⑩「ゲイオリンピック」とディーン・ピッチフォード
東京五輪の開会式、閉会式、どちらもがっかりしながら見ていた。世間の酷評に自分もエコーしてるし、この催しのプロデューサーはどういう気持ちで世間にこれを出そうと思ったのだろうって感じ。。。全体的なストーリー性の欠如、日本の歴史や文化を伝えようという欠片もない「薄っぺらい」演出、どうしようもないほどの安っぽさ(使用している機材や衣装なんかも、これまでの他の五輪開会式と比べてそんなにお金がかかっていない印象を受けるんだけど)。ドローンの演出だって2017年のスーパーボウルでレディー・ガガが出演したハーフタイムショーだったり、平昌でも使用されてたでしょうが。そして「見ればわかる」と言っていた復興五輪のエッセンスはいずこ・・・
小さい頃からショーが大好きだった。オリンピックのオープニングセレモニーなんて、4年に一度の祭典の幕開けなもんだから、子供の自分はもうテレビに釘付けになって興奮しながら見ていたような気がする。だから本当にがっかり。夢も希望も与えない、誰に何を伝えようとしているかもブレブレの、悪夢のようなセレモニーを今回見せられて、この今を生きる子供たちはどんな気持ちになったんだろう。「コロナより怖い」腐りきった政治に動かされている日本は最悪だなーって思うよな。誰かが謝って済む話でもない。誰かが辞めて済む話でもない。日本人の「しょうがない」体質が文明をこんな状態まで運んできてしまったのかな。
84年ロス五輪。僕が生まれる7年前。この時はLAコロシアム(1923年に作られ、2028年の夏季オリンピックでもメイン会場として使われる予定)にロケットマンが着陸して式の幕が上がるという演出だ。その後、流れ出すのはマーヴィン・ハムリッシュ(「コーラスライン」「私を愛したスパイ」)の作曲によるオープニングソング「Welcome」だ。わくわく感がすごい。一方で東京五輪は葬式のようでしたね・・・ラークリモーサー・・・ラークリモーサー・・・って聞こえそう。
この「Welcome」(上の動画では8:30あたり)を作詞していたのが今日ご紹介するディーン・ピッチフォードという人です。
学生時代、そしてステージキャリア
1951年7月29日生まれ。米・ハワイ(ホノルル)出身。この記事では、音楽情報サイト「Songfacts」でのインタビューと、ディーン自身のウェブサイトの記載情報を基に彼のレジェンダリーな人生を記載していきまーす。ちなみにホノルル生まれと書いていますが、ひとつトリビアがあって、ディーンはバラク・オバマ元大統領が生まれる10年前に彼と同じ病院で誕生したそうです。
ディーン・ピッチフォードは作詞家としての名声が世に広く知られていますが、脚本家、劇作家、映画監督、俳優でもあったります。彼が手掛けた曲をまとめたハイライト動画がYouTubeにあがっているのでご紹介しますね。「フットルース」「ヒーロー」などは誰しも聞いたことがある曲なのではないでしょうか。
では、経歴を紐解いていきます。ディーンは69年にイェール大学に進学(専攻は英文学)。大学1年生の夏休みにはハワイの旅行ガイドの編纂を手伝うバイトをします。一方で、幼いころからホノルルのコミュニティシアターの舞台に立っていた彼は大学の演劇サークルにもちょくちょく顔を出していたようでしたが、この同じ夏「Godspell」というミュージカルのオーディションをグリニッジ・ヴィレッジ(いわずと知れたゲイ・フレンドリーなネイバーフッド)に受けに行き、見事オフ・ブロードウェイの劇場で上演されるこの舞台に出ることが決まりました。そのためイェール大学があるコネチカットからニューヨークのマンハッタンに引っ越した彼。勉学に熱心で、朝4時30分に起きてはグランド・セントラル・ステーション駅から早朝の電車に乗って大学があるニューヘイブンに通学(片道1時間40分の道のり)し、午前中いっぱい授業を受け、その後マンハッタンに戻り舞台に上がるという生活を送っていました。おーつらい。朝が苦手な僕ならどっちかはあきらめるね。
大学卒業後は、「シカゴ」「キャバレー」を生み出した名振付師・映画監督のボブ・フォッシーに見出され、ミュージカル「ピピン」でなななんとタイトルロールを演じます。この大ヒットミュージカルで主役を演じたことは、才能ある多くの作曲家やアーティストと知り合う機会を彼に与えます。アラン・メンケンや、彼と並んで映画音楽そしてミュージカル音楽界のレジェンドであるスティーブン・シュワルツ(「ウィキッド」「ポカホンタス」「ノートルダムの鐘」)、そして僕の尊敬するゲイ・レジェンドのひとりであるピーター・アレン(お歌の先生がディーンと同じだったんですって)と出会います。ピーターのヒット曲"Not The Boy Next Door"は彼の生涯を描いたミュージカル「ザ・ボーイ・フロム・オズ」の中でも歌われますが、この曲はディーンが作詞しました。2004年に「ザ・ボーイ・フロム・オズ」でヒュー・ジャックマンがトニー賞主演男優賞に輝いてますね。
映画「Fame」での成功とアカデミー賞
さて、ディーンです。1980年、彼は作曲家マイケル・ゴアとタッグを組んで映画「フェーム」に楽曲提供を(ディーンは作詞を担当)するのですが、この映画のこと、実は彼のことを調べる前には聞いたこともなく、、お恥ずかしいことにすみません・・・ちなみに「フェーム」はニューヨークを舞台にしたスターを夢見る若者たちの青春物語とWikipediaにありまして。そんな感じらしいです(笑)
ふたりが手掛けた曲のうち、アイリーン・キャラ(「Flashdance... What a Feeling」の歌手)が歌ったタイトルトラックがアカデミー歌曲賞を受賞。驚きですね。ディーンは30歳でオスカーを手にします。また、この曲は世界的に大ヒットし、アイリーン・キャラを一気にスターダムに押し上げることになりました。※この曲のバッキングボーカルにはルーサー・ヴァンドロスが参加していました。
「I Sing the Body Electric(電気がみなぎるほど歌う)」という曲もまたこの映画を彩るのですが、アメリカの偉大な詩人であるウォルト・ホイットマンの同性愛的な抒情を詠んだ詩集『草の葉』の一遍からインスピレーションを受けてディーンが作詞したそうです。
「フットルース」
81年にワーナー・ブラザーズ・パブリッシングと専属契約を交わしたディーンは、様々なアーティストとコラボレーションをはじめます。キム・カーンズの"Don't Call It Love"(彼女の大ヒット曲「ベティ・デイビスの瞳」と同じアルバムに収録され、のちにドリー・パートンも歌った曲)、メリッサ・マンチェスターの"You Should Hear How She Talks About You"、ジャーニーのスティーヴ・ペリーとケニー・ロギンスのコラボ曲"Don't Fight It"など、この辺は洋楽に詳しい人じゃないと知らないかもですが、つぎつぎに名曲の詞を生み出します。あとはあれね、カレン・カーペンターの最期の録音曲"Now"ね。ひばりに「川の流れのように」があったように、カレンに「ナウ」あったのよ・・・って書くと、ディーン先生が秋元康っぽくなっちゃうわね一気に。
カレン・カーペンターの最期のレコーディング映像が残ってる。涙、、、
さて、彼のキャリアを語るうえで絶対に避けては通れないのが映画「フットルース」です。ケニー・ロギンスが歌ったこのタイトルトラックが大ヒットしましたよね。ディーン・ピッチフォードはこの主題歌だけではなく、この映画で歌われる全トラックの作詞、そして脚本を手掛けました。「フットルース」はダンスとロックが禁止されたアメリカの田舎町に引っ越してきた若者の愛と青春を描いた作品なんですが、実際にオクラホマ州のエルモアシティで約80年間に亘って続いた「ダンス禁止令」が撤廃されたというニュースを見聞きしたディーンが着想を得て制作されたようです。
映画は84年に公開され瞬く間に大ヒット。時はMTVの最盛期でした。音楽と映像が絶妙にマッチしたこの作品は、MTVという新しいエンターテインメントに沸いている多くの若者の支持を集め、サウンドトラックもまた当時のビルボード・アルバム・チャートで第1位に。それまでチャート1位だったマイケル・ジャクソンの名盤「スリラー」を蹴落として、10週連続でアルバム・チャートのトップに君臨しました。また、シングルカットされたケニー・ロギンスの「フットルース」はシングル・チャートで3週連続1位。この他にもサントラから多数の曲がヒットチャートを席巻したのですが、こんなことは最近めったにないですよね。
"Footloose" - 84年2月発売 全米チャート第1位(ケニー・ロギンス作曲)
"Holding Out for a Hero" - 同年4月発売 第34位(ジム・スタインマン作曲)※アイルランドで1位、英国で2位、日本でも麻倉未稀がカバーしヒット)
"Let's Hear it for the Boy" - 同年4月発売 第1位(トム・スノー作曲)
"Almost Paradise" - 同年5月発売 第7位(エリック・カルメン作曲)※アダルト・コンテンポラリー・チャートで第1位
"I'm Free (Heaven Helps the Man)" - 同年6月発売 第22位(ロギンス作曲)
上に挙げたように、「フットルース」のサウンドトラックは、エリック・カルメンやジム・スタインマンといった様々なジャンルのソングライターとディーンがコラボして生まれた名曲たちだったわけで曲調も多種多様ですが、僕は特にドラマティックなメロディー展開がいつも魅力のジム・スタインマン作曲による「ヒーロー」が大好き。ボニー・タイラーが歌うんだけど、"Total Eclipse of The Heart"と並んで、もう最高なんだな。
そして84年のロサンゼルス五輪。冒頭で述べたように、マーヴィン・ハムリッシュの曲にディーンが歌詞を付けました。これはゲイ・レジェンドのハワード・アッシュマンがハムリッシュとミュージカル「スマイル」を作りあげるちょっと前のことですね。ハムリッシュ・・・ゲイに囲まれているなぁ。それともこの時代に活躍していた作詞家の面々が揃いも揃ってそうだったの?そして作曲家はストレートばっかりね(笑)不思議。
その後、88年にエリック・カルメンが歌った"Make Me Lose Control"、そして90年のホイットニー・ヒューストンの"All The Man That I Need"と大ヒットを飛ばし、映画界では"Beaches(邦題:フォーエバー・フレンズ)"や"Chances Are(邦題:ワン・モア・タイム)"の挿入歌や主題歌を手掛けます。そうして30代の彼のキャリアはとても充実したものでした。なんてったって、ゲイの永遠の味方、ベット・ミドラー様、シェール様だって彼の曲を歌ったんだから。つーか、この時代の邦題のセンスよ!(笑)
夫マイケル・ミーリフとゲイゲームズ(通称「ゲイのオリンピック」)
ディーン・ピッチフォードは、マイケル・ミーリフというテレビ番組制作業をしていた人(元競泳選手)と結婚をしています。マイケルは1940年生まれ、二人の年の差は11歳です。2012年のインタビューによれば、ふたりの出会いは90年代の初頭。ディーンが作詞し、ホイットニー・ヒューストンが歌った"All The Man That I Need(邦題:この愛にかけて)"が大ヒットしていた頃です。
ディーンの夫、マイケルはかつて女性と結婚して子供もいたようなのですが、自分のセクシャルオリエンテーションとやがてしっかり向き合いたいと感じるようになり、50歳の頃にディーンと結ばれたのです。
ホイットニーの「この愛にかけて」が全米ビルボードチャート1位を走っていた頃、マイケルが仕事の傍らで所属していたスイミングチームの仲間から「この歌、君のことを唄ってるんだろ~?ヒュ~ヒュ~💛」と茶化されていたとのことなんですが、この曲はホイットニーが歌う約10年前に、アメリカの歌手リンダ・クリフォードのためにディーンが詞を書いたものでした。当時、悲しい離婚を乗り越えたリンダが、新たなパートナーと出会い再婚するのを祝した「はなむけの歌」だったそう。
ちなみにマイケルが所属していた水泳チームはいまも現存していて、LGBTQやハンディキャップを持つ人を中心となったダイバーシティを尊重するスポーツクラブで、現役の第一線から引退した選手たちが主に所属し、マスターズの競技会などに出場しているんですね。「WH2O(ダブリュー・エイチ・ツー・オー)」という洒落たチーム名で、マイケルは90年の1月、49歳の時にこのチームの輪に加わりました。
マイケルはその後、マスターズワールドレコードを出すという大快挙をやってのけていて、その時の大会というのが、LGBTの選手たちによる世界最大規模のスポーツの祭典「ゲイ・ゲームズ」でした。90年に開催された「ゲイ・ゲームズ」バンクーバー大会で50mおよび100mバタフライのマスターズ新記録を樹立。時はエイズがまだ世界の脅威であり、同性愛者が不当な差別を受けていたころです。今では多くのスポーツ選手がカミングアウトして、立派な活躍と共に世の中に受け入れられていますが、当時はスポーツ選手であることとゲイであることはいわば二律背反することで、マイケルのこの快挙は、自身のセクシュアリティを隠して生きる多くのスポーツ選手たちに勇気や希望を与えたのではないでしょうか。
さて、この「ゲイ・ゲームズ」ですが、2022年には香港での開催が予定されています。アジア初だそうですよ。経済波及効果は10億香港ドル(約140億円)とも言われております。ただ昨今の香港の政情変化により、開催の危機に晒されているというニュースもありました。東京オリンピックのような中途半端な形にならずに、4年に一度の祭典として華やかに、世界にアピールできる機会になればいいですね。
水泳選手とアーティストの同性カップルと言えば、最近は「編み物王子」と世間で話題になった飛び込みのトム・デーリー君と、ダスティン・ランス・ブラックのカップルですかね。ダスティンは脚本家で、2009年にショーン・ペン主演の映画「ミルク」でアカデミー脚本賞を受賞しています。「ミルク」は78年に暗殺されたカリフォルニア市議でゲイの権利活動家であったハーヴェイ・ミルクの生涯を描いた作品ですね。
「アフター・オール」運命に導かれて
さて、ディーンが作詞した曲の中で僕がいっちばん好きなのは、シェールとピーター・セテラ(シカゴの元ボーカルですね)のデュエットソング"After All"です。上でも述べていますが、映画「ワン・モア・タイム」の主題歌でした。この映画、若き日のロバート・ダウニー・ジュニア(「アイアンマン」)が出ていて、んもお超絶に可愛いんですよ!!まじまじ!
ストーリーは、交通事故で愛する人を亡くした女性が20年後、生まれ変わったその彼(ロバート・ダウニー・ジュニア演じるキャラクター)に再会し、ふたたびの恋が始まる・・・という流れです。ここからネタバレが含まれるんですが、、、最後は生まれ変わってきた彼ではなく、20年間彼女のそばで支えてくれた男性とハッピーエンドを迎えるんですね。「亡くしたはずの彼との再会」が運命なのではなく、「悲しみに暮れていた自分を献身的に支えてくれた男性との絆」が真の運命であるという、そういうテーマでこの"After All"をディーンは作詞したんですね。僕は当初、この曲のテーマは前者の方、つまり「死んでもいつか再び結ばれる」ということだと思っていたんですが、もっと現実的な「支え合う愛こそが真実であり、恋人たちの運命だ」という曲なんですよね。。。浅はかでしたわぁ・・・
最後に。この曲についてディーンはあるインタビューで、面白いことを語っています。愛する夫マイケルと、香港の宝石ショールームに訪れたときのこと。仲の良い女友達にパールのイヤリングをプレゼントしようと、ガラスケースを眺めていたら、天井のスピーカーからこの曲のメロディが流れてきて、ディーンは驚いて天井を指さしていたそうです。ポカンとする店員に夫マイケルが「この曲を作ったのは彼でね」と説明すると、店にいた人はみんな驚いて彼にサインを求めたり、写真を撮ったりと大変なことになったそうです。こういう偶然話ってホント好きで、人生は小説よりもストレンジだなといつも思います。
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