なぜ信州の山奥の4,000坪の森で暮らそうと思ったのか?
森の中の「静けさ」は何にも変えがたい感動そのもの
長野県長野市大岡(旧大岡村)の聖山という山の麓に私のパートナーが2,000坪の森とそこの敷地内にある二階建ての建屋を亡くなったお父さんから譲り受けたので、2年位前から週末移住という形で1ヶ月に1度のペースでその森に数日間滞在するという事を繰り返していました。
森のなかに暮らしたいと思った主な理由はいくつかあります。
まず第一に春、夏、秋、冬の季節を通して聖山に通ってみて感じたのは、大自然の真っ只中で過ごすシンプルなライフスタイルは都会で暮らすより肌感覚で断然快適だったからです。
わたしは普段から瞑想をするのですが、東京からこちらの森に来ると
何にも変えがたいその「静けさ」は感動モノです。
森の中での睡眠は格別!
いかに都会や街で騒音やノイズに満ちた場所で暮らしていたかという事がハッキリと分かります。森の中はとても静かなので、今までちゃんと深く眠っていなかったんじゃないかと感じるくらい非常によく眠れます。
睡眠の質がまったく違うのです。パソコンに例えるなら、スリープ状態の待機モードとシステム終了で電源を完全にオフにしている状態くらい違います。
本来そこにある「しあわせ」と「あんしん」に気づく
そして大自然の森の中での「くつろぎ」の味わいは、自然の中でただ「ここに生きている」ことそれ自体が「しあわせ」で「あんしん」なんだという根源的な存在の意味と価値に気づかせてくれます。
ちょっと難しい言い方になってしまいましたが、別な簡単な言い方をすると自然の中に身を置くと「ただそこにくつろぐ」だけで幸福度が爆上がりすることに気がつくということです。
お金があっても、なくても、地位や権力があっても、なくても、SNSのフォロワー数が沢山居ても居なくても、そういったものには本来そこに元々存在する「しあわせ」や「あんしん」とは全然関係がないということが肌感覚で分かってしまいます。
「もっともっと」のゲームに気づき、それがゲームだと知る
街や都会の環境の中で暮らしていると、どうしてもこのような大事なことも一切忘れてしまって生活をしています。
そのような本来元々そこにある「しあわせ」や「あんしん」はあたかも存在せず、外側にあるお金、地位、権力、学歴、能力、スキル、フォロワー数などを得ることがイコール「しあわせ」や「あんしん」だと思い込み(思い込まされ)、信じ込み(信じ込まされて)生活しています。
そして他人と競争してそれらを得ることが「せいこう」や「しあわせ」だという価値観の「モノサシ」だけが存在するかのようです。このように言ったとしてもそれはもはや空気のように当たり前なものになってしまっているので、もしかしたら何のことやら気づかない人もいらっしゃるかもしれません。
ただこの「モノサシ」や「チャンネル」にだけあわせて生きていくと、遅かれ早かれちょっと気づく人は疲れますし、鬱になったりして苦しんでしまいます。いわゆる「せいこう」をした後も、まだ「もっともっと」と限りなく外側のモノを求め続け終わりがありません。
本来もともと自分の中にも自然の中にも満ち溢れている「しあわせ」「あんしん」「くつろぎ」に気づかない限りは、その「もっともっと」の「ゲーム」や「チャンネル」は続きます。
ただそれが数あるうちの一つの「ゲーム」や「チャンネル」だという事に気がつけば、自分はただのゲームのプレイヤーとしてゲームを楽しんだり、つまらなくなって止めたいと思えば止めることもできるので、とても楽に自由になることができます。
ちょっと「森になぜ暮らすのか」という話から逸れてしまいました。
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「便利」と「快適」という固定観念
そして森の中で実際に暮らすことを通じて、田舎・自然の中での生活は不便という偏見や固定観念というものも打ち壊されて「便利」や「快適」という定義が自分の中で根本的に変わってしまいました。
「便利」とは何でしょうか?
「快適」とは何でしょうか?
東京新宿区という大都会の中と
信州聖山という大自然の森の中という二拠点生活を繰り返すことで、
何が「便利」という事なのか
何が「快適」という事なのか
自分の中ではっきりと定まってきました。
結論としては、新宿区の大都会の中で暮らしていても
まったく「便利」でも「快適」でもなかったという事に
シンプルに自分の肌感覚で気がついてしまいました。
歩いて10分以内で神楽坂駅へ、
自転車で15分行けば東京ドーム、上野公園、池袋駅に行ける距離に住んでいました。いわゆる一般的な常識で言ったら、とても好立地な場所でしょう。
ただそういったいわゆる地価が高い土地に住んでいても、世間で言われている「便利さ」や「快適さ」をはるかに上回る「不便」や「不快」を自分のカラダが感じ取っていました。
またそのいわゆる便利や快適だと言われている暮らしは、人工的につくられたもので色んなものが犠牲にされた中で成り立っているということに気がついてしまうと、居心地がよくありません。 また人工物に囲まれて、非常に多くの人々が密集している場所はそれだけで単純にストレスを感じますし、自然のものと繋がりにくいので生命力や元気がなくなってしまいます。
実際に森で暮らして、本当の意味での「便利」「快適」に気がつく
特に大自然の森の静かな生活の「快適」で自分のエネルギーも循環する「便利」な生活をしってしまうと、都会や街をメインの拠点で暮らす意味や価値がじぶんの中で殆どなくなってしまいました。
だからと言って都会の生活を全面的に否定しているわけではありません。何かイベントに催したり、参加したり、人に逢ったりするには都会や街の方がスムーズでしょう。
ただ生活するには家賃や食費などの生活費も田舎・地方に比べて高いですし、最近だと5Gなどの電磁波をはじめとした健康被害の問題もあります。 多くの人が思い込んでいる「田舎や地方は仕事がない」という問題さえ解決できれば、都会・街での生活での本当の意味での「便利」や「快適」って殆どないんじゃないかなと思います。
「地方・田舎に仕事がない」というのも思い込みかもしれない
この仕事がないという問題も工夫とやる気とやり方次第でどんな風にも解決策を見いだせます。特にこの2020年春頃からのコロナ騒ぎの状況下でリモートワークも以前よりも大々的に導入され始めていますし、リモートワークで収入を得る方法は本当にイロイロあります。
それなので必ず実現したいというやる気があって、正しいやり方で自分に合ったものを選んでそれ相応の価値をお客様に提供することが出来ればハードルはそこまで高くないと思います。
ちなみにわたしは一からHTML, CSS, JavaScript, PHP, WordPressなどを学びなおして、個人事業主として主にウェブ制作会社さんから案件を請負ってリモートワークで得ている収入の口がひとつ。これは30代後半からはじめて、いまは有り難いことにお陰さまで継続的に案件を紹介して頂いて定期的にまとまった収入になっています。
もう一つは数年前から自分が運営しているオンラインショップから得ている収入の口がひとつあります。
最後が翻訳・ローカライゼーションのお仕事。 市場的に需要のあるECサイトの英語化なども対応していますが、こちらのお仕事は最近お金になるかどうかで仕事を選ぶというよりは自分が本当に翻訳して世に出したいものを翻訳しています。
最近ではネパールでベストセラーの英語、ヒンディー語、中国、ロシア語に翻訳されて世界中で読まれている約380ページ程の本を翻訳して、9月に電子書籍として出版しました。これは著者ご自身にネパールに逢いに行って翻訳・出版の許可を得て2年という月日が掛かってしまいましたが、カタチにすることができました。
この本の著者であるスワミ・アナンド・アルン氏は日本では殆ど知られていませんが、ネパールでは知らない人はいないくらい有名な方です。活動はネパールだけにとどまらず、1年の半分は北米、ヨーロッパ、ロシア、アジアなど20ヵ国を行き来して世界中で瞑想リトリートを開催しています。
もしご興味があれば、👇のサイトを覗いてみてください。
世界中で読まれているネパール発のベストセラー書籍
「イン・ワンダー・ウィズ・オショー」
https://in-wonder-with-osho.com/
利他事業をライフワークとしてやっていきたい
もう一ついま考えているのは近い将来森の中に瞑想ホールやサウナ小屋をつくって、メディテーション、リトリート、ヒーリング系のイベントやワークショップをおこなって、そちらからも少しでも収入を得ることができればと考えています。 こちらは純利益型の事業というよりは人々が本当の意味で心や魂から安らかになって欲しいというわたしの中での利他事業的なライフワークです。
ちょっと話がまた脱線してしまいましたが、「便利」や「快適」という固定概念が森の中で実際に暮らすことを通じて、その定義が自分の中で根本的に変化したという事をお伝えいたしました。
この森から最寄りのスーパーまで車で30分、最寄りの温泉まで30分、最寄り駅まで30分ほどかかります。一般的にはこのような距離感は不便と思われるかもしれませんが、この買い物までの時間と距離などはこちらで暮らしていると案外すぐに慣れてしまいます。
実際にこちらに暮らしてみると最近は片道30分くらいであれば、まあまあ近いなという感覚になっています。
カラダやココロやタマシイが感じる本当のシアワセ ・ アンシン・カイテキ・ベンリ
この一般的に言われているいわゆる不便さを遥かに上回る「快適さ」と「居心地よさ」と自分自身の生命力とエネルギーが循環する「効率のよさ」「便利さ」が大自然の森のなかには満ち溢れていて、そのようなものは都会や街には殆どありません。
それゆえに森の中で自分のカラダやココロやタマシイが感じる「快適さ」「居心地よさ」「便利さ」「効率のよさ」を選んで、メインの拠点を森に選んだという訳です。
現在は信州聖山の4千坪の森の中で以下のようなキーワードで
持続可能な“懐かしい未来”に向けて生きる人々のためのスペースを準備しています。
Meditation 瞑想
Deep-Connection with oneself 自分自身との深い繋がり
Deep-Connection with mother nature 母なる地球との深い繋がり
Deep-Connection with Brotherhood and Sisterhood
想いを共にする友人たちとの深い繋がり
PermaCulture パーマカルチャー
Care for the earth 地球への配慮
Care for the people 人への配慮
Fair share 分かち合い
イロイロなワークショップやイベントが開催できる滞在型のメディテーションホールを軸として、人が森に還り、自然の一部として在る暮らしを創造し共有していけるスペースをご縁のある仲間たちとつくっていけたらと想っています。
もし興味があれば、コメントやDMいただければ
大変嬉しく思います。
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信州聖山のCo-Creation 共同創造スペースの活動資金にさせていただきます。ご紹介でもありがたいです。もちろんご紹介料もちゃんとお渡しします。
https://nirvana-lab.com/portfolio/
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