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ムダな時間なんて存在しない

みなさん、こんばんは。【話を聞く人】をしているおかぴと申します。
記事を開いていただきありがとうございます。

このnoteでは私が考えていることを毎日発信しています。

今日は「時間の過ごし方」についてお伝えしていこうと思います。

”時間の過ごし方”と聞くと、連想されるのは

・1日を無駄に過ごさないようにするには
・人生を有意義に過ごすには
・自分の時間を過ごすには

といった話でしょうか。これからの題材で書かれた本も良く売られていて、ベストセラーになっているものもありますね。
私も昨日『自分の時間』という実用書を読んでみました。

時間のとらえ方や実際の1日24時間の過ごし方など、具体的に考えるヒントはたくさん掲載されていて、ためになる本ではあります。

ただ、読了後に感じたのは、「1日をムダに過ごさない=何かをやることが大切なのか?」という疑問でした。

「時間の価値」や「24時間をどう使うか」など、時間について真剣に考えることも大切ですが、もっと他に、それこそ本質的な部分で大切なことがあるのではないかと思ったのです。

考えた結果わかったのが、ムダな時間など存在しないということ。

そもそもムダな時間と考える時点で、何か生産的なこと、経済効果があること、もしくは自分自身を喜ばせるようなことをやらなければならないと意識してるのだと思います。
いつかは死んでしまう、限られた人生の中で、何かを為すことで後悔しない人生を送れるのだと思い込んでいるのでしょう。

でも、この発想自体おかしいと感じます。

人間は社会のために、他人のために、自分のために生きているのではなく、生きるために生きているんです。

何かを為さなくても生きている。今の社会で役に立つことができなくとも生きている。
生きることに価値があるかどうかは知りません。それでも、ただ生きていることはムダな時間ではないと確信しています。

確信できるのは、人間がその瞬間瞬間を生きていると知っているからです。

それこそ近所のカフェの壁際席でこの文章を書いていて、からっぽになったコーヒーカップを見て、そろそろ切り上げるころかな…と感じているのは私だけです。

同じように、今日は何もできなかったと布団で横になっていたり、こたつむりになっていたりするのもその人だけの特権です。
それに、超超々細分化して考えてみたら、呼吸のために肺を動かして、どこか見るために首を動かして…とやっていることは皆大差ありません。

大差はないけど、その瞬間を自分のものとして味わえるのは自分しかいないんです。

これを知ってしまえば、ムダな時間といっている人たちは実は時間を自分の体感ではなく、成果や実績でしか感じられないのだろう、とも思えてきます。
ムダな時間を過ごしてしまった…と嘆く必要もないのだと思えてきます。

もっとこうしろ、前に進まないとダメだぞと言われる浮世だからこそ、きちんと私自身はこの世で生きている実感を持っていたいです。

それではこのあたりで失礼します。また明日も前向きに生きてみます。

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