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イラスト名建築ぶらり旅 with 宮沢洋&ヘリテージビジネスラボ⑲

裏方聖職者が残した女王のティアラ

今回の行き先
函館ハリストス正教会

「函館ハリストス正教会」は函館に観光に行く人が必ず行くであろう名所である。正式名は「函館ハリストス正教会 復活聖堂」。
函館山のふもとにあり、元町と海を見下ろす好ロケーション。国内の教会をたくさん見てきた筆者だが、この教会はモダニズム以前の教会建築の中で飛び抜けて美しいと思う。まるで雪の女王のティアラのようだ。

実はこの教会のイラストリポートを書くのは2回目になる。前回取材したのは8年前の2015年だった。物書きの端くれとして、同じことは2度書きたくない。なので、今回は函館ツウの人も建築ツウの人も知らないような突っ込んだ話を書く。この連載ももうすぐ20回なので、読者の方もディープな物語についてきてくれると信じている。

現教会は二代目、設計は河村伊蔵

まず、前提として知っておいてほしいガイドブック的な話を少々。
 
現在の函館ハリストス正教会の建物は、1916年(大正5年)に建てられた二代目だ。初代聖堂は1907(明治40)年に函館大火で焼失。それを建て替えたものだ。

写真1 函館山に上るロープウエイから見下ろす

「聖堂内部は高い丸天井や当時ロシアからもたらされたイコン(聖像)やイコノスタス(聖障)が、聖堂外部では真白な漆喰壁や鐘楼と聖堂の緑青がふいた屋根に独特の装飾で据えられた十字架などが特徴」と、教会の公式サイトにはある。

写真2 南側外観

セルギイ主教の下で設計を担当したのは、河村伊蔵(かわむらいぞう、1865~1940年)だ。今回、突っ込みたいのは、どの紹介記事でもサラッと書かれているか、あるいは全く触れられていない「河村伊蔵」という人についてである。この人(今回はあえて「建築家」ではなく「人」と書く)は、筆者がとても共感する人生を歩んだ人なのだ。

写真3 塔を見上げる

聖ニコライが気づいた河村の才能

河村伊蔵を語る前に、聖ニコライ(1836~1912年)についても知っておいてほしい。東京に住む人なら、神田の「ニコライ堂」をご存じだろう。そのニコライだ。
 
函館は、日本における正教会(キリスト教の教派の一つ、東方正教会とも言う)の第一歩となった場所だ。江戸幕府はロシアと1855年に日露和親条約、1858年に修好通商条約を締結し、箱館(現在の函館)を開港。この年、初代ロシア領事ゴシュケヴィッチが箱館に来航し、1860年、丘の上のこの場所にロシア領事館を建てた。そのとき、セットで建てたのが初代ハリストス正教会だ。
 
翌年(1861年)、青年だった聖ニコライがロシアから来日。この教会の司祭となる。函館で約10年、伝道の足掛かりをつくった後、1872(明治5)年に東京・神田に拠点を移し、日本全国で正教会の伝道を始める。

そして主役の河村伊蔵。この人も函館の人ではない。1865年、現在の愛知県南知多町に生まれた。河村は1883年、18歳のとき地元の内海正教会(現存せず)で洗礼を受け、モイセイ河村伊蔵となる。
 
その後、東京に移り、神田の正教会の学校で学ぶ。副輔祭として聖堂の庶務に就き、不動産や財産の管理を担当するようになる。20代半ば頃には、ニコライ堂(東京復活大聖堂)の建設にも携わったとみられる。ニコライ堂はミハイル・シチュールポフの原設計、ジョサイア・コンドルの実施設計で1891年に完成した。
 
やがて、河村自身が各地の聖堂建設の陣頭指揮を執るようになる。河村に目をかけ、そうした役割を与えたのは聖ニコライだったことがニコライの日記などに書かれている。

非建築出身の大器晩成型

河村はもともと正教会の庶務係だったわけである。専門的な建築教育を受けた形跡はない。ロシアにわたって本場のハリストス正教会を見たという記録も残っていない。独学の営繕課長のような人だったのだ。
 
記録に残る河村の実績で古いのは、「松山ハリストス正教会」。これは1908年完成(現存せず)で、43歳のとき。現存するもので有名なのは「豊橋ハリストス正教会」で、1913年に完成した(国の重要文化財)。2年後の1915年に「白河ハリストス正教会」が完成。翌年に集大成ともいえるこの函館ハリストス正教会が完成した。約70年後の1983年に国の重要文化財となった。

なぜ筆者が河村の人生に共感を覚えるかというと、1つには河村が正式な建築教育を受けていないからだ。私事になるが、筆者も文系出身である。そしてもう1つは、代表作が50歳前後で完成した大器晩成タイプであること。これも、50歳を過ぎて「画文家」として独立した筆者としては、大いなるロマンを感じてしまう。

息子、孫へと受け継がれた審美眼

さらに1つ付け加えると、河村はおそらく天才タイプではなかった。庶務担当として数々の教会の現場に立ち会い、実地で建築の技術やデザインを学んだ。そして、その経験によって突如、設計に目覚めたわけではなく、地道な努力の人だったと思われる。

写真4 屋根まわり

なぜそう思うかというと、現在の長司祭であるクリメント児玉慎一さんが「近年の研究によって、河村伊蔵がロシアの教会事例集のようなものを丹念に調べて設計していたことが分かってきた」と教えてくれたのだ。
 
なるほど、それで合点がいく。建築教育も受けず、ロシアを視察したわけでもない河村が、あれほど高密度なデザインを実現できたのは、元ネタがあったのだ。確かに河村が参考にしたと見られる事例集には、函館ハリストス正教会と似た教会の図面があって、2つの建物のいいとこ取りをして設計したようにも見える。
 
悪い意味で言っているのではない。丹下健三だって村野藤吾だって、時代を切り開いてきた建築家はみな、海外の作品集を擦り切れるくらい研究していた。よく言われることだが、「学ぶ」の語源は「まねぶ」である。
 
ちなみに、息子の内井進は父親をサポートしながら建築を学び、「金成ハリストス正教会」などを設計した。そして、孫の内井昭蔵はフリーの建築家となり、「世田谷美術館」、「蕗谷虹児記念館、「浦添市美術館」、「吹上御苑新御所」などを手掛ける昭和を代表する建築家となった。もし聖ニコライが伊蔵の建築センスを見抜かなければ、孫の昭蔵も建築家にならなかったかもしれないのである。

レンガ造の塔を「見えない補強」

そして、そうしたことが語れるのも、建物が残っているからだ。そこには後世の人たちの地道な努力がある。
 
今さらになるが、今回、この教会を取り上げるのは、2020年から3年にわたり進められていた聖堂保存修理工事がほぼ終わったからだ。耐震補強を含む工事の設計を、文化財建造物保存技術協会とともに、日建設計が担当した。
 
「国の重要文化財なので、どこに何をしたのか、全く気づかれない改修を目指しました」。そう文化財建造物保存技術協会の内海勝博さんが言うように、8年前に取材した筆者も何が変わったのか説明されないと全く分からない。
 
大きなところでは、レンガ造の塔を補強している。それは上部の鐘の部分まで上がると分かる。

写真5 塔に上る階段。一般公開はされていない。

塔の屋根部分は、リング状の鉄骨で固め、塔の足元の部分はレンガの構造壁に穴をあけ、アラミド繊維を差し込んで地下に新設したコンクリートのおもりに接合。地震時の建物の浮き上がりや倒壊を防ぐようにした。

写真6 鐘の上部にぐるりと鉄骨補強(白塗装)が施された

保存修理では、銅板屋根をふき替えたほか、聖堂内のイコノスタスの補修、床の花ござの再現などを行った。

写真7 改修後の聖堂内

これらは工事中、敷地入り口の門扉に丁寧な解説が掲示された。グッジョブ。

写真8 門に設置された工事の解説図

見えない網戸が素晴らしい!

機能アップした部分もある。聖堂側面のアーチ窓に網戸を入れたのだ。これは児玉長司祭の強い要望で実現したもの。実は、今回の取材でこれに一番感動した。アーチ窓はもともと二重窓であったため、外側のガラスと内側のガラスの間のスペースに網戸を入れた。窓を開けていても、網戸の存在が全く分からない。

「虫のことを気にせず、窓を開けられるようになりました」と児玉長司祭もうれしそう。これぞ「使う」ための保存技術!
宝石は毎日使って、手をかけるからこそ美しい。そんなことを思った今回の取材であった。


■建築概要
函館ハリストス正教会
所在地:北海道函館市元町3-13
設計:河村伊蔵
構造:レンガ造、建築面積150.9㎡、階数:平屋建て+八角塔屋
完成:1916年(大正5年)

■令和の改修
設計:文化財建造物保存技術協会+日建設計
施工:曲小小倉工務店・小野建設・山建中川組共同企業体
施工期間:2021年3月~2022年12月


取材・イラスト・文:宮沢洋(みやざわひろし)
画文家、編集者、BUNGA NET編集長
1967年東京生まれ。1990年早稲田大学政治経済学部卒業、日経BP社入社。建築専門誌「日経アーキテクチュア」編集部に配属。2016~19年、日経アーキテクチュア編集長。2020年4月から磯達雄とOffice Bungaを共同主宰。著書に「隈研吾建築図鑑」、「誰も知らない日建設計」、「昭和モダン建築巡礼」※、「プレモダン建築巡礼」※、「絶品・日本の歴史建築」※(※は磯達雄との共著)など

西澤 崇雄
日建設計エンジニアリング部門 サスティナブルデザイングループ ヘリテージビジネスラボ
ダイレクター ファシリティコンサルタント/博士(工学)
1992年、名古屋大学修士課程を経て、日建設計入社。専門は構造設計、耐震工学。
担当した構造設計建物に、愛知県庁本庁舎の免震レトロフィット、愛知県警本部の免震レトロフィットなどがあり、現在工事中の京都市本庁舎整備では、新築と免震レトロフィットが一体的に整備される複雑な建物の設計を担当している。歴史的価値の高い建物の免震レトロフィットに多く携わった経験を活かし、構造設計の実務を担当しながら、2016年よりヘリテージビジネスのチームを率いて活動を行っている。



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