⑧人魚に声を 野獣に魂を ハワード・アッシュマン
「ア・ホール・ニュー・ワールド」のメロディはとても懐かしい感じがする。なぜか。昔々、まだ10歳にもならなかった頃に行ったディズニー・シー。ディズニーリゾートラインの駅舎で流れていたBGMだったと思う。ぐっと心が掴まれ、今も目の前にあのプラットフォームの風景が思い浮かぶ。「アラジン」の映画は大人になるまで見たことがなかったと思うし、何がそんなに僕の心を掴んだのか。きっとアラン・メンケンによる、その音楽、空飛ぶ絨毯に揺られているかのような優しいメロディが、僕の幼心に思いがけずに魔法をかけたのだろう。
メンケンのことを知ったのは仙台でミュージカルの仕事に携わった頃だ。劇団四季によるディズニーミュージカル「美女と野獣」が2015年に仙台で上演された。それまで僕が知っていたミュージカル界のレジェンドと言えば、「オペラ座の怪人」のアンドリュー・ロイド=ウェバーぐらいだった。メンケンが「美女と野獣」の音楽を手掛けた人と知り、はたまた「アラジン」の「ア・ホール・ニュー・ワールド」も、「ヘラクレス」の「ゴー・ザ・ディスタンス」も、そして「リトル・マーメイド」の「アンダー・ザ・シー」をも生み出した稀代の作曲家だということがわかった。
仙台時代、何かと理由をつけて東京に遊びに行っていた僕。友達に会うとか、ブラインドデートの相手に会うだとか、そういう目的ではなくて、お芝居やミュージカルをよく見に行った。もともと好きだったし。ミュージカルって、嫌いな人は本当に嫌いだよね。「なんでここでいきなり人が歌いだすの?!」って。いいじゃんかねー(笑)前の会社で良くしてくれたとある役員のおじさまもその一人だった。十秒で寝るって。仙台でミュージカルが開幕するとオープニングに呼ばれるんだけど、そういえばその役員は大きな体をおさめることが難しいぐらい小さな座席に窮屈になって、無理やりミュージカルを見せられていたなぁ・・・という記憶がある。
ミュージカルは舞台上だけではなく、たとえば「ラ・ラ・ランド」(2016年)のように銀幕で演じられるものもあれば、アニメーション作品もいっぱいある。ディズニーのアニメーションは大いにして、音楽があってこそだと思う。ディズニー・アニメーションは様々の名曲があって、アラン・メンケンがそれに大きな役割を果たしているのだけど、もちろん彼ひとりで創り出したものではない。歌には詞がある。より心を投影できるのは、歌詞があるから。メンケンとタッグを組んだハワード・アッシュマンという作詞家の存在がある。
あ、この人、確かゲイだったな。そう思って調べごとをしていたら、ちょうどDisney+で彼のドキュメンタリー映画を配信していた。うわー。NetflixもPrime VideoもHuluも一通り経験したのに、また新しいサブスク配信に入会すんのー・・・まるで三菱UFJとみずほと三井住友の三行の口座を持ってるのにまた新しい通帳を作るみたいなもんじゃん・・・まあ初月無料だし、入るかー。
てな感じで、見始めた「ハワード ―ディズニー音楽に込めた物語」という作品。見終わった頃にはもう胸が締め付けられて大変だった。この人はレジェンドだ。天才で、カリスマで、美しい人。そういう人に限って短命なんだから、神様は本当に残酷だ。
ニューヨークへ
1950年5月17日生まれ。米・ボルティモア出身。「リトル・マーメイド」「美女と野獣」「アラジン」・・・いわゆるディズニー・ルネサンス期(89年の「リトル・マーメイド」の大ヒットを皮切りに、99年公開の「ターザン」に至るまでのディズニーのアニメーション長編映画が再興した時代)を語る時には必ず知っておかなければならない人物のひとりです。彼の栄光の日々はエイズという病によってあまりにも短い間のものでした。
インディアナ大学で学士号を取得した後、24歳で故郷ボルティモアからニューヨークに上京したアッシュマンは出版社で働き始めます。ボルティモア時代に出会ったアッシュマンの初恋の人、スチュアート・ホワイトと共に二人はニューヨークのアパートメントで暮らしていました。出会いは19歳の夏、演劇の道を志していた二人はタフツ大学のサマープログラムで知り合い、お互いに惹かれていきました。まだまだ同性愛への世間の理解が無かった70年代から、二人は家族にもその関係をオープンにしながら付き合い出します。
ハワードとスチュアートは、77年に友人と共に「WPA劇場」という100席にも満たない小さなオフ・ブロードウェイ劇場を立ち上げ、本格的に演劇界のキャリアをスタートさせます。どちらもアート・ディレクターとして上演作品をプロデュースします。
ニューヨークでの暮らしは、ゲイであるハワードとスチュアートにとって刺激的でした。69年のストーンウォールの反乱からエイズ・クライシスに至るまでの約10数年間、思う存分に快楽を享受するのです。それが二人の間に軋轢を生み出すきっかけとなります。スチュアートは容姿端麗で、そのチャーミングな魅力を振りまきながら、様々な男性とみだりに関係を持ったといわれています。そして80年、とうとう二人の関係に終止符が打たれました。
アラン・メンケンとのタッグ
ちょうどその頃からハワード・アッシュマンはアラン・メンケンとのコラボレーションを始めます。カート・ヴォネガットの「ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを」のミュージカル化を着想したアッシュマンは、その作曲をメンケンに依頼します。WPA劇場で上演されたこの作品は批評家らから高い評価を受けます。続いて、60年に公開されたB級ホラー映画「リトル・ショップ・オブ・ホラーズ」のミュージカル版を82年に上演。当時のオフ・ブロードウェイ作品のボックスオフィス記録を更新し、アッシュマンは脚本家・作詞家としてのカリスマを発揮していきます。
順調に仕事をこなしていたアッシュマンのもとに、思わぬニュースが飛び込んできます。元恋人、スチュアート・ホワイトがエイズに罹患したという知らせでした。時は1982年、病に名前すら付いておらず「ゲイの癌」として偏見が蔓延っていた頃でした。そして83年の夏、スチュアートは若くして亡くなります。
86年になって脂がのった30代半ばのアッシュマンは、かのマーヴィン・ハムリッシュを音楽に迎え、ブロードウェイ・ミュージカル作品「スマイル」を発表します。大ヒットミュージカル「コーラスライン」(75年)の音楽を手掛けたマーヴィン・ハムリッシュは、エミー賞、グラミー賞、アカデミー賞、トニー賞のEGOTに加え、ゴールデングローブ賞、ピュリッツァー賞を受賞したレジェンドです。ほかにも映画音楽でも手腕を発揮し、バーブラ・ストライサンドが主演した「追憶」(73年)、カーリー・サイモンが主題歌を歌った「007 私を愛したスパイ」(77年)で知られています。
「私を愛したスパイ」。ハムリッシュが生み出した"Nobody Does It Better"はまじ名曲・・・歴代の007主題歌の中でもピカイチの出来だよ・・・哀愁。
しかし「スマイル」は思ったほどの評価を受けず、アッシュマンは自信を喪失することに。なお、ブロードウェイで演じられたこの作品には「リトル・マーメイド」でアリエルの声を演じるジョディ・ベンソンが出演していました。
ディズニーへの進出
その後の縁で、アッシュマン先生はウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオから仕事のオファーを受けます。もともとはカリフォルニアのスタジオに一人で乗り込んでいったアッシュマンでしたが、頼りになるメロディメーカー、アラン・メンケンとタッグを組みたいと申し出ます。
ウォルト・ディズニーが没した1966年から80年代にかけてのディズニーのアニメーション映画は長い暗黒期を迎えていました。満を持して製作がはじまったミュージカル・アニメ映画「リトル・マーメイド」は、アンデルセンの童話が原作であり、Wikipediaによると59年公開の「眠れる森の美女」以来のディズニープリンセス映画だったといいます。
アッシュマン先生は「リトル・マーメイド」のプロデュース、楽曲の作詞を手掛けます。89年に公開された本作は大ヒットを記録。アッシュマンとメンケンは「アンダー・ザ・シー」でアカデミー歌曲賞を受賞します。
ジョディ・ベンソン演じるアリエルが歌う「パート・オブ・ユア・ワールド」は、今やディズニーの名曲ランキングの最上位に入るような、人々に愛される曲です。「海の暮らしから抜け出して人間になりたい、恋をしたい」というような、そんな曲です。僕が転職活動中によく聞いていた曲でもあります(笑)
ジョディ・ベンソンに鬼指導するアッシュマン。リテイクの数は30回にも及んだとか・・・
原作の童話「人魚姫」を書いたデンマークの作家ハンス・クリスチャン・アンデルセン(1805~1875)は「みにくいアヒルの子」や「マッチ売りの少女」でも有名ですが、実は同性愛者であり、「人魚姫」はアンデルセン自身の悲恋が下地になっていると言われています。
アッシュマン自身も「リトル・マーメイド」で同性愛者としての自身の心の襞を表現しているように思えます。「パート・オブ・ユア・ワールド」は、まるで「自分もストレート(異性愛者)のように 制限を受けずに自由に愛し合いたい」というメッセージが感じ取れます。
しかし、この曲はウォルト・ディズニー社のアニメ映画部門・最高責任者であるジェフリー・カッツェンバーグの「観客が退屈するようなシーンは要らん。子どもには意味が分からない」という一言でカットされる危機に陥ります。しかし周りから、映画「オズの魔法使い」(1939年)の名バラード「虹の彼方で」もまた経営陣によってカットされる寸前だったが今では珠玉の曲になっているということ、そして同じくディズニー映画「白雪姫」(37年)で歌われ今やスタンダードナンバーとなった「いつか王子様が」にも通じるものが「パート・オブ・ユア・ワールド」にあるといったような説得を受け、この曲は命を繋ぎます。結果として「リトル・マーメイド」のセンセーショナルなアンセムソングとして、この曲は以降数十年にわたって愛されることとなります。
また、もうひとつLGBTのコンテキストが「リトル・マーメイド」にはあります。ヴィランの「ウルスラ(アースラ)」のモデルとなったのが、ドラァグ・クイーンの草分け的存在であるDivine(1945~88)だったといいます。日本では森公美子さんのイメージしかないですけどね(笑)ディヴァインのことは、大学生の頃に英テレビシリーズ「クィア・アズ・フォーク」(2000年)のサントラで聞いた"You Think You're A Man But You're Only A Boy"の原曲を唄っている人だということで知りました。ほんとマツコさんみたいなお方。。
ビル・ローチとの生活
さて、アッシュマン先生の生涯のパートナーであったビル・ローチさんの話をします。二人の馴れ初めや暮らしぶりはDisney+の"Howard"で細かく見ることができます。1983年、グリニッジ・ヴィレッジのバーで出会った彼らはすぐに真剣な交際を始め、同棲を開始します。ローチさんは若い建築家でした。二人はニューヨーク郊外に一緒に暮らすための「夢の家」の設計に取り掛かります。本当に仲睦まじい、夢にみるようなカップルだったそうです。
建築家の彼氏と、一緒に家を建てるだなんて・・・まさにハッピーじゃないですか!最高の人生でしょう。ただ、それは突然訪れます。付き合って5年程経った頃、1988年にアッシュマンは自分がHIVに感染していることを医師から宣告されます。
「美女と野獣」とエイズとの闘い
「リトル・マーメイド」と並行して「アラジン」(公開は92年)の製作も進んでいました。また、カッツェンバーグ率いるウォルト・ディズニー・スタジオは「美女と野獣」のアニメ映画化プロジェクトを進めていましたが、音楽をハワード・アッシュマン&アラン・メンケンのコンビに依頼します。
91年公開の「美女と野獣」。20~30代の僕らにとって子どもの頃の懐かしい思い出の映画ではないでしょうか。
この映画の製作が始まった89年、アッシュマンの体はエイズの病魔に着実に冒されていました。当初は仕事仲間たちに病気のことは伏せられていました。それは仕事のパートナーであるアラン・メンケンに対してもでした。「ゲイであること」、「ユダヤ人であること」。それに加えて「エイズ」だなんて言ってしまえば・・・どうしても打ち明けられない秘密を抱えるという苦しみに苛まれていました。そして90年になり、彼は徐々に仲間たちへエイズを打ち明けていきます。「美女と野獣」のプロダクションは、アッシュマンの健康状態を考慮して、彼が暮らすニューヨーク郊外で行われることになりました。
若い王子様がある日突如として「野獣」になり、隠遁し、自暴自棄となる。これはエイズの寓意だと解釈をする人もいます。ベルという美女の愛によって、奇跡が起こり、ハッピーエンドを迎える――そう、この物語はエイズとの闘いのアレゴリー(子どもの頃には判り得なかった)が含まれている気がします。
主題歌の"Tale As Old As Time(Beauty And The Beast)"は名バラードとしていつも涙を誘います。見事、この歌は92年のアカデミー歌曲賞に輝きました。でもその時には既にアッシュマン先生は……
ポット夫人の声を演じたアンジェラ・ランズベリー(1925~)
Tale as old as time
1991年3月14日、「美女と野獣」の公開を待たずしてハワード・アッシュマンは40歳で病によりその生涯を終えてしまいます。「美女と野獣」の間、プロダクションがペンディングされていた「アラジン」の作詞はサー・ティム・ライス(イギリスを代表する作詞家、EGOT)に引き継がれました。
ただ「アラジン」でアッシュマンは「プリンス・アリ」や「フレンド・ライク・ミー」などを遺しました。アッシュマンが入院するニューヨークの聖ヴィンセント病院に、メンケンがキーボードを持ち込んで作った作品もありました。
92年のアカデミー賞授賞式。歌曲賞に選ばれた「美女と野獣」。オスカー像を受け取ったのは、約8年連れ添ったパートナーのビル・ローチでした。そこで感動的なスピーチが述べられました。
仕事に生きた人なんですよね、アッシュマン先生は。でも彼にとってこれは天職に違いありませんでした。彼の命が果てたとて、作品は永遠の息をし続けています。沢山の子どもたちに夢を与え、その子らが大きくなって、恋をしたり、人生のなにかと立ち向かうことがあったときに、夢見る勇気を思い出させてくれるのです。ハワード・アッシュマンという人が、人魚に声を、野獣に魂を、そして私たちに夢を与えてくれたことを忘れないでいたいですよね。
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