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ダメな日こそ「まぁ、いいかの精神」で割り切る

みなさん、こんばんは。【話を聞く人】をしているおかぴと申します。
記事を開いていただきありがとうございます。

noteでは私が考えていることを毎日発信しています。
今日は「まぁ、いいかの精神」について綴っていきます。

ここ半年くらいはマイペースでコツコツと生きることを大切にしてきました。焦らないで一歩ずつ、たとえ落ち込んで二歩後ろに下がったとしても、ゆっくりとゆっくりと生きてきました。

どうやらゆっくりペースは私に合っているようで、稼ぎは少ないものの心が満たされていると感じる日が多くなってきた気がします。美味しいご飯においしいと言えたり、身近な人に感謝を伝えたり、愛情を持って他人に接してたりと、どこか余裕も出てきた気もします。

そんな風にのんびりと暮らしていると、徐々に「自分との向き合い方」も変わってきました。

これまでは
・自分の欠点があるから直さないといけない
・前向きに頑張らないといけない
・ダメな日でもその中でベストを尽くさないといけない
と考えていました。

ただ、最近では
・今日はなんだか気分がいいな、少しだけ頑張ってみよう
・どうやっても自分は自分なんだな、のんびりいこう
・ダメな日だけどそんな日もあるよな、養生しよう
と考えるようになってきました。これが「まぁ、いいかの精神」です。

文字に起こしてみると、隠居生活をしているおじいさんのようですね。笑
肩の力が抜けたというか、世間に囚われないスタイルに変わってきた証でしょう。

人生だから良い日もあれば悪い日もある。前向きに努力しようとするのも良いけれど、大切なのは自分が自分でいること。その方が落ち着いて物事に取り組めるし、パフォーマンスも結果的に良くなってくる。そう思います。

今日読んだ棋士の羽生善治さん著『瞬間を生きる』でも同様のことが書かれていました。↓

集中できるか、集中できないか。深く考えられるか、考えられないかは天気みたいなものだ。晴れの日もあれば雨の日もあったり、雪の日もあったり、全然駄目という日もあったりする。その日になってみないとわからない。だからものすごく駄目な日であっても、一年間の中では「まぁ、そういう日もあるか」と割り切る。

羽生善治著『瞬間を生きる』

もちろん私が感じている「まぁ、いいか」と羽生さんの「まぁ、そういう日もあるか」は背景にある経験や思考の深さに雲泥の差があることでしょう。
それでも、普段から高みで戦っている人にも駄目な日があって、割り切ることを大切にしているのだなと感心させられました。

今回は「まぁ、いいかの精神」を紹介しました。紹介しておいてなんですが、意外と難しいことだなと思います。
まぁ、いいかと思うことは自分に過度の期待をしないことでもあります。社会のプレッシャーもあり、人はどうしても期待に応えよう、もっと良くなろうとしてしまうものです。

期待に応えるために自分に期待しないことを課すわけですから、難しいことです。特に働きながら実践することは難しいことだと思います。
いきなり「まぁ、いいか」は難しいので、少しずつ練習していくのが大切です。まずは頭の中に「まぁ、いいか」と割り切る選択肢を組み込むことから始めたら良いのではないかなと思います。

よかったら試してみてください。それではこのあたりで失礼します。また明日も前向きに生きてみます。

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