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    ゲイ術に生きた人たちをご紹介します。皆さまのゲイの肥やしになりましたら幸いです。

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②三浦春馬とハーヴェイ・ファイアスタイン

僕がはじめてアメリカに行ったのは2015年。社会人になって、ちょうど1年ぐらいの頃だ。デルタ航空でシアトルまで飛んで、そこから乗り継いでアリゾナ・フェニックス空港に降り立った。その時、独りで行こうとしていたのはセドナ。何でだったのかな。ちょっと前に安室ちゃんとロンブー田村氏がデート旅行で訪れた場所として日本でも知られていた。パワースポットなのよね。「ボルテックス」という大地のエネルギーが湧き出すヒーリングスポットで、有名な岩場が4つほどあるんだけど、確かそのうち3つは制覇した

    • ⑮メアリー・ルノーとアレクサンドロス大王

      三島由紀夫は、太平洋戦争の終戦から6年後の1951年12月、世界一周の旅に向けて横浜港から出航した。朝日新聞の海外紀行の連載にあたり、その特派員として作家は旅立ったのだった。そして27歳の誕生日をニューヨークで迎え、その後パリでは現地の詐欺師に騙され一文無しになったのち、ギリシャ・アテネに到着する。1952年の春。三島にとってギリシャは「眷恋の地」、つまり恋焦がれ憧れた場所だった。この一連の旅行記はのちに『アポロの杯』として刊行された。 ――眷恋の地、ギリシャ。 僕はイタリ

      • 2022年を振り返る:Will To Power

        ◇1月 新たな街に引っ越し、新たな仕事の内定を得る。 身辺整理していたらあっという間に過ぎた。 ダスティ・スプリングフィールドの"Go Easy On Me"をめちゃくちゃ聴いていた。 ◇2月 退職。ぼろぼろの、縁が欠けた、私の心の器を作り直す期間。 【読んだ本】 ・スーザン・ソンタグ『反解釈』 ・ジッド『一粒の麦もし死なずば』 【見た映画】 ・「パワー・オブ・ザ・ドッグ」(ジェーン・カンピオン監督) 【はじめて行ったサウナ】 ・黄金湯(錦糸町) ・改良湯(渋谷)

        • ⑭デヴィッド・ゲフィン この世で一番リッチなゲイ!(後編)

          前編はこちら(前編はこちら) 故郷ニューヨークへ戻るゲフィンに比肩する日本人、というと少し大げさだけど、エピック・ソニー(山口百恵から郷ひろみ、松田聖子も所属したレーベル)の創始者である丸山茂雄は日本の音楽業界の雄とされていまして、ゲフィンとは同年代人です。ちょうどいま日本経済新聞のコラム『私の履歴書』でフィーチャーされています。 かつてクライヴ・デイヴィスが率いたCBSレコードは、日本のソニーとの合弁で、1968年に「CBS・ソニーレコード」というレコード会社を起こし

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        ②三浦春馬とハーヴェイ・ファイアスタイン

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          15本

        記事

          ⑬デヴィッド・ゲフィン この世で一番リッチなゲイ!(前編)

          ハリウッドのムービー&ミュージックシーンとゲイカルチャーの関係史を語るときに、必ずおさえておかないといけない人物がいます。まずはジュディ・ガーランド。LGBTQ+コミュニティのアライの先駆者であり、彼女の死が「ストーンウォールの反乱」を起こしたなんて話があるくらいで。娘婿のピーター・アレン(歌手)、そして元夫のヴィンセント・ミネリ(映画監督)やマーク・ヘロン(俳優)がゲイだったけれど、他のゲイたちのバックグラウンドを辿っていくと結構な確率でジュディ・ガーランドとどこかで出会っ

          ⑬デヴィッド・ゲフィン この世で一番リッチなゲイ!(前編)

          ⑫〈キャンプ〉のキング ボブ・マッキー

          「♬わたしが~オバさんになっても 泳ぎに連れてくの~ 派手な水着はとてもムリよ 若い子には負けるわ~」という森高千里の歌の真逆を行く人たちが居ります。ちょうど10年ほど前に新語・流行語大賞にノミネートされた「美魔女」という言葉。一般的に「若い」とは言えない年齢なのに、魔法をかけたかのように美しい女性たちのことを謂いました。 この地球上に存在する数多くたちの「美魔女」、その頂点に君臨する(と私が勝手に考えている)のがアメリカの歌手・女優のシェール(本名シェリリン・サーキシアン

          ⑫〈キャンプ〉のキング ボブ・マッキー

          ⑪ダスティ・スプリングフィールドの光と影

          2021年11月、アデルのアルバム『30』が発売された。僕もこの冬30歳になったわけで、リード・シングルの"Easy On Me"のMVをYouTubeで見ながら、「ああ、30歳かぁ」と幾夜しんみりしたことか・・・そんなある晩、どういう巡り逢わせか、似たようなタイトルの歌が関連動画に出てきた。それがとてもとても良い曲で、ほんとうに心に沁みたんです。 この曲を歌っていたのはアデルと同じ、イギリス出身のアーティスト。 今は亡きダスティ・スプリングフィールドの、彼女の晩年のアルバ

          ⑪ダスティ・スプリングフィールドの光と影

          ⑩「ゲイオリンピック」とディーン・ピッチフォード

          東京五輪の開会式、閉会式、どちらもがっかりしながら見ていた。世間の酷評に自分もエコーしてるし、この催しのプロデューサーはどういう気持ちで世間にこれを出そうと思ったのだろうって感じ。。。全体的なストーリー性の欠如、日本の歴史や文化を伝えようという欠片もない「薄っぺらい」演出、どうしようもないほどの安っぽさ(使用している機材や衣装なんかも、これまでの他の五輪開会式と比べてそんなにお金がかかっていない印象を受けるんだけど)。ドローンの演出だって2017年のスーパーボウルでレディー・

          ⑩「ゲイオリンピック」とディーン・ピッチフォード

          青春とは心の若さである/2021年正月

          僕は91年の12月29日生まれだから、2021年がちょうど20代最後の年ということになる。自分の魂はもう30年に亘ってこの世に存在し続けているというわけだが、この肉体もなんだかんだ30年も生きているということになるのかぁ。僕は一回も骨折したこともなければ、インフルエンザにかかったこともないし。本当に、丈夫な体だ。 さて、昨年末から少年隊の曲を聴くようになったわけなんですが。ジャニーズ事務所を退所された錦織一清大先輩の、85年から90年代にかけての美しさに釘付けになってしまっ

          青春とは心の若さである/2021年正月

          ⑨セレブ御用達のインテリア・デザイナー ウィリアム・ヘインズ

          自分もパートナーとこんな関係でありたいな、と思ったのはエルトン・ジョンが毎週土曜日、夫のデイヴィッド・ファーニッシュに必ず手書きのカードを渡しているという話を聞いたとき。なぜ土曜日かというと、二人が初めて出会ったのが土曜日だったから。カードは必ず手書きであることが二人の決まり。とある土曜日に彼らがたとえ別々の場所で朝を迎えていたとしても、カードは必ず相手の手元に届くようにFAXで送ったり、郵送してもらっていたそう。そしてかれこれ20年近くも続けているという。 「そんなの重っ

          ⑨セレブ御用達のインテリア・デザイナー ウィリアム・ヘインズ

          ⑧人魚に声を 野獣に魂を ハワード・アッシュマン

          「ア・ホール・ニュー・ワールド」のメロディはとても懐かしい感じがする。なぜか。昔々、まだ10歳にもならなかった頃に行ったディズニー・シー。ディズニーリゾートラインの駅舎で流れていたBGMだったと思う。ぐっと心が掴まれ、今も目の前にあのプラットフォームの風景が思い浮かぶ。「アラジン」の映画は大人になるまで見たことがなかったと思うし、何がそんなに僕の心を掴んだのか。きっとアラン・メンケンによる、その音楽、空飛ぶ絨毯に揺られているかのような優しいメロディが、僕の幼心に思いがけずに魔

          ⑧人魚に声を 野獣に魂を ハワード・アッシュマン

          ⑦虹の向こうに ジュディ・ガーランドとライザ・ミネリ母娘

          東京都の「感染防止徹底宣言」の虹のステッカー、最初見たとき「はてな?」だった人いませんか。少なくとも僕は、はてなでした。虹が意味するものはLGBTの象徴、世界的にもこの認識が通っているはずです。レインボーフラッグが掲げられている店は「ゲイフレンドリーなお店」であるということを指しています。 この東京都のステッカーの目的は、都のホームぺージいわく、「感染防止徹底宣言ステッカー」を掲示することで、業種ごとに取り組んでいただく感染防止対策を実施していることが一目でわかり、利用者の

          ⑦虹の向こうに ジュディ・ガーランドとライザ・ミネリ母娘

          ⑥愛と怒り ラリー・クレイマーとファウチ博士、そしてコロナ

          日曜日の朝。R.E.Mの鬱ソング"Everybody Hurts"(1992)をジョー・コッカーがカバーしたバージョンがApple Musicのおすすめに出てきて聞いてる。 東京都は8月7日、新たに新コロに462人が感染したことを発表した。一億総鬱の日本で、本来リーダーシップを執るべき人間がその役務を果たしていない。それどころか「GoToキャンペーン」というズッコケ政府事業をやりやがるし、安倍ちゃんのgo-to guyのオミシゲちゃんはこのタイミングで「僕はGoToには当初

          ⑥愛と怒り ラリー・クレイマーとファウチ博士、そしてコロナ

          ⑤泣く子も黙る敏腕プロデューサー ライアン・マーフィー

          僕がガラケーからiPhoneに切り替えたのは大学1年生の夏ごろだったか。2010年。スティーヴ・ジョブスが生きていた時代のApple社は2007年、アメリカでiPhoneをリリースする。わずか数年でほとんどの人が1台ないし2台(会社から携帯電話を貸与される時代・・・)持つマルチデバイスとして世界を席巻するなんて、誰が予想していたことでしょう。 iPhoneは元々、音楽プレイヤーのiPodから派生したものでした。「1,000曲をポケットに」──2001年にAppleが出したプ

          ⑤泣く子も黙る敏腕プロデューサー ライアン・マーフィー

          ④君の名前で僕を呼んで ジェームズ・アイヴォリー

          「恋人と一緒に海外に行くならどこがいい?」 そう聞かれたら、僕はぜったいフィレンツェと答えるだろう。ジョットの鐘楼に上り、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂のクーポラを見下ろす。ウフィツィ美術館で迷子になりながら、これでもかというぐらいに彫刻と名画を見る。ヴェッキオ橋を渡り、金細工の指輪を買う。霧に覆われたアルノ川を越え、ピッティ宮殿と庭園をしばらく歩き回り、それからミケランジェロ広場までの長い階段を登る。広場についたらふたり腰をおろして、旧市街の夜景を眺めながらロマン

          ④君の名前で僕を呼んで ジェームズ・アイヴォリー

          ③カンヌの常連 若き天才グザヴィエ・ドラン

          大学生の頃だったかな、どうしても劇場でルネ・クレマン監督作「太陽がいっぱい」(1971年)が見たくて調べたら、京王線沿いの下高井戸シネマでやっていて、外国語の授業をサボって見に行った記憶がある。リメーク版の「リプリー」(99年)は既に見ていたんだと思う。そして原作(パトリシア・ハイスミスによる55年発表の長編小説。ハイスミスは女性同士の悲恋を描き映画化もされた「キャロル」の著者でもある)も読んでいたはず。劇場に行ったのは、アラン・ドロンをスクリーンいっぱいに見たかったからだ。

          ③カンヌの常連 若き天才グザヴィエ・ドラン