ロシア・ウクライナ・ベラルーシの宗教史16 ロシア・ウクライナ・ベラルーシの教会の現在
1.はじめに
今回で【ロシア・ウクライナ・ベラルーシの宗教史】は最終回です。今回は最後のまとめとして、ソ連崩壊から現代にいたるロシア、ウクライナ、ベラルーシの教会の現在の事情を見ていきたいと思います。
2.ロシア~「事実上の国教」となるロシア正教会~
1990年10月1日、ゴルバチョフ政権下で制定された「良心の自由と宗教団体に関する法律」によって、市民の信仰の自由と宗教団体の活動の自由が保障されました。これによって非正教系のキリスト教諸派や非キリスト教系の諸宗教の布教活動が活発化し、ロシアは宗教的に多元な社会へと向かい始めました。これに危機感を覚えたロシア正教会は、「非ロシア的・非伝統的」宗教の活動の規制を政府に要求するようになります。
ロシア正教会と政府との数度にわたる協議の末、1997年9月26日、「信教の自由および宗教団体に関するロシア連邦法」が発効しました。この新宗教法では、ロシア連邦は「世俗国家」とされながら、ロシア正教会については「ロシアの歴史、その精神性および文化の形成と発展における正教の特別な役割を認める」という一文が添えられました。これによって、ロシア正教会は「事実上の国教」としての地位を確固たるものとしました。さらに、同法では、ロシア正教会以外の宗教団体には様々な条件のある「再登録」を義務化し、「非ロシア的・非伝統的」宗教・宗派を規制しました。
「大国ロシアの復活」を掲げたプーチン政権が誕生すると、ロシア正教会もその国家的課題を担う姿勢を示しました。総主教アレクシー2世は、ロシアの再生は「神が啓示された道徳的価値観へと国民を立ち帰らせる」ことによってのみ達成されると強調しました。
アレクシー2世が亡くなり、2009年に新たに総主教に選出されたキリルの時代になると、政府とロシア正教会の関係はますます深いものとなっています。政府はクレムリン内部に総主教専用の「執務室」を設け、ロシア正教会もキリル総主教が政府による同性愛の取り締まりを歓迎するなど、緊密な関係にあることが伺われます。
しかし、国家と教会の深い関係は、ロシア正教会の世界的孤立をもたらしています。2018年、新たに「ウクライナ正教会」が発足し、コンスタンティノープル総主教が自治独立権を正式に承認すると、ロシア正教会はこれに反発し、コンスタンティノープル総主教庁との断絶を宣言しました。さらに、2022年のロシアによるウクライナ侵攻に対し、キリル総主教が政権支持を表明したため、世界中の正教会のみならず、ローマ教皇までもがキリル総主教を非難しています。
3.ウクライナ~3つの教会が併存~
1991年の独立当初、ウクライナには4つの教会組織が存在していました。①ロシア正教会の下部組織であるモスクワ総主教庁系ウクライナ正教会、②ソ連崩壊後にモスクワ総主教庁から独立して成立したウクライナ正教会・キエフ府主教庁、③ロシア革命直後に誕生したウクライナ自治独立正教会、④1596年のブレスト教会合同で成立した、ローマ教皇の首位性を認めつつ東方典礼を維持する合同教会、です。
このうち、ウクライナ正教会・キエフ府主教庁とウクライナ自治独立正教会は、ウクライナ独立直後から合同を模索していました。1992年6月、両教会による合同宗教会議が行われ、総主教としてムスティスラフ・スクリプニクが選出されました。しかし、ムスティスラフは教会法に抵触する違法な決定であるとして合同を拒否し、その後、彼が亡くなると、両教会は別々の総主教を擁立するようになりました。
その後、2018年にようやく合同が成立し、新たに「ウクライナ正教会」が発足します。それまでの両教会は世界的に公認されていませんでしたが、翌年コンスタンティノープル総主教はウクライナ正教会の自治独立権を正式に承認し、独立教会としての地位を確固たるものとしました。
ロシア正教会に属するモスクワ総主教庁系ウクライナ正教会についてですが、当初は最大の信者数・教区数・修道院数を誇る教会でした。しかし、2014年のクリミア併合とドンバス紛争によって、ウクライナにおけるナショナリズム・反露感情が高まった結果、ウクライナ正教会・キエフ府主教庁への信者流出が起こりました。現在では両者の信者数は逆転しています。なお、2022年のロシアによるウクライナ侵攻以後は、モスクワ総主教庁との関係を断ち、「完全な自治と独立」を宣言しています。
最期に合同教会についてです。1989年の合法化後、合同教会は教区を再建し、勢力を拡大していきました。現在では、リヴィウ、テルノピリ、イヴァノ・フランキウシクの西部3県において、主要教会の地位を確立しています。さらに2005年には首座がリヴィウから首都キエフへと遷座され、「キエフとハーリチの総大主教」となりました。
しかし、正教会との関係は微妙なままです。1996年にリヴィウで開かれたロシア正教会の協議会では、合同教会を誕生させたブレスト教会合同の無効化が要求され、2001年のローマ教皇のウクライナ訪問では、正教徒による数千人規模のデモが行われました。合同教会はウクライナ正教会・キエフ府主教庁とは友好関係を維持してきましたが、ロシアとの関係が強いモスクワ総主教庁系ウクライナ正教会、反カトリックが強いウクライナ自治独立正教会とは敵対的関係となっています。
4.ベラルーシ~正教とカトリックの共存~
ベラルーシでも、1980年代以降に宗教再生の動きが出てきますが、ベラルーシ人の大多数はロシア正教徒というアイデンティティを持っていたため、ロシア正教会からの分離独立は目指されませんでした。また、カトリック系住民は穏健な少数派であり、一部の民族派知識人は合同教会にベラルーシの民族理念を見出そうとしますが、大衆から支持を得ることはありませんでした。
ベラルーシの正教会は「ベラルーシ正教会」と呼ばれていますが、あくまでもロシア正教会の「ベラルーシ支部」にとどまっています。礼拝は基本的にロシア語で行われ、府主教もロシアから送り込まれています。一方、カトリック教会では礼拝はポーランド語、聖職者もポーランドから派遣されています。
現在、ベラルーシ国民の80パーセント以上が正教徒、8パーセントがカトリックを信仰しています。しかし、日常的に礼拝に参加する人は正教で3パーセント、カトリックで12パーセントしかおらず、多くの人は年に何回かの祝日を祝う程度です。ルカシェンコ大統領も「正教無神論者」を自称しており、正教よりの立場ではあるものの、決して信心深いわけではないようです。
このように、教会が民族的アイデンティティと結びつき、民族主義的・愛国主義的様相を呈しているロシアやウクライナと違い、ナショナリティと宗教が結びつかず、信仰熱心というわけでもないのが、ベラルーシの特徴です。裏を返せば、正教とカトリックが平和的に共存し、宗教問題が起こりにくい状態にあるともいえます。
5.まとめ
最期に、ロシア、ウクライナ、ベラルーシの宗教の特徴をまとめて終わりたいと思います。
①正教というアイデンティティ
改めてになりますが、ロシア、ウクライナ、ベラルーシでは、キリスト教の中でも「正教会」と呼ばれる教会が多数派を占めています。これはキリスト教世界がラテン文化とギリシャ文化に分化していき、1054年以降教会分裂に至ったことで成立した教会です。ローマ・カトリック、そして後の生まれるプロテスタントとも異なる宗派を信仰し続けたことが、ロシア、ウクライナ、ベラルーシにおいて独自のアイデンティティを形成しました。
②国単位の教会組織
正教会は基本的に国単位で教会組織を形成します。このため、歴史的に世俗権力とどのような関係を構築するのかが極めて重要な問題でした。また、こうした事情により、その民族アイデンティティと結びつき、民族教会となりやすい傾向にあります。このため、ロシアとウクライナの民族的対立、国家間の対立は正教会の分裂をも招きました。
③合同教会という存在
ウクライナ、ベラルーシはローマ・カトリック教会と正教会の2つの宗派圏の境界に位置していました。そこで誕生したのが、両教会の合同によって成立した合同教会(ユニエイト教会、ウニアート教会、ギリシャ・カトリック)です。ウクライナ、ベラルーシには、正教会ともカトリックとも違う合同教会に独自の民族アイデンティティを見出そうとする人々もおり、この地域に特徴的な存在となっています。
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全16回にわたって、ロシア、ウクライナ、ベラルーシのキリスト教史を見てきました。今回の連載は、ユダヤ教、イスラムをも含めた総合的な宗教史にすることも構想していたのですが、あまりにも裾が広がってしまうため、キリスト教史に限定することにしました。また、また、キリスト教関係でも取り上げられなかったトピックが多くあります。それらについては、また別の機会にまとめたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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