会社に送り無理やり退職をする決意をしました

めちゃくちゃ会社に迷惑がかかることだとわかっていましたが、もう自分以外に誰も自分を守れないことがわかっていたので、異常な日常と精神状態の中での最後の正常な判断だったと今では思います。

精神科からの歩道橋ダイブ

そうして生まれて初めて行った精神科は町田にありました。しかし最後の望みだとすがりついたこの病院は、かなり最悪を引いてしまったようでした。

 人と話すことも怖くなっていた私は初診患者にも関わらず威圧的な医師を前に震える声で必死に自身の症状を伝えましたが、「毎晩ワイン1瓶はやばいねw」と鼻で笑われ「診断書は書けません。薬が欲しかったらあげますけど」と面倒そうに告げられ目の前が真っ暗になりました。

 精神科というのはいわゆる"そういう"病院もあるので、『まぁ薬が欲しいなら提供しまっせ』タイプのところに行ってしまったのだなと今では思います。しかしその当時若かりし私は知識としてそんな病院があるとは知らず、やっと掴んだ希望の糸をぷっつりと切られてしまったような気持ちになりました。

 そのあとの記憶はあまりありませんが、ただただ「もう死のう。」とだけ考えてました。銀行にあった貯金を全部下ろし、ほぼほぼ使ってしまいました。新卒1年目の残業代なし超低収入だったのでそこまでの金額はなかったのですが、怖いことに何に使ったのか・何を買ったのかほぼ覚えていないんです。ヴィレヴァンで目についたものを適当にカゴに入れたら10万ほどになりレジの人に困惑した顔をされたことだけ朧げに記憶にあります。とにかくもう絶望していました。最後に金だけ勿体無いので使おうと無意識に思ったのだと思います。

 そして気づけばどこかの歩道橋で飛び降りようとしていました。車通りの多いところだったのでビュンビュンと道路に大きな物体が通る中、そこにダイブしようと乗り出した瞬間、通りかかった通行人の方に奇跡的に引き止められました。服を引っ張られなんとか落ちず、その瞬間ブワッと冷たい汗と共に恐怖が沸き立ちました。助けていただいた方が男性だったか女性だったかもわからないままそのあとはしばらく大声で泣き、気づけば歩道橋には誰もいませんでした。(あの時助けていただいた方、ありがとうございます) 

歩道橋なんてとんでもない迷惑がかかる場所を選んだこと、クソ迷惑な奴だなと今では思いますがその瞬間はもう何も考えられないのです。そこに楽になれそうな場所があったから、それだけでした。

 その後落ち着いてきたのでなんとか評判が比較的良い病院を近くで探し、その日のうちに二軒目の精神科へ。急に生命溢れ切り替えの早い自分に笑いますが、なんだか死ぬことが悔しくなったのか。もう一回だけ行ってみようと思ったのか。その辺の記憶も曖昧です。

結果的に二軒目の病院は非常に良い、優しい先生でした。自殺未遂ほやほやで支離滅裂な私の話も真摯に聞いてくださり、「診断書を書きますので会社に送りましょう。もう頑張らなくていいからね」と言って頂いた瞬間心からホッとしたのを覚えています。

ようやく解放、だったが…

その次の日。逆に会社を休むことの恐怖とストレスで朝からギャン泣きした後、やっとの思いで会社に電話。社長の奥様へ体調不良を原因にしばらく休暇を取りたい旨を声を震わせながら伝えました。

しかしその後メールで大量の仕事が送られ、「休まれたら困るから家で仕事しろ」との文章を見た瞬間またギャン泣き。結局その日からまた食事する気力も無く、部屋から一歩も動けずただただ一日横になっていることしかできませんでした。メールも全身が震え返せず、心配する母に会社へ送ってほしいと退職届と診断書のコピーを入れた封筒を渡しました。

 その後はまた辛い日々でした。会社で唯一味方でいてくれたパートのおばさんから連絡があり、私の居場所や行動を突き止めようと社長と奥さんが私のSNSを血眼になって探しているとのこと。本名でやっていたのはフェイスブックだけでそれも更新していなかったのですが、そこから24時間社長に監視されている気持ちになり、恐怖でおかしくなりそうでした。何の気力も起きず外出も全くできなかったのでただただ震えながら泣いて過ごしました。

 そして退職届と診断書が会社に届いた後もしばらく会社からのふざけるな仕事しろメールは来ていましたが徐々に無くなっていきました。最後に自宅に持ち帰っていた会社の資料を返せとのメールに対応後、何も連絡が無くなったので退職できたようでした。しかしまだ会社から解放されていないのではないかという不安と恐怖はその後半年間残りました。

最後まで社員を思いやる気持ちが一切ない漆黒の会社との後味の悪さと共に、新卒で入ったこの会社との一件は終わりました。

さいごに

Sさんはその後どうなったか不明ですが、噂だと親戚か友人の家に滞在していたとのことだったようです。結婚されていたので奥様はどうされたのか色々と気の毒ですが、なんかもう限界だったんだろうな……の一言に尽きます。そしてとにかくSさんが最悪の選択をしてなくてよかったなと。

 あの女性デザイナー、そしてSさんや私も含め社員を使い殺していくタイプのブラック会社。ここで私が得た能力は、誰に教わらなくてもだいたいのことは自分で調べてできること。また誰の力も借りずマルチタスクを一気に攻略できることです。今はデザイナーチームで動く会社で勤務していますが、完全に根がワンマンプレイヤーになっていて逆に仕事やりづらいことがあります。

そして今起こる大体のことはこういう地獄の経験と比べたら全然大したことがないので非常にポジティブですし、メンタルが強くなりました。一回死まで考えた人間は皮肉にも強くなると思います。結果会社的には一気にデザイナーを全部失うという一番迷惑をかける形で退職となりましたが、あそこで勇気を出して行動してよかったと思っています。

あの社長、いつか誰かに背中刺されるだろうな……。おわり


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