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スターまる 第2話 作品解説

ページごとに解説を入れてみる

第1話の解説は、制作に至った背景も含めて本作の全体感をご紹介いたしました。第2話解説は、ページごとに考えていたこと、参照した資料などをご説明いたします。

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ページ1:どこまで描き込み、何色を塗るか

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本作はフルカラー作品で、「どこまで描きこむか」と「何色で描くか」が重要になる。

色の塗り重ねは、モチーフ一個に対して極力「2〜3色、2~3手」くらいで終わるように意識している。薄塗りにとどめたい。ここで参考としてよく眺めていたのはある絵本である。行きつけの整体院でたまたま見つけた、オランダ出身のデザイナーで作家のアティ・シーヘンベーク・ファン・フーケロム(1913〜2002)作、『空猫アラベラ』。猫天国にいるアラベラが、かつての友達猫や飼い主のもとに遊びにくる、という話。

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ヨーロッパの作家に見られるような、ラフで大胆、かつ繊細なペンと水彩の雰囲気に心を打たれて、『スターまる』のペン入れ、色塗りの方向性の参考にしている。

カラーセット(スウォッチ)は、設定資料を作る段階である程度固めているので、色使いにはあまり迷わずひたすら描く・塗るのみ。

個人的には、色をある程度描きこむと、集中線や効果音などの漫符を入れなくて良くなる場合があるマンガとして成立させるためには漫符を入れたほうがいい気もするけど)筆の方向で集中線を表現できることもあるし、効果音は、絵からむしろ緊張感を適度に抜くために、描き入れる事もできると気がついた。(そう考えると、モノクロマンガのテクニックって、ほんとに完成されていてリスペクトが高まった。)

ページ2:海と光

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第2話は、空の色の変化と、それに伴って変わる海の色の変化で、マルのこころが闇に向かって行く様子を描けるのではと思いながら描き進んだ。マルの心の世界に光はあるけれど、「太陽」のようなはっきりした光源は見えず、空も薄くて淡いところからスタート。

背景はほぼ海と空しかないので、単調さを避けたくて色んな角度や遠近感を意識している。主にPintarestで資料を探した。

ページ3:感情表現

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「マルが自分の涙で世界を埋めてしまった」という、深刻な告白だけど、ヨナ(星)からすれば、「そんな事するヒマあったら別のことできるだろオマエ」くらいの感想なので、感情の重さにクローズアップするよりは、わかりあえない二人を描いた。
ページ2よりも夕日と海の色を若干濃くして行く。日中に止まっていたような時間が、夕方に向かう光とともに一気に動き出していく感じ、私は割と苦手だから、その怖さを意識しつつ。

聖書ではは「いのちの水」など肯定的な意味もある反面、苦しみで涙が流れすぎて川になったり、寝床を押し流すほど溢れる(映画:めぐりあう時間たち を思わせる)、という描写も印象的に書かれている。

[哀歌 3:48〜49]
娘である私の民の破滅のために、
私の目から涙が川のように流れる。
私の目は絶えず涙を流して、
やむことなく
聖書 新改訳2017
[詩篇 6:6]
 私は嘆きで疲れ果て
 夜ごとに 涙で寝床を漂わせ
 ふしどを大水で押し流します。
聖書 新改訳2017

ページ4:少女の心から出ようとする星

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ヨナ(星)は表情豊かで、いいことも悪いこともまっすぐ受け止める。ヨナにはお約束の漫符がよく似合うので、使ってみたい漫符を実験的に貼ってみたりしている。

虹は「虹色ブラシ」を使っている。なぞるだけで虹がファ〜〜。本作で「虹」は大事な要素になっているけど、大事な要素ほどサッと、できるだけ力を抜いて描きたいと思っている。

ページ5:虹の方(にじのかた)登場

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大水と、大水に押し流される世界はノアの方舟の話をモデルにしている。

「虹の方」にもキャラクター名をつけていたけれど、やっぱり最上級に聖なる存在には、みだりに名前をとなえてはいけないと思ったので、ぼかすことにした。キャラクターとして成立させるとしても、極力シンプルな表現にしつつ、「聖なる存在」であることを押さえるために、いくつか聖書から題材をとっている。

■虹
「虹」は、聖書・創世記6〜9章のノアの方舟の箇所で登場する。

[創世記 9:12〜16]
さらに神は仰せられた。「わたしとあなたがたとの間に、また、あなたがたとともにいるすべての生き物との間に、代々にわたり永遠にわたしが与えるその契約のしるしは、これである。
わたしは雲の中に、わたしの虹を立てる。それが、わたしと地との間の契約のしるしである。
わたしが地の上に雲を起こすとき、虹が雲の中に現れる。
そのとき、わたしは、わたしとあなたがたとの間、すべての肉なる生き物との間の、わたしの契約を思い起こす。大水は、再び、すべての肉なるものを滅ぼす大洪水となることはない。
虹が雲の中にあるとき、わたしはそれを見て、神と、すべての生き物、地上のすべての肉なるものとの間の永遠の契約を思い起こそう。」
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 許諾番号4-2-3号

■覆い
「虹の方」には覆いがかかっているようにみえる。どちらかと言えば、マルの心に覆いがかかっていて、神様の姿を捉えることができなくなっている。

[コリント人への手紙 第二 3:16〜18]
しかし、人が主に立ち返るなら、いつでもその覆いは除かれます。
主は御霊です。そして、主の御霊がおられるところには自由があります。
私たちはみな、覆いを取り除かれた顔に、鏡のように主の栄光を映しつつ、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていきます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。
聖書 新改訳2017

■神の顕現と三位一体
神様は偏在の神であり、地上においては目に見えない霊的な存在だけれど、人の目に見える存在(主には自然現象だけど・・・)に形をとって現れることがあるという。スターまるで登場するのは、聖書の示す「三位一体」で言うところの「聖霊なる神」に近い方をイメージしている。


ページ6:そよ風

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虹の方の直接的なセリフはなく、風が吹くことでヨナに語りかけがあることを表した。そよ風といえば、創世記3章、罪を犯したアダムと女が、神様を避けて木の間に身を隠したときに吹いていたそよ風のシーンを思い出さずにいられない。

[創世記 3:8〜9]
 そよ風の吹くころ、彼らは、神である主が園を歩き回られる音を聞いた。それで人とその妻は、神である主の御顔を避けて、園の木の間に身を隠した。
神である主は、人に呼びかけ、彼に言われた。「あなたはどこにいるのか。」
聖書 新改訳2017

ページ7:管理者

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クリスチャンになりたてで、聖書の勉強をしているとき、「自分が神様から頂いた人生の管理者である」こと、「神様からいただく恵みの良き管理者になる」という考え方が心に響いた。マルにもその責任を求められているということを表した。

[コリント人への手紙 第一 4:1〜2]
人は私たちをキリストのしもべ、神の奥義の管理者と考えるべきです。
その場合、管理者に要求されることは、忠実だと認められることです。
聖書 新改訳2017

時間の経過に関しては、ページ3に比べて空がだんだんと暮れなずんできている。あわせて、海の色もだんだんと濁ってくる。

ページ8:私を天国につれてって!

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マルは、苦しくなるほど一生懸命ならば、天国に入る資格があると思っている。「私を天国に連れて行って!」って歌詞とかでよく聞くセリフを、人生を放棄する目的の意味で言ったらどうなるかなと思って使ってみた。

第二話で描きたかったことはたくさんあるけれど、気持ち的にアタックを受けるヨナ、傷つけられたとき、光の存在はどういうふるまいをするか、ということが一番表現したかった。

ページ9:コマ割りを大きくとるか、刻むか

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ある意味ヨナからのマルに対する、光の世界への「和解と招き」のシーンになる。海に落ちかかるヨナの光は、マルにも届いている。あとはそれを受け取るだけ。

「コマ割りは基本横3段で1ページ5コマ前後が適当」だそうで、スマホ上で読むときも、たしかに、コマは割りすぎないほうがいい。このページは2ページに分割できたかもしれない。

ただ、ヨナはキャラクターとして描き込みが少ないし、1コマに気持ちを込めて、セリフをじっくり読ませたいというよりは、夕日がどんどん沈んでいって、話し込んでる時間もない、という性急さも出したかったので、1ページに収めてよしとした。コマ割りの丁寧さは、第3話以降意識することにした。

ページ10:一番暗い闇

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このページの下部が、第2話(全話?)でいちばん暗くなるよう、ページの時間の進行を調整した。

ヨハネの福音書での「最後の晩餐」にて、イエスを裏切ったユダ闇に向かって突き進んでいく、というシーンを参考にした。

[ヨハネの福音書 13:27〜30]
ユダがパン切れを受け取ると、そのとき、サタンが彼に入った。すると、イエスは彼に言われた。「あなたがしようとしていることを、すぐしなさい。」
席に着いていた者で、なぜイエスがユダにそう言われたのか、分かった者はだれもいなかった。
ある者たちは、ユダが金入れを持っていたので、「祭りのために必要な物を買いなさい」とか、貧しい人々に何か施しをするようにとか、イエスが言われたのだと思っていた。
ユダはパン切れを受けると、すぐに出て行った。時は夜であった。
聖書 新改訳2017

マルがヨナの心を理解しないで、返り討ちにするシーンだけど、首から上だけでイキっているという滑稽さがなくもない。

ヨナは光の存在だからこそ悪に悪を返さないが、マルはそれと反対のことをする。傷つけられればそれ以上の仕返しをするし、心には喜びがない。

[テサロニケ人への手紙 第一 5:14〜18]
兄弟たち、あなたがたに勧めます。怠惰な者を諭し、小心な者を励まし、弱い者の世話をし、すべての人に対して寛容でありなさい。
だれも、悪に対して悪を返さないように気をつけ、互いの間で、またすべての人に対して、いつも善を行うように努めなさい。
いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべてのことにおいて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
聖書 新改訳2017

ページ11:闇の世界にいる人への祈り

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描きたいことがあまりに説明調になるのは避けたいけれど、抽象的すぎるくらいならばきちんと説明したほうがいい場合もあり、このページはそういうかんじだった。

人間の目からみたらただただ不運で可愛そうに見える人。それでも、当人が乗り越えなければならない壁というものがあると思う。そうそう乗り越えられるものでないならば、せめて光の方を向いて一歩進むのだ。

傷つけられても諦めないヨナは、もちろん十字架上のイエス・キリストにかなうほどの存在ではないけれど、そういう存在でありたいという祈りは、彼の中に刻み込まれている。

[ルカの福音書 23:33〜34]
「どくろ」と呼ばれている場所に来ると、そこで彼らはイエスを十字架につけた。また犯罪人たちを、一人は右に、もう一人は左に十字架につけた。
そのとき、イエスはこう言われた。「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」彼らはイエスの衣を分けるために、くじを引いた。
聖書 新改訳2017

ページ12:マルのトリセツ

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このあたりになって、やっとマルの扱い方がわかってきた。身の回りを涙で溶かして輪郭の淡いメロドラマにしてしまう、それがマル。

第2話 総括

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聖書の世界をテーマにして作品づくりをすることは、他の人の聖書観とぶつかることがあるし、クリスチャンとして犯してはいけない一線を超えてしまう危険性がある。

かといって、自分にとって聖書のことばは自分のすべてになりつつあるという主張に始まって、自分なりの聖書の世界の捉え方を明示しないで、クリスチャンや、クリスチャン意外とコミュニケーションが成立する気もしない。

なんていうか、これまでの自分は、他人に自分を変えてほしいと期待する割に、自分の言いたいことは言わないで、他人の言ったこと、やったことのアラ探しをして、傷つけられた気になっている被害者志向がまだまだ残っていた気がする。

そして、マルのように、相手が自分を傷つけて、相手の意図以上に傷ついたことを理由に、倍返しをするような部分があった。そもそも傷つけ合わなければいけないほどお互い愚かでいることをやめればいいんだけど、人の心の内側にある全てを知ってなお、人を愛そうとされたのがイエス様の愛なら、自分もそれにならうものになりたい。

第2話はそれまで殆ど書いたことがなかった「水」をさらにたくさん表現しなければいけないし、時間の経過を気にしつつ、色使いをあくまできれいにまとめたい、マルの闇を描きつつ、キャラクターとしての魅力を残したい、など、気を使うことが多かった。

自分の知っている「海と空」を、第1 話、第2話に詰め込み、たくさん頭を使って描き終えてやっと、もともとの自分のいい部分を取り戻せた気がする。つまるところ、自分は自信を失っていた。
作ることと共に生きる作品を私が社会に対するコミュニケーション手段として成立させつつ、10年後の自分が見たときに、自分が学び取れる何かを残せればいいし、最終的には神様にとって意味のある作品になっていればいい。

わたしはより多くの人がイエス様の光に立ち返ることを祈り続ける人々のひとりだけど、自分のことを振り返っても、それにはすごく長い時間がかかったし、きっかけは一つではなかった。『スターまる』を読むために、自分の人生の貴重な時間を使ってくださった方々が、読む前よりも、「この世界をお造りになった方ってどういう方なんだろう?」とちょっと心に引っかかるきっかけが作れたら本望である。

第3話もお楽しみに!

スターまる 制作前夜(制作に至る過程)
スターまる 第1話 星は甘くて苦い 作品解説(通し読み)
スターまる 第3話 種と土 作品解説(通し読み
スターまる 第4話 焼き尽くす火 作品解説(通し読み)

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