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スターまる 第4話 作品解説

第4話はこれまでの回に増して信仰的なテーマにフォーカスしていて、クリスチャンにも、そうでない方にも、受け入れるのが難しいかもしれない表現を盛り込んだ。例えば「祈り」や「悔い改め」を描かないで、あるいはもっとやんわりとした表現で、この作品を仕上げることもできたはずだ。

でも、もし自分の中での「痛恨の失敗」があるとしたら、そういったテーマへの挑戦を避けて作品づくりを行なってしまうことだと思う。まだこのテーマを活かしきれてないとしたら、ひとえに私の未熟さである。

私を作品づくりに駆り立てるのは、自分にとって社会が基本的には居心地が悪いからである。居心地いい人なんていんのか?とも思うけど。最近では「生きづらさ」と表現されているようなものだけど、「生きづらい」は私の中では使いたくないワードなのだ。

生きていること自体は喜んでいるし、楽しい。ただ周囲と折り合いがつきにくい、ノイズが多く感じる、矛盾に気が散らされる、建前と本音が気になる、というところでモヤモヤすることが多い。私の作品で「もやっ」とするのなら、私も通常の社会ではそんなふうに「もやっ」としている。当然、私は自分の作品世界では自分にとって「もやっ」とすることがないように作っている。

前編も折り返しとなった。後編も控えているけれど、はじめの構想にあったのは前編のストーリーだけだったので、前編が完成するだけでもきっと達成感は大きいと思う。それだけに第4話に持っていくまでのエネルギー量や、興奮はとても大きかった。

4話で、物語が大きく動く。やったことないこと、描いたことないものに取り組む量も多くなる。描きあげるまでの気合い、自分への期待、期待を叶えられるかどうかの怖さなども相まって、第3話までよりも時間がかかった。

ページ1:クラゲの談

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第3話までと視点が切り替わって、クラゲたちの話から始まる。天国を求めるクラゲたちが自然と高いところを目指す、けれども全然届かない・・・というのは、創世記11章のバベルの塔のエピソードを重ねている。

[創世記 11:1〜5]
さて、全地は一つの話しことば、一つの共通のことばであった。
人々が東の方へ移動したとき、彼らはシンアルの地に平地を見つけて、そこに住んだ。
彼らは互いに言った。「さあ、れんがを作って、よく焼こう。」彼らは石の代わりにれんがを、漆喰の代わりに瀝青を用いた。
彼らは言った。「さあ、われわれは自分たちのために、町と、頂が天に届く塔を建てて、名をあげよう。われわれが地の全面に散らされるといけないから。」
そのとき主は、人間が建てた町と塔を見るために降りて来られた。
聖書 新改訳2017

 「人間は自分たちが築いたものによって権威を誇るが、神様にはわざわざ降りて来なければ目に止められないほどのささいなものである」という皮肉が込められている、と解説されていたのを思い出す。

ページ2:悲劇と滑稽さ

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本人たちは刻一刻と絶望を深めているけれど、引いた視点ではがそこにあるおかしみが浮き上がっている。

寓話的に展開がわかりやすく、勧善懲悪で長さとしても読みやすい聖書の話では、旧約聖書の「エステル記」がまず思い浮かぶ。エステルは紀元前478年にペルシアの王妃となった人で、舞台がペルシアというだけでもドラマ性を掻き立てられる。

ページ3:泣くと乾く

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「泣くと乾くぞ!」とは、雪山で遭難したシーンで「寝ると死ぬぞ!」と声をかけるところから文字っているけれど…第4話を描くなかでは一番好きなセリフ。

どこかで見たことがある流れ、聞いたことがあるセリフで、考える必要もなく、淡々と物語を追えるようにした。

ページ4:祈りと、悔い改めを表現する

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祈りと悔い改めは、キリスト教の文化圏外では馴染みが薄いと思う。

自分が将来クリスチャンになると予想だにしていない、20代初期に、パウロ・コエーリョの『ピエドラ川のほとりで私は泣いた』を読んでいて、主人公の女性が、愛する男性のために、神様に祈りを捧げるシーンがあり、祈りの言葉が書き連ねてあるページでなぜか雷に打たれたような衝撃を覚えた。

そこから何年も経って、神様のことをもっと知りたい、と思うきっかけを得たスペイン旅行で、立ち寄ったサグラダ・ファミリアの中で「主の祈り」の一節

私達の日毎の糧を、今日もお与えください

を読んで、やっぱり神様は私達をいつも見守っていて、なんなら言葉に出さない心の奥底までよくご存知なのかもしれない、と思った。
 自分にとって夢を叶えるために計画した旅行だったけれど、一ヶ月分の旅費の心配や、その日泊まる場所の確保が、当日になってみないとわからないなど、女性の一人旅にとってはプレッシャーの大きな旅程だった。その祈りの言葉によって、「何があっても無事に日本に帰れる」と信じられたのだ。

その2つの祈りの言葉は私の人生の中に唐突に飛び込んできたので、このシーンの祈りも唐突に見えるけれども、「祈る必要性」が心に湧き上がったなら、ぜひその思いに心を開いていただきたいという思いで描ききった。

「悔い改め」とは、大半の人が「自分のした罪を後悔し、深く反省し、もうやらないと心を決めること」と認識している気がするが、本来の意味は違う。

とは、「的外れ」という意味で、
悔い改めとは、「神様に対する見方を変え、この世の創造主に向き直ること」である。人は自分の犯したどんな小さな罪でも負いきれる存在ではないからである。

[マタイの福音書11:28〜30]
すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。

ページ5:ヨナと種の関係性

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マルの種は、当初梅干しの種みたいなのでいいかと思っていたけれど、もっと愛着を感じるために、デザインをまとめていくときに、プロペラのような羽のついた種を参考にした。

物語の中では年単位で時間が流れたことを想定している。

ページ6:主の来る日

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ページ6〜8は、聖書にある終末預言を参考に、改心体験を描いている。神様が人のこころに触れて、罪の呪いからときはなつ。終末預言自体は将来に起こることだけれども、個人が主に立ち返るときに心に起こることと相関させている。もちろん人それぞれ違った改心体験をふむと思う。

[テサロニケ人への手紙 第一 4:16,17]
すなわち、号令と御使いのかしらの声と神のラッパの響きとともに、主ご自身が天から下って来られます。そしてまず、キリストにある死者がよみがえり、
それから、生き残っている私たちが、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられ、空中で主と会うのです。こうして私たちは、いつまでも主とともにいることになります。
聖書 新改訳2017

ページ7:角笛の音

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ここで鳴り響く音は、先で紹介した聖句にもある、ラッパ(角笛)の音である。賛美歌にも、「世の終わりのラッパ」という曲があって、クリスチャンにとってはとても輝かしい瞬間を表した歌なんだけど・・・一方で、なんかうっすら怖い・・・畏怖というか、自分では到底受け止めきれないレベルの荘厳さを突きつけられて油断ならないな、という気持ちになったりもする。

1番の歌詞だけ掲載するが、世の終わりなのにラッパみたいな遠慮ない大きな音が鳴る・・・終わりなのに・・・信者の群れの一人として仕えてきた神様に、来たるべき日には個人の名前が呼ばれる・・・みたいなコントラストが、なんか内臓を掴まれて「うぉぉ…」ってなるかんじ。

世の終りのラッパ(新聖歌467番)
世の終りのラッパ 鳴り渡る時
世は常世とこよの朝となり
救われし者は 四方よもすみより
全て主のもとに呼ばれん
その時わが名も その時わが名も
その時わが名も 呼ばれなば必ずあらん
歌詞を参照したサイト

ページ8:神の愛の顕現

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 私も自分の人生の中で、自分の力で偉大なことを成し遂げたいという思いにかられることがなくはないけど、それ以前に、神様は、個人個人の心を、これほど聖い存在を送り込む力を発揮されるほど、深く愛されている。

[ヨハネの福音書 3:16]
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
聖書 新改訳2017

「聖なるもの(特大サイズ)」の形は、翼が多いほど格が高いとあらわされる大天使からデザインしているが、聖なるものが必ずこういう形をしている、と思っているわけではない。

さらに、神学の「天使論」でまとめられるところでは、一般の天使には翼はないとされている。でも、聖書に出てくる天使は、天使を目にした人にとっては、一発で天使と見分けがつくような超人的な雰囲気を持っていることは伺い知れる。

上記を踏まえつつ、空どころか時空まで跨いじゃうような、正体不明さを併せ持った形を、天使たちとしてデザインした。

ページ9:爆発を描く

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マルのこころを新しく造り変える「聖なる爆発」が起こる。「スターまる」自体がなんちゃって宇宙科学から着想を得ている部分があるので、爆発もビッグバンの写真を参考に、輝きを追求してみた。

ページ10:炎の色

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「燃えている」ことをわかりやすく表現するためには「赤い」必要があると思うが、その炎が「神秘的なもの」であることを両立させるために、一部緑色を入れてみた。

ページ11:友のためにいのちを賭ける

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日本語訳聖書では「いのち」という言葉は漢字ではなくひらがなで表されることがあり、私も作中では聖書的な観点での「こころ」「いのち」などはひらがなで描くようにしている(変換間違いがなければ)

クリスチャンになってから、「いのち」に対する考え方が変わった。
エネルギーの一種で炎のように燃えたり消えたり、奪われたり奪ったりできるものではなく、神様がわたしたちを「この世」に存在させている「時間」のようなものの気がしている(他の人の意見はどうかわからない)

[ヨハネの福音書 15:13]
人が自分の友のためにいのちを捨てること、これよりも大きな愛は誰も持っていません。
聖書 新改訳2017

ページ12:眠り

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現在の私のマンガの描き方は「連想ゲーム」を素直に組み立てているようなかんじである。炎があり、焼けた星があり、熱した物質が急に冷たい水に飛び込んだらどうなるか・・・そこにキャラクター自身の個性が入るとどのようなアクションが起こるか・・・と順番を追っており、意表をついたことをさせよう、と発想する余裕はまだない。

しかし、ページ12の最後のコマで、ヨナが海底の砂地に沈んだとき、「(文字通り)うまく落とせたな」と思った。


イエス・キリストを心に迎える祈りについてのはしがき

ページ4のクラゲによる悔い改めの祈りは、ストーリーに合わせるために、本来キリストを救い主と信じた者が行う祈りからは変えてある。
本来の悔い改めの祈りの見本は、細かい変化はあるにせよ下記のようなものであることを紹介して、第4話の解説を終える。

天の父なる神様。私はあなたに背を向けて生きてきました。お赦しください。
イエス・キリストが私の罪のために死に、墓に葬られ、3日目に復活されたことを信じます。
イエス・キリストを私の人生の主として心にお迎えします。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
参照サイト『聖書入門.com』


スターまる 制作前夜(制作に至る過程)
スターまる 第1話 星は甘くて苦い 作品解説(通し読み)
スターまる 第2話 闇は光を理解しない 作品解説(通し読み)
スターまる 第3話 種と土 作品解説(通し読み

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