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教師の存在意義とは

若手から中堅への過渡期といったところだろうか。
自らの教師人生を振り返り、今後の在り方を模索していきたいと思う。

さて、2回目のテーマは「教師の存在意義」である。

お堅いテーマにしてしまったが、これは自分の中で大事にしておきたいことの1つである。

教師が教室にいるのは、どうしてだろう。
勉強を教えるため、子供を指導するため、集団を管理するため、・・・
色々なことが考えられるが、本当に大切なことはちがうだろう。

僕が教室にいる意義は、子供たちに教えてもらった。
共に学ぶこと、共に笑うこと、そして「共に居る」こと。
これが、僕が教室で子供たちとできることである。

重松清さんの「青い鳥」の中で、先生が子供たちの傍らにそうっと寄り添う姿が描かれている。
寄り添うということは、僕にはできないかもしれない。でも、「共に居る」ということならできそうだ。

学力向上、体力向上、道徳、英語、ICT、・・・
めまぐるしく揺れ動く社会の中で、揺るがない芯をもって子供たちの傍らにいよう。いや、教師自身も揺れ動いていいのかもしれない。共に揺れ動きながら、前に進んでいけばいいのではないだろうか。

教師の存在意義は、まだまだ模索中。


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