私の正解は、誰かの不正解
若手から中堅への過渡期といったところだろうか。
自らの教師人生を振り返り、今後の在り方を模索していきたいと思う。
さて、 6回目のテーマは「私の正解は、誰かの不正解」である。
教師になって数年経つと、自分の「やり方」が見えてくる。
授業の仕方や子供への関わり、教職員との付き合いなど…。
上手くいくと、それが自分の「正解」だと思うようになる。私も初任校で数年経った頃、自分の「やり方」が見えてきた。
ここまではいい。問題はここからである。
自分のやり方を「正解」だと思うと、他のやり方が「不正解」だと感じてしまう。
例えば、規律を重んじることを「正解」だと思えば、自主性を重んじることを「不正解」だと感じ、「あの先生、ゆるいよなぁ。」となってしまう。その逆も然りである。
では、どうすればよいのか。
私は2つ考えている。
1つ目は、フラットにする習慣を身に付けることである。物事には、良い面も悪い面もある。ふり幅が大きくならないように、±0に戻るようにするのだ。
2つ目は、自分の「正解」を柔軟に変えていくことである。もちろん、大事にしている所をすべて変える必要はない。しかし、周りに目をやると、多くの「正解」があることに気づく。だからこそ、自分自身を見つめ直し続けることが必要ではないだろうか。
私が「正解」だと思っていることは、誰かにとって「不正解」かもしれないのだから。
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