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【読んだ】人が死なない防災

おすすめ度 ★★★★★

私は防災マニアなので、防災関連の本は10冊以上読んでいるけど、これがベストかもしれない。
胸に迫るエピソードと、著者の熱い信念にグッときた。

もちろん知識やデータの量と質もしっかりしているのだけど、何より「一人ひとりが命を守ることに主体性をもつ」という防災の本質をついているのが良かった。


釜石の奇跡

聞いたことがあるかもしれない。
東日本大震災で、釜石市のとある地区は津波で壊滅的な被害を受けたが、この地域の小学生と中学生約3,000人はほぼ全員生還。
99.8%という生存率を出したことから「釜石の奇跡」と呼ばれるようになった。

著者は、震災前から釜石で防災教育をしており、震災後も何度も訪れている。「釜石の奇跡」当日の行動についても詳しく足取りを追っている。
これが、ただデータをもとに書き起こしているのではなく、一人ひとりの顔が浮かぶほど、詳しい。
校長や教頭、近所の人たちの話、子どもたちの意見。
ずっと現地と交流して関係を築けていたからこその内容だ。

また、99.8%に入れず犠牲になった5人の子どものエピソードも、一人ひとり書いている。
病気で休んでいて避難できなかった子、母親と買い物をしていて亡くなった子、一人暮らしのおばあちゃんを助けようとして家具の下敷きになった子…
読んでいて涙が出てくる。

この子達には、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。命を守ってあげられなかったのですから。
(中略)私は、この五人のことを生涯忘れず心に止めて、これからの防災をやっていこうと思っています。

人は基本的に「避難できない」

正常性バイアスという言葉がある。(作中では「正常化の偏見」)
「自分は大丈夫」と思い込むことで心の平穏を保とうとする人間の特性だ。

緊急地震速報が鳴っても「この前も鳴ったけど大丈夫だったし」
津波警報がなっても「このあたりはハザードマップで大丈夫だったし」

震災前の気仙沼市では、津波警報で避難した人はたった1.7%だという。
意識の低さがどうとかではなく、人間はそういうもので、自分の死を前提に物事を考えない、と思った方がいい。

想像してみてほしい。
例えば、地下鉄に乗っていて大きな地震にあったとき。
率先して避難行動ができるか?
「みんな逃げろ!」ということができるか?
スマホを見て、周りの反応を見て、周りが冷静を保っていたら、自分もそういう顔をする。「大丈夫、この辺は津波こないらしいよ」と聞こえたら、それを信じたくなる。車内アナウンスもないし、パニックになってると思われたくないから大人しく待とう。。。。

だからな、人間っていうのは元来逃げられないんだ。みんなが「大丈夫だよな」といいながらその場にとどまっていると、全員が死んでしまう。
だから、最初に逃げるっていうのは、すごく大事なこと。

そう教育してきた釜石東中学校のサッカー部員たちは、すぐに大声で「津波が来るぞ!逃げるぞ!」と叫びながら、逃げた。それをみて、他の中学生も逃げた。それをみた小学生も逃げた。それを見たおじいちゃんおばあちゃんたちも逃げた。

どれだけ勇気がある行動か、自分に置きかえて想像するとわかる。

「災害過保護」の日本

日本は災害に強い国だと思う。
災害大国だし、大きな災害のたびに法律や対策が見直され、改良してきた。

だけど、人々の防災意識はどうだろう?

釜石市では、過去の津波を教訓に(当時)世界一の防潮堤が作られた。
しかし、それにより「この堤防があればもう大丈夫」だと思った住民は避難せず、東日本大震災で大きな被害を受けた。

どうすればよかったのか?
今度は想定をさらに上げて堤防を作る?日本史上最大の津波は85メートルあるのに?
津波がくる可能性のある場所にすべて防潮堤を作れば、日本の沿岸は壁で囲まれてしまう。

日本の防災は、何が間違っているのだろうか。
私は、根こそぎやられてしまった被災地の瓦礫の中を歩きながら、考えました。なんでこんな事になってしまったんだろう。何が悪かったのか。
(中略)
自然は我々に大きな恵みを与えるとともに、時に大きな災いをもたらします。それは、行政が想定した規模を超え、人為的に作り出した防御施設を遥かに凌ぐ大きさで襲いかかることもありえます。(中略)しかし現状は、行政主導で邁進してきた防災の中で、住民には「防災は行政がやるもの」との認識が根付いており、災害に対する安全性を行政に過剰なまでに依存し、そして自分の命までも委ねてしまっている状態にあるのです。

この主張は本を通して何度も繰り返されている。
強く、とても強くこの主張に同意したい。

脅しでも、知識でもない防災教育

震災の何年も前から著者は試行錯誤しながら防災教育をしてきた。
そこで「必要なのは脅しでも、知識でもなく『姿勢』の防災教育だ」という本質に行き着く。

私も、子育て防災をテーマに何度か防災教室を開いたことがある。
地元熊本が被災した年、娘が1歳だったころだ。

色々と工夫する中で、「怖いことたくさん言われると夜眠れなくなっちゃう」「不安が増しちゃう」と言われたことがある。これは脅しの教育だ。脅しの効き目は短い。
また、「まずはどのグッズを買えばいいですか?」「どこに避難すればいいですか?」と正解をただ質問してくる人もいた。これは主体性がない、知識の防災教育だ。

防災を考えるに当たり、わたしたちは主体的な姿勢をもつ必要がある。
子どもが1歳のときと、5歳のときでは、必要な備えが違う。
妊婦のときとそうでないとき、マンション暮らしと一軒家、親戚が近くにいるときと遠方にいるとき、自宅にみんないるときと旅行先にいるとき…
命を守るための行動は異なる。

他人事にせず、他人任せにせず、主体性を持って考える必要があるのだ。

なんでそこまでしなきゃいけないかというと、それは日本に暮らしているからだ、としか言いようがない。

火山があって、海があって、美味しい魚や温泉がある。寒暖差や大雨があって、美味しい野菜が食べられる。
そのいいところだけを享受しつつ、災害に見舞われる可能性だけを、うまいことどこかの誰かが排除してくれるなんて、都合のいい話はない。

逆を言えば、何年、何十年かに一度のその災害を乗り切ることができれば、美しい自然と美味しい食べ物でほくほく生きられるんだから、むしろラッキーじゃない?とも思える。
そう思えばちょっと頑張ってみるかと思える。

あぁ、防災を語りだすとこうして長くなっちゃうんだよな。
具体的なところに言及できないまま一杯書いてしまった。

もっとちゃんと知りたいと思った人は、ぜひこの本読んでみてください。「姿勢」がかわるはず。

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