そこに人がいるということ (5)
(前回の記事はこちらから)
2015年からの自営業と結婚生活は、思っていたようには進まなかった。
出だしこそ順調だった㐧二音楽室も、次第にお客さんが集まりづらくなり、生活していくためのお金について、夫婦で話し合うことが増え、時にそれは猛烈な言い争いになっていった。
やっぱりここでも孤独な受験は続いていて「勉強ができる子」から「仕事ができる男」に移ったモデルは「お金が稼げる旦那」にすり替わった。
いいところを見せたかった。
そう思えば思うほど、結果が伴わずにみじめな思いをした。
橋本久仁彦さんのクラスにも、相変わらず通っていた。
この頃になると、はっきりと「僕は人と関わっていない」ということが明らかになってきていた。
でも、どうしたらいいか分からない。
そして今年、結婚生活は破綻寸前のところまで来た。
あまりにも疲れて「もうどうでもいいか」とすら思った。
関係を切り離して、次に進むのには慣れている。
そんなボロボロの気持ちのまま、長野の女神山に行き、『魂うた』ファシリテーターの合宿に参加した。
数年ぶりに本郷綜海さんと『魂うた』の仲間たちに再会して、僕は、自分の身の上を話した。
それは、いままでしたことがないことだった。
話しはじめるとすぐに、涙がこぼれた。
それから三日間、僕はワーク中も、終了後にも、いろんな人から温かい言葉をもらった。
同じような境遇だった頃の話をしてくれた人がいた。
耳が痛いけど、大事な盲点をついてくれた人がいた。
自分では出口がないと思えていたことを「抜け出せる」と断言してくれた人がいた。
そのどれもが、特に頼んだわけでもないのにしてくれたことだった。
自分たちだけで煮詰まっていたときには全く見えなかった「救い」がそこらじゅうにあった。
そんな立場で聴いた『魂うた』は、いままでとまるで違った。
よく知っているメンバーが唄う『魂うた』は、彼、彼女の人となりと重なって、いつもより深く胸に響いてきた。
がんばれ。負けるな。
そんなふうに思っているところに、綜海さんの天から貫くような
「諦めるな!!」
という叫びが轟いて、僕が唄っているわけじゃないのに涙があふれた。
三日間ずっと、だれと話しても、以前より身近に感じた。
いつも一人で帰りたがる僕が、同じ方向の友達に「いっしょに帰らない?」と声をかけて、四時間、お互いの人生を語って、泣いたり笑ったりしながら帰ることになった。
そして、この記事はようやく冒頭に戻る。
すごいことが起きていた。
このファシリテーター合宿について、仲間が書いてくれた投稿が全部自分に響いているのだ。
自分がしてきた経験が、別の角度から光を当てられて豊かになっていく。
「全部いいなあ」と思えて、書いてくれた人に感謝の気持ちが湧く。
もっと言うと、他人が書いたことなのに他人事とは思えない。
こんなことは今までなかった。
はっきり言って、革命的な変化だった。
(つづく)