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鳩間島、鳩間節・その②

南風が私の帽子のツバを押し下げて、一瞬視野が狭くなり、我に帰った。

八重山地方では2月~3月に田植えをして6月~7月に稲刈り、翌月にはまた田植えをして11月に稲刈りをする。いわゆる「二期作」が行われている。
「二期作」とは同じ耕地で1年の間に2度同じ作物を栽培し収穫することである。
「二毛作」とは同じ耕地で1年の間に2種類の異なる作物を栽培することであり、似て非なるものだ。

鳩間中森の丘に立ち西表島の方向を眺めると、静かに波立つ真っ青な海に、緑が沸き立つ西表島が見えた。
この色彩に加え、船に乗った黄金色の稲が浮かぶ景色を想像する。
当時の鳩間島の人たちは、ここからの景色を見る度にこの上ない幸せの瞬間だっだろうと思いを寄せた。

ケースから手早く三線を出し、西表島の方向に向かって深呼吸をする。夏空の空気を胸一杯に含み、高々と三線を響かせ鳩間節を歌う。解放感からか、いつもよりノドが開いて思うがままに高音の声が出た。
私の歌三線は鳩間中森を駆け降りて、リボンの様に伸びやかに西表島に向けて次から次へと飛んでいく。
弾むようなリズムや明るい三線の音の響きは豊作と安泰な生活を喜ぶ島の人の歓喜の声のように私の心に響いた。
鳩間節を歌いながら思い出したことは、不思議と思い通りに鳩間節を弾けなかった時の自分だった。練習の毎日は牛歩のようで、はやる思いに指はついてこない。ただコツコツと時間をかけるしかなかった。
同時に「そんなこともあった」と自己流の練習で一度挫折した事を、流すようにクスクスと笑えた今の自分に気づく。

三線と共に沖縄の旅をして、ことある毎に歌うなら鳩間節だった。
私が鳩間節を歌えば、聴いている人は笑顔になり、笑顔は拍手を呼び寄せ、会話の輪が生まれた。会話は途切れず、またみんなで笑いあった。
ようやく形になった私の歌三線に合わせて、誰かが躍りを踊ってくれないだろうかと欲が出る。観客として「鳩間節」を観る機会があった時に感じたことであるが、鳩間節は独唱だけでなく、琉球舞踊「鳩間節」として目でも楽しみ、耳でも楽しむことでより一層味わいが深まるのだ。

「鳩間節」は笑顔の種である。

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