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ドアを開けられない(ドア・病気・制服)

 君は、何れかドアを開けましたか。
 そうであれば、君は幸いです。

 僕たちの生きている現在は、過酷です。
 どう過酷なのかは今更書き連ねる必要すらないと考えますが、あえて言うならば、僕には僕の、君には君の辛さが存在している。それは他人から見たら取るに足らないものかも知れません。ですが確かに、今、辛いのです。生きているだけで辛いのです。生そのものが、苦しみの大きな渦中の一滴なのです。
 だから、君は、僕たちは断言していい。
 辛いのだ。苦しいのだ。
 それでも生きているのです。

 何故でしょうか。
 僕たちは一般的に、内面はひた隠しにし、外面で何とか体裁を保って実生活を送っています。外部に見えている僕たちは、さしずめ仮面と制服のようなものです。皆が皆、奇妙に生真面目にマスカレードをしているのです。
 内面を隠す理由は単純です。誰にも理解されないからです。それどころか不用意に内面を見せると必ず傷つけられるからです。僕たちは自分を分かってくれる人を求めます。しかしそれは無理な話です。相手の内面も見えないうちから、相手を理解できる人間など存在しないからです。また、内面というのは果てしなく深く、暗いものです。本当の意味でそれに触れたいと思う人間はいません。自分自身ですら、表層を漂うばかりなのに。
 それでも救いを求め続けます。自分も分かり得ず、他人も分かり得ず、ただただその妄執の炎に、欲望に身を焦がされ続けるのです。
 それはやがて祈りになります。全身を信仰に捧げるような、殉教者のような祈りです。
 ですが、やはり叶いません。
 かくして僕たちは全員病気になります。己の目を潰した状態で、真っ暗闇で、嘆き続ける存在となるのです。

 僕は先ほど、己の目を潰した状態で、と言いました。
 そうです。
 実は解決の糸口はあったのです。
 それはドアでした。
 四方八方に存在したドアです。前にも後ろにも、左右に上下に、無限にありました。それは未来に、過去に、そして現在に続いていました。沢山の自分の可能性に繋がっていました。そして最後のドアは、自分自身の奥深くに繋がっていました。
 そのドアを開け、最奥への道を少しでも辿るのならば、その先に外部との繋がりが見えたはずです。そう。自分を開くことが出来たかも知れないのです。相手が相手自身のドアを開いてくれるかは分からない。ただ、自分は自分のドアを開くことができる。開いて、待つことができる。
 そのはずでした。
 しかし僕たちはそれを開けませんでした。それもそのはず。その開き方を僕たちは、あえて忘れたのです。自分を守るために。外部から。自分自身から。
 更に僕たちは、外面に傷つき、生き辛さを抱え、自分の目を潰すことで生きながらえているのです。

 而して、僕たちは生きている限り、何れのドアも開けられない状態になっています。
 でも何故でしょう。何故こうしてまで、僕たちは生きているのでしょう。
 どうしたら良いのでしょう。
 誰か教えてください。
 救いは、あるのでしょうか。

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