強く推す理由。
いま、個人的に強く推している催しがある。
来週、7月2日(火曜日)に開催されるこれだ。
「くにちゃん」は、大阪に住む橋本久仁彦さんのこと。
長年、人の話をきくことを探求されていて、僕は師匠だと勝手に思っている。
「ミニカン(未二観)」というのは、橋本さんの仕事の一つで「辿る」というやり方で人の話をきき、録音した15分間の語りを文字起こしして、それを時間をかけて丁寧に読み解いていく、というもの。
普通、人は自分のしゃべったことをいちいち聞き返したりしない。
まして、文字に起こすことなど、インタビューを受けるような立場でもなければ、まずない。
けれど、そうすることで見えてくるものがある。
「あ、こんなことしゃべってたのか」という発見もあるし、未二観の場合、そこにある他のもの、例えば、物音や鳥の鳴き声、ウェイトレスさんの存在などが不思議と語りに同調してくるのも観察できる。
なにより、「辿る」ことをしてもらったときには、自分の言葉が他の人の言葉でさえぎられないから、言葉の自重だけでころころと転がっていく。時間や空間の言葉を繰り返しながら、最初に現れた言葉がどんどん意味を、そして視界を広げて豊かになっていくのがわかる。
僕はここで紹介される「辿る」という聞き方を知って「きくこと」のみならず「他者と関わること」の奥深さを学んだ(そのことで「人間になった」とよく言われる)。また、奥さんとの間ではよく「未二観」をして、夫婦のいざこざを沈静化させている。
今回の会を主催するのは、その奥さんだ。
案内文には、この場をひらいた動機が語られている。
私の母には妹(私からみて伯母)がいます。
小さい頃はよく遊んでもらって、とても嬉しかった記憶があります。
彼女は私が小学生くらいの頃、統合失調症を患いました。
遠方に住んでいることもあり、
特に関係することもなく長年過ごしていましたが、
最近症状が悪化したのか
感情が高ぶるたび、母に電話するようになりました。
ある日私も一緒に電話を聞いたところ、
その内容に衝撃を受けました。
怒り、叫び続けている彼女の言葉のほとんどが
事実に基づいたものではありませんでした。
会話もまともに取り合ってもらえず、
ただ、困惑するばかりでした。
伯母の苦しさだけはよく伝わってきました。
私の中のおばさんは、今でも笑っているのに
目の前の、人が変わったようになった
その人の声にたいへん心が痛みました。
全く別の世界に生きているような、
会話もまともに通じ合えない状況ですが、
それでも、私の大切な人です。
なんとか彼女の声に耳を傾けることはできないだろうか。
どう接したらよいのだろう?
橋本さんにご相談したところ
"それは、ミニカンだよ"
とのお返事を頂きました。
言葉では通じ合えなくなってしまった人と、どう接したらよいのだろう?
これは、病を患った人とかかわる人だけでなく、多くの人に共通する問いではないかと思う。
僕はこれまでも奥さんがひらく場の応援をしてきたが、今回の会に並々ならぬ思い入れがあるのも、自分自身にこの問いに強く共鳴するところがあるからだ。
たとえば、クレーマーと呼ばれる人もそうかもしれない。
たとえば、職場の中の困った人もそうかもしれない。
たとえば、認知症になったお年寄りもそうかもしれない。
たとえば、けんか中の夫婦だって、そうだと思う。
自分の世界の言葉と、相手の世界の言葉とが決定的に噛み合わないとき、人は苦しくて悲しくて寂しい。
そんなとき、他者の声をどう聞き、接するのか。
意味をやりとりして「合意形成」するためのコミュニケーションだけでは、それは不可能だ。
僕は「未二観」がそれを可能にする、少なくともその可能性を秘めていると考えている。
なぜなら、自分たち夫婦が「未二観」によって、その向こうに行ったから。
その意味で、この場は、次のような人たちにお勧めしたい。
家族や身近な人のことで真剣に悩んでいる人
相手の言っていることが全然わからないし、言われれば言われるほど腹が立ったり、悲しくなったりして「話にならない」と絶望している人。
かく言う僕も、昨年の夏は、奥さんとその状態にあった。そして、先の橋本さんに「未二観」をしてもらうことで、そこから脱した。それがなければ、離婚していたと思う。
「支援」について考え、悩んだことがある人
相手を心配したり、手出しをすることは、本当にその人のためになっているのだろうか。自分だけが気持ちよくなっているんじゃないか。
福祉の現場でよく聞かれるこのテーマについて考えたり、悩んだりしたことのある人は、ぜひご一緒させてもらいたい。
叔母さんにどう接したらいいか。奥さんが抱える問いを共にすることで「支援」と呼ばれる営みがなんなのか、自分たちは一体なにをしているのか、見えてくるのではないかと思う。
「未二観」に関心がある人
「未二観」を体験したり、紹介したりする場は少ないながらもいくつかある。けれど、今回のように具体的な事例に即して「どう実践するか」が語られる場は稀だ。この場を共にすることで「未二観」についての理解がぐっと深まるのではないかと思う。
以上、まとめて言うと「本気で困っている人」には、本当に明るい知らせが届けられるのではないかという予感があって、僕は主催の奥さん以上に熱を入れて、この催しを勧めている。
会場は、名古屋市千種区の西念寺。
「聞法」を大事にしている浄土真宗のお寺さんで、いつもとても居心地がいい。
7月2日(火曜日)10時から。
まだお席あるようです。よかったら、ぜひ。
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