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2019年夏、浜通り取材 寂しい雲梯

「有料」とありますが、基本的に全て無料で読めます。今後の取材、制作活動のために、カンパできる方はよろしくお願いします。

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<続き>

富岡第二小の敷地内に入ったのは、2017年11月のこと。それ以来、何度か前は通っているが、中には入らなかった。今回、久しぶりに敷地内に入って撮影したかったが、体育館の片付けが始まり作業員が出入りしており、やむなく外から撮影するだけにした。行政にお願いして校舎内に入れないかと考えているが、解体が決まった以上、もう無理かもしれない。

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緑に覆われた校庭の向こうに、見覚えのある像が見えた。

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以前とはまた違って見える。

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(2017年11月撮影。この頃はRICOHのコンデジを使っていた)

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朝礼台もサッカーボールもそのままだ。…少し位置が変わったかな?

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(2017年11月撮影)

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(雲梯が寂しく見えた)

…これだけの緑に覆われていては、作業員がいなくても校庭に入るのは躊躇ったかもしれない。草を掻き分けて進めば、当然ズボンに様々なものがくっつく。植物と放射性物質と。それを払うのはとてもめんどくさい。

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美しい風景だが

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この辺りの線量は大体0.4〜0.7μSv/hほどで推移していた。

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(宙に浮く警告看板)

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天気は曇っているが、この日の気温は34度。まさに蒸し風呂だ。滝のような汗を流しながらただ歩く。500mmのペットボトル3本を3時間ほどで飲み干した。

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王塚神社。4月に見たが、ここには鳥居はあっても奥には跡形もない。いずれ再建されるのだろうか。

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浜通りで安倍のポスターを見ると妙な気分になる。

「日本の明日を切り拓く」

福島の明日は切り拓けますか?

これを貼った人はどんな気持ちなのだろう。安倍が本気で福島のために何かしてくれると思っているのか。自分たちの意思で何かを変えようとは思わないのか。

7月の参院選で、20時になると同時に自民党森まさこの当選が決まった福島。対する野党統一候補は電事連をバックにもつ国民民主党。震災後も、福島第二原発の再稼働を望む人(多くは高齢者)がいたという事実。廃炉で食ってくと決め、祭りやイベントにはJAEAが積極的に参加し、帰還者や移住者、来訪者と積極的にコミュニケーションをとる富岡町。原発事故が起きた後もズブズブの関係は続く。

…いいか悪いかを部外者の僕は言える立場にない。東電や行政、政治家を批判しても、そこに住む人は批判できない。

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ここは4月にも訪れた。この左側では家屋の解体が行われていた。傾いたままのミラーが切ない。

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東電タワーは富岡のランドマークだ。

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この動物病院も廃墟

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歩道のあちこちに伸びた雑草がこの町の空気を物語る。向こうに見えるホームセンターも廃墟だ。

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綺麗な花が植えられてはいるが。

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富岡川。10月の台風19号ではどうだっただろう。これから2ヶ月の間に土手はどこまで整備されたのか。右に見える復興公営住宅は無事だっただろうか。あそこには移住してきた若い親子も住んでるはずだ。

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メルヘンな廃炉資料館。しかしここからはおぞましい念しか感じない。時間もあったので行こうかとも思ったが、イライラしそうでやめた。

ちなみにこの敷地内は0.4〜0.7μSv/h、駅前では最も空間線量が高い。本来なら18歳未満や妊婦は歩いてはいけない線量だ。それが避難指示解除された場所の現実で、東電はそんな場所に言い訳のための施設を建てている。賠償費用には回さずに、この施設を建てた。

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回転寿司アトムも相変わらず。富岡に来るたびに撮影しているが、ここも実は解体が決まっている。聖火リレーまでには実行されるのだろうか。

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(アトム越しにさくらモールを臨む)

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(NTTも廃墟のまま)

この時期に富岡を歩くのは初めてだったが、クソ暑い中、緑が不気味なほど綺麗なのが印象的だった。そして、想像以上に虫が少ない。放射能の影響かはわからない。僕は、人の生活が戻っていない(少ない)ことが影響してるんじゃないかと思ってる。

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さくらモールには夏祭りの告知。どれだけの人が来るだろう。

10kmほどの距離を撮影しながら無我夢中で歩き、ろくに休憩も取らなかったため、午後3時前には予定していた行程を歩き終え、さくらモール富岡へ着いた。エアコンで涼みつつ着替え用に700円程度のポロシャツをゲット。早速トイレで着替える。いわきのコインロッカーに着替えを置いてきてしまったのは完全にミスだったw

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しばらく休憩したのち、いつもより一本早い電車でいわきへ戻ることにする。この喫茶店?廃墟もそのままだ。

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(廃墟)

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(廃車)

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ここは解体されることもなく、自然に朽ちていくのだろうか。

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帰りの電車から、稲作が再開された様子が見て取れた。米が無事でも、ここで働く人はどれだけ被曝するだろう。

4月の取材では大雑把に表現して「怒り」がイメージされたため、え〜ほん展では赤い空の「紅」を描いた。そこに何か別の要素を入れて津山での個展で公開したいと思い取材したわけだが、色は緑になっても、やはり全体的なイメージは変わらない。怒りと悲しみ。無理をして違った要素を盛り込んでもおそらく違和感しか感じない。これはこれで、今の率直な想いとして制作に取り組んでいくべきと思った。

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いわきの三越へ行くと、デパ地下ならぬデパイチで酒屋と総菜屋を見つけた。そこで食事と酒を買い込み、この日の夜は経費節減で部屋呑みとしけ込むw

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鳥もつ煮がうまかった。つぶ貝の刺身はイマイチだったなあ。さて明日は浪江。

<続く>

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