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2021年10月浪江町取材記/消された「レガシー」

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 つい先日、10月23、24日と浪江と双葉に行って歩いてきました。去年8月の取材記録も終わってないのに、とりあえず思いつくまままとめてみたので、ご覧ください。まずは23日の浪江取材から。

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 10/23は久しぶりに浪江を歩いた。11時すぎに着いてから、まずは浪江小へ向かう。スカスカの町なかを抜けて、浪江小学校跡地へ。見事に跡形もなくなった姿に言葉もなく、ため息をつくばかりだった。

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(浪江幼稚園)

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(浪江小学校。聖火リレーのスタート地点となった「レガシー」となるべき場所は、2ヶ月後の5月には解体が始まり、五輪終了とともに姿を消した。)

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(有明荘。初めて訪れた2018年5月から何も変わっていない。)

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(ウェディングプラザ華厳。ここは2018年当時と違い、中の片付けが済んでいた。解体が近いのだろうか。)

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(高瀬川。透明な水面が美しい。しかしここには、除染で出た汚染水が垂れ流されている。)

 その後、丈六山の脇の道を通って酒井地区へ。以前は通れなかった丈六山の西側の道が昨年3月以降通れるようになってたのは知っていたので、そこを歩いてみる。昨年3月まで通れなかっただけあって、場所によって毎時2μSvを超すが、全体的にはそこまで高い数字ではない。

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(この日は天候が安定せず、晴れているのに雨がぱらついたりしていた。強風でもあった。)

 県道253号に入り、酒井地区を抜ける。ここは帰還困難区域だが、パトロールの車も何も言わずに脇を通り過ぎて行く。線量は毎時0.8〜1.8μSvほど。毎時2μSvを超えることはなかった。もちろん、これは道路上の話で、脇の山や森の中はこんなものではないはずだが。以前は道路上で毎時2.5μSv以上で、ずいぶん下がったという印象。

 酒井地区を抜けて避難指示解除された谷津田地区へ。白旗神社は社殿の修理がなされ、一部真新しいものになっていた。以前、神社から放たれていた圧倒的な存在感は失われ、どこにでもある神社になったような感じで、寂しく感じた。

 鉄砲玉の石に囲まれた軍曹殿の碑を横目に、県道253号をはずれメガソーラーの海のなかへ足を進める。墓地を囲むメガソーラーを横目に、双葉の羽鳥へ抜ける道を歩いていると、そこで初めてパトロールの車から声をかけられた。

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(墓地を囲むメガソーラー。太陽光パネルに囲まれながら、死者は何を思う。)

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(浪江町谷津田から双葉町上羽鳥へ向ける道は、まだ帰還困難区域。)

 助手席の人と「この先は通行止めですよね?」などと話していると、運転席の人が「やめとけよ」と言わんばかりに助手席を突く。どうやら運転席の人には「かなりヤバい奴」と思われてるようだ。

 そこで晴れているのに天気雨が降り注ぐ。パーカーのフードをかぶってカメラを守りつつ歩き出すと、いきなり後ろから「そこの人、ちょっと止まって下さい」とスピーカーで呼び止められ、驚いて振り向くとパトカーがいた。

 こんなこともあろうかと持参していた名刺を出し、絵描きで取材に来ている旨を話す。絵本『いぬとふるさと』を買って下さいとちゃっかり営業。「このメガソーラーを撮りに来たんです」と話すと、警官の口から「ここはとても人が住む場所ではないですからね」と本音が出た。

 避難指示解除され、実際に人が帰還している場所もあるのに、そこが「人の住む場所じゃない」とは? この浪江警察署の警官から何気なく出てきたその言葉は、まさに「本音」なのだろう。

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 職質を受けたあと、山沿いの高台からメガソーラーを撮影していると、折り畳みチャリに乗った作業員風の男がやってきた。ヘルメットにマスク姿で、無言で僕と同じ場所から一枚写真を撮って去っていった。あれは何を目的にやって来たのだろうか。

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(右手前の小さな神様には詣でたものの、これより先には進むことが出来なかった。地図にもないこの林道は、猪などが出てくる可能性も含めて、いろんな意味でヤバすぎる。)

 怪しい林道の入口まで見てから、空っぽになった高瀬川脇のフレコンバッグ仮置き場をみて、その後高瀬川を渡り大堀小へ。すっかり更地になった場所に、言葉もない。唯一残された少年の像を撮影しながら、ここまでする必要があったのかと首を捻るばかりだった。

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(大堀小学校跡地。少年だけを残して、全ては消えてしまった。)

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(真言宗豊山派、清水寺)

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(大堀相馬焼で有名だった浪江町。名産だった焼き物たちも、売られることもなく朽ちていくまま。)

 真言宗豊山派、清水寺に立ち寄ったあと、浪江中跡地へ。近づくにつれ、遠くから元復興大臣吉野正芳候補の名前の連呼が聞こえてくる。不快極まりない。更地になった浪江中の前で立ち尽くしながら、ここに来て一人で叫んでみろ!と思う。

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(浪江中学校跡地。跡形もない。Googleは仕事が早く、マップ上では既にここは「浪江中学校跡地」と書かれている。)

 浪江駅に着いて休憩していると、自民党吉野の街宣カーが駅前にやって来て俺の前で止まった。この日の仕事が終わったようで、車から降りて来てスタッフ同士でゲラゲラ笑っている。人気のない町を回りながら、こいつらは何を考えていたのだろう。その能天気さにさらに腹が立った。

 これまでと比べて、町内を走る車は増え、駅前でも何人かとすれ違った。イベント時を除けば、今までで最も人とすれ違ったかもしれない。居住者が少しずつ増えているという意味では「復興」は進んでるのかもしれない。しかし、僕の手元には線量計がある。今日は浪江町滞在約6時間半で積算2.96μSv。これまでと比較して少なめではあるが、埼玉よりも常に数倍〜数十倍の値を示していた。そこで生活する人がいる。頭の中は混乱したままだ。

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 尚、2日間で1200枚以上という膨大な数の写真がありますが、それはまた後ほど掲載したいと思います。

<続く>

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