医者が顧問弁護士ならぬ顧問医師を契約してみた

ここ数年医療現場での相談が増えてきたのと、プライベートや会社の仕事でも体や医療に関する相談を受けることが増えてきました。

専門外のことでも対応できるように、顧問医師をお願いして契約しました。
しかも嫌な以前の上司にです。
好き嫌いを乗り越えた先に、成長の可能性と新しい世界が開けました。

相談は最近トータルで1ヶ月30回くらいいただく時もあります。

医療現場では主に、この病気は何なのかという診断だったり、どう治療すればいいかといった相談だったりします。

お相手は、主に医師です。
最近では、外科医、消化器内科医、総合診断医、精神科医、整形外科医、耳鼻科医などですね。
作業療法士の時もあります。
骨折から、癌、感染症、はたまたリハビリに至るまでありとあらゆる相談がきます。

バッターボックスに立ったら、ボールが真上からや、キャッチャーから、と言ったあらゆる方向からボールが飛んでくる感覚です。

また、プライベートや会社の仕事関係では、
個人の体調相談から、関係のある方のクライアントの相談などです。
大体難しいのが多いのと、責任が重いです。ミスると人間関係がなくなりますからね。

ご相談全て、医療現場でも会社も基本一人で仕事していて、僕が決済しています。
わからなかったら知り合いの医師に頼んで教えてもらっていたりしましたが、
全ての領域を一人でカバーできるわけではないこと、フィードバックを得て学習していきたいと思ったので、
定期的に相談できるように顧問医師を契約しました。

その医師は、僕が研修医の頃の内科の指導医でした。
クソ研修医だった当時、その科は合わなかったですし、ぶっちゃけその先生も嫌いでした。残業代も出なかったし。

でも、悪い思い出とは別に、教えていただいた内容は真っ当だったのと、その後の仕事でもかなり生かしていたんですよね。
つまり、人として合わないけど、言っていたことは正しいし、有用だったという奇妙な状態にありました。
で、一人で仕事している今こそ、相談に答えたり、僕が成長するために必要であると思うようになりました。

普通の人は、合わなかったらそれで終わりと思いますが、嫌いな人と会いたくないですよね。

僕はそうは思わなかったんですよね。
一人で仕事して、一人で自由に生きているうちに、考え方が変わってきました。
嫌な感情は単なる感情で、揺れ動くものだけど、
有益と考えるなら、変わらないと思うようになりました。

そうなると、嫌いな人に対する嫌いという感情から降りることができるようになります。

好きか嫌いかは関係なく、自分の人生にとって意味があるかどうかが大切になってきます。

あと、好きか嫌いかって紙一重なところがありますよね。
相手も新しい職場についてわからなかったのかもしれないし、
睡眠不足で全てを敵に見ていたり(可能性が多いにある)、

残業代が出なかったのも、脱法行為なのは置いておいて、本質的には僕のせいだったかもしれません。僕がまともに仕事をしていなかった(と受け取られていた)からかもしれない。

ランダムな出来事での印象がベースになり、どんどん解釈が積み上がり、印象が形成されていったりすることもあります。

物事の因果は偶然で複雑で、自分自身の感情の作られ方にも思いを馳せる必要があります。
でないと、世界で本当は何が起こっていたのか真実を知ることはできません。

同じような昔話があります。
一休さんの元になった、室町時代の僧、一休宗純は、兄弟子の春浦宗熙を目の敵にして粘着バッシングしました。春浦宗熙は京都の大徳寺という寺の40代目(一番上の役職)になっていましたが、応仁の乱で荒廃した寺の復興のために必要とのことで、なんと!大徳寺48代目に一休宗純を推したのでした。

僕も心が決まったので、9年ぶりに連絡をとって、お願いをしてみました。トライアルを1ヶ月して、問題なかったので継続しています。
色々相談に乗っていただき、昔と全然違った関係になっています。

新たな発見がありました、駆け出しの頃合わないと感じた時、自分が何を誤解していたのかもわかりました。
その医師の考えの核となるようなことも話せるようになりました。
以前の関係とはガラッと変わりました。

彼の専門は総合内科ですが、
僕の専門領域の知見と合わせてハイブリッドで起動することで、
相談事例に対する分析、知識や観察が信じられないくらいの力を帯びます。

例えば、
熱があって血液検査で異常があり、画像を撮ったらこんな異常があった、という患者がいたとします。
僕が、画像の医療からは、A ,B ,C,Dの病気が考えられると言ったら、
彼は、血液検査での異常からは、C ,D ,E ,Fという病気が想定され、A,Bは考えにくいと言います。
懐中電灯で照らしている向きが違うので、重なったところに宝があるかもしれないということです。

次に、C,Dが考えやすいが、C,Dについて矛盾するところはどこか、もっと情報は得られないかと言った議論になります。
彼は、この検査があればもっといいといい、僕はこの検査があると、Cでないことがわかる、など純粋にテイラーメイドのカスタマイズが続きます。

考え漏らしがミスにつながりそうな落とし穴を検討したり、追加の文献を引用したりと、
「あ、本気でやるとここまでクオリティは上げられるんだ」と気づきました。

世界が変わった瞬間でした。今まで限界だと思っていた扉が開かれ、ウンウン前に進まなかった沼から道に歩き出すことができました。

誰もやったことがないと思うし、何にも金銭的な利益にならないけど、
定期的に話し合う場を作るために、金を使うと歯車となって持続的に買えない利益を得られるというのは、経営をやっていて幾度も経験してきたので、今回も応用しました。

ただ、うまくいっているのは、僕自身が変わったからというのもあるし、彼も変わったというのもあると思います。
当時のそのままだったら今この有意義な相談体制は成り立たなかったでしょう、
そういう意味では今だからこそと思います。

大人になってからの成長は、フローチャートばかりで楽するぬるま湯から、きついことを自分で切り開かないと得られないのかもしれません。