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正しさに縛られた教師たちへ

もう叱らなくていいんだよ。
正しさに縛られる必要はない。
苦しまなくていい。怒らなくていい。
全ての教師へ,伝えたいこと。


はじめに

こんにちは。ニキチャコです。

今回は,「正しさ」をテーマに,若年からベテランまで,教師全員に何度も考えてもらいたい内容について書いてきます。
ぜひ,最後までお読みいただけたら嬉しいです。



教師は叱ります。

地域や学校,人柄によっても差があると思いますが,
一度も叱ったことのない教師は,いないのではないでしょうか。
教師ほど,他人を叱る仕事はないのではないか,と思うこともあります。

私自身,初任校では,叱ることを学んだと言ってもいいくらいです。笑
今まで生きてきた中で,声を荒げて叱るなんてなかった。
毎日毎日叱らなければならないことに,ストレスを感じる毎日。

うまく叱れるだろうか。
子どもになめられるんじゃないか。
初任者ってそんな感じで。そんな学校でもあった。
おかげ様で今の私があるので,感謝しています。


今の私は,叱りません。

叱らなくてもいい学校にいる,ということもあります。
でも,もう無理に叱らなくていいんです。
それがわかっただけで,私はとても楽になりました。

トラブルが起きても,

「おー,やってるやってる。さぁ,何の話が必要かな?」

「ちょっと見守ってみましょう」

「いい経験できたね」

って感じです。

みなさんにも,その目線を知っていただけたら,
仕事が楽になるのではないかと思うのです。

このノートを最後まで読んでいただけたら、
もうあなたは自由になれます。
教師という職を、人生を、楽しめるようになるでしょう。

そのためには,いくつか理解すべきことがあります。
順を追ってみていきましょう。


正しさを疑え


突然ですが,皆さんは,ヒーローものは好きですか?
私は大好きです。
筆者はマーベル作品が特に好きで,全作観ています。

ヒーローものに欠かせないのが,悪役です。
悪役に魅力のある作品って引き込まれるんですよね。
これってつまり,悪役にも悪役なりの正しさがあって,
それを押し通そうと,芯を貫こうとしているからじゃないかと思うのです。

『アべンジャーズ インフィニティウォー』では(ネタバレ注意)
大敵サノスが,「魔法の石で、宇宙の半分の人口を消す」を実行します。
(知らない人は意味わからないですよね。笑)
これは,サノス自身が人口増加で資源が枯渇し、滅びゆく星の中で,飢えに苦しむ姿を見たから。
人口が半分になれば,食べ物も資源も余り,みんな豊かに暮らせる。と思っていたからなんです。
実際に映画中では,5年間その「半分ロス」状態になります。
でも,ヒーローは認めません。タイムトラベルまでして,失った人たちを取り戻そうとします。
そして成功し,サノスを殺します。
こう書くと,ヒーローが悪者みたいに見える人もいますよね。

そうです。
サノスから見れば,ヒーローは,平和を求める自分の信念を邪魔する悪者です。

何が言いたいかというと,
自分の正しさは,他の人にとってはそうではないことも十分ある。
というかそれが普通である。ということです。

そして,正しさをもつものは,いつだって苦しみ、怒っています。
正しさをもたない者は,いつだって笑えます。
ヒーローは怒り,悪は笑う。この構図よく見ますよね。

逆に言えば,「こうあるべき」という正しさが生まれれば,それにそぐわないものが悪になるということでもあります。
例えば、誰がが「マスクをしないといけない」を正しいと信じたら、そうでない人たちは悪になります。

つまり,こうあるべき,こうしなければけない,という正しさが,それ以外を排除するのです。
それが人を生きづらくさせているのです。
つまり,ヒーローであるということはしんどいんですよね。
常に悪を見つけて,自分の正しさで裁かなければならないから。

そして,社会的に見て,子どもに正しさを教えるのが教師です。
社会の正しさを教えるのが教師。
だとすれば、教師は正しさの化身であり、正義のヒーロー側の立場です。
みなさんもそう思われてますよね。

何も知らない,正しさをもたない子どもたちに,
正しさを教えて,苦しみの道へ誘導する案内人ですね。
言い方悪くてすいません。
でも,実際そうだと思いませんか?

友達との関係に苦しんでいる正義感の強い子がいませんか?
そしてそれを教師は「素晴らしい。」と言う。「偉いね。」と言う。
自分の持っている正しさに合っているから。

その価値観で過ごせば,もちろん人とぶつかり,人の在り方を否定し,人を責め,自分は正しいと主張する。
嫌われ者になっていくかもしれません。


「確かにそうだな。」と思われた方も,
「いやそうじゃない!正しさを教えなかったら社会がどうなると思ってるんだ!荒れるぞ!」と思われる方も,いるでしょう。


私自身どうしたらいいのかと考えました。
世間的に見れば,正しさを教えるのが教師です。
しかし,私は,教師こそ正しさに縛られてはいけないと思うのです。

「では,正しさを教えない教師を目指すの?」

その答えは,「子どもが選ぶ」のです。

今日だけはとりあえず,自分の正しさを疑ってみませんか。

最後まで読んでいただければ、私が何を言いたいのか、理解してもらえると思います。

それでは、正しさを疑う前に、正しさとは何なのかを考えていきましょう。





①正しさ=観念


あなたはどんな正しさをもっていますか?

「努力しないと結果は出ない」
「お金は簡単に手に入るものではない」
「教師は,いつも正しいことを教えるべきだ」
「罪人は裁かれるべきだ」
「子供は大人の言うことを聞くものだ」

いろいろありますよね。

私たちは,たくさんの正しさをもっています。
その『正しさ』の正体とは,無意識で信じていること、思い込み,偏見などです。

みんなそれぞれ、思い込みってありますよね。

そしてここで、とても重要なことを伝えます。
脳科学でも、心理学でも、量子力学でも、
私たちが見ている世界の仕組みとして、同じことが分かっています。
それは

この世界は信じていることが現実に起こっている。
無意識で信じていることが,現実になっている。
逆に信じていること以外は現実には起こらない。

(※量子力学の分野の解釈問題,観測者効果というところです。
  今後のノートで解説していきます。)

「神様とのおしゃべり」さとうみつろう

つまり,
無意識で信じていること=正しいと勘違いしていること,
が、現実になっている
のです。

この「無意識で信じていることが現実に現れる」ということは,
自分でも気づかないうちに、自動的に現実に投影されているということ
です。

人は無意識で行動していますよね。
話しながら歩いたり,考え事しながら運転したり,無意識は寝ている間も,常に働いています。
常に何かを意識し,行動し続けてくれています。

そして,無意識で常に何かを考え続けてくれる機能を,「観念」と言います。
観念とは,簡単に言うと,人が勝手に「なにか」と「なにか」をくっつけて,それがくっついたままになっている状態のこと
です。

少しわかりづらいですね。
例えば,「お金持ちになるのは難しい」と信じていれば,
「お金持ち」と「難しい」がくっついているということです。


観念
は,親や兄弟,家庭環境,教師の教え,その他の環境などによって獲得していきます。

『無意識で信じているものが現実となる』の
この「無意識で信じているもの」という点が非常に重要です。


「無意識とは,なにか」
脳科学の分野の話で,簡単に説明します。

脳は,約5%の顕在意識(表層意識)と,約95%の潜在意識(無意識・深層意識)がある。
つまり,いつも「自分」だと思っているの顕在意識(自我やエゴともいう)と,何も考えていないとき,自動的に働いている潜在意識で,できている。

観念は,無意識の中にいる小さな小人たちのグループ。
と思ってください。
いつも知らないうちに自動的に働いてくれている小人たち

みたいなものですね。

この小人たちのおかげで,私たちは自分で意識することなく,心臓を動かし,息をして,生活できています。ありがたい便利な存在です。

しかし,この観念の中にも,強くくっついて,簡単には離れないものがあります。
これが固定観念です。
この言葉はよく聞きますよね。
思い込みや偏見という言葉で説明されますね。

つまりは,この固定観念も現実に投影されています。
なんか,雲行きが怪しくなってきました。。。

具体例を挙げると,
先ほどのように「お金を得るのは難しい」と親から教わっていたら,
もちろん,お金は簡単には手に入らないでしょう。

「礼儀は大切」と教えられてきたら,
「やっぱり礼儀は大切だなぁ~」と思うような現実になります。

「子どもたちは私の言うことを聞いてくれない」という観念があれば,
そのまま子どもたちは言うこと聞きません。
悲しい・・・


しかし,これらの固定観念は,人が人生の中で,経験や教えとして培ってきたものなので,人生の中でコレクションしてきた「大切な宝物」とも言えます。


でも,残念ながらその固定観念には,我々にとって良いものもあれば,都合の悪いものもあります。
「お金持ちになるのは難しい = 現実よ!お金は簡単に手に入るな!」
 と願っているのと同じ
です。
観念は願いと言ってもいいですね。
(結局全ては自分のために働いてくれているので,全然悪いものではないのですが。。。)

そして,固定観念は人が大切にしている正しさとも言い換えられます。


教育現場での具体例をあげましょう。

「勉強しとかないと,将来困るぞ」(勉強しないと将来困る)

「子どもはなかなかいうこと聞かないですよね。」
(子どもは簡単には言うこと聞かない)

「あの子にそんなことできるわけない。難しすぎる。」
(〇〇くんにはできない。)

「あれじゃ,迷惑ばかりかけて,生きていくんだろうな」
(~する人は迷惑をかける)




本当にそうでしょうか?

その正しさ。実は,その人にしか見えてない世界での話です。
あなただけが大切にしている観念ではないですか?


「勉強しておかないと,将来困るぞ」
困らない人もいるんじゃないですか?

中卒で為替取引を始め,年に数千万稼いでいる人もいます。
そして公務員の何倍も納税している人だっています。
とても社会の
役に立っていますよね?
勉強していても,心が折れて引きこもってしまう人だっています。


我々は,五感で感じられることを情報として認識し,脳に世界を作っています。
しかし,その情報は,あまりにも少ない。
地球の動物がもっている五感の能力の最大値を掛け合わせてみると、
人間が五感で感じられる世界は,その0.1%にも満たない。
たった0.1%以下の小さなのぞき穴から世界を見て,これが世界のすべてのように信じている。

本当に小さい範囲の世界しか知ることはできていない。
そんな小さな小さな世界を見て育ってきた私たちは,
まさに「井の中の蛙」

そんな小さな世界を見ながら,
そんな世界を見て学んだことを振りかざして,
「お前は間違っている!!」と叫んでいる。

なんか笑えてきませんか。自分の小ささに。
もう,愛おしく思えてきます。


あなたが持っている「正しさ」は,本当に正しいのでしょうか?

子どもたちに一言言う前に,今一度問いかけていただきたいのです。

私の見てきた小さな狭い世界ではそうだった。
これからの世界ではどうか。
本当に正しいのか。
他の見方もできるのではないか。と。



脳は必要なものしか映さない


しかし,これは教師だけではないのです。
人間全員が,「井の中の蛙」なのです。
しかも,無意識は自分に必要な情報しか映し出しません。

女性であれば,いつも使っている化粧品,男性であれば腕時計などを思い出してみてください。
細かな表示や,装飾などを思い出せますか?
私は無理です。笑

脳は必要な情報を選別しているのです。(科学的な説明は省きます。)
何をもとに,必要か必要でないか判断しているか,わかりますか?

それは,観念です。
無意識の自動機能。
小人たちが,せっせせっせと選別しています。

つまり,無意識で信じているものを,あなたはいつも見ているのです。
私たちは,観たいと願ったものを観ているのです。
願っていることが,現実で起こっているのです。
そしてその現実は,人それぞれ違い,誰一人同じものは観ていません。

あなたの正しさは,あなただけのものなのです。



観念は現実に現れる


「いやいやいや!こんな状況観たくないし!望んでないし!!」
という言葉が聞こえたような気がします。

ですよね。脳の5%を占める顕在意識のあなたは見たくないと思っています。
しかし,95%を占める無意識のあなたは観たいと言っています。
5%対95%!   さぁどっちが勝つ!?

決まってますよね。無意識の勝利です。
それほどまでに無意識とは人間を支配しています。

逆に言えば,無意識を支配できれば,私たちは自分に都合の良い素晴らしい世界を見ることになります。
そう思えば希望が湧いてきますね。


観念とは無意識にあるものです。
つまり,観念を変えていけば,無意識が変わり,見える世界は変わってくるということです。
成功に必要なことが見えます。幸せなことが見えます。
ありがたいことが起こります。
それに気づけるようになります。

しかし,その観念を私たちはなかなか見ることができない。
なぜなら,無意識で行われているからです。
意識できないから無意識ですもんね。

じゃあ,どうすれば・・・

その答えが,目の前の現実にあります。
今,目の前に起こっている現実を静観してください。
それが,あなたが「見たい!」と無意識で願った世界です。

そして,その現実に対して何か感情が生まれたとき,
それが隠れた観念小人を見つけるチャンス
です。



感情は,現実と無意識のギャップから生まれる


観たいものを観ているはずなのに,
「こんなはずじゃなかった!」と現実とのギャップから生まれるのが,
感情という名のエネルギー
です。
位置エネルギーのようなイメージですね。

例えば,「〇〇くんは、傷ついた私に優しい言葉を言ってくれるはず」という観念。
「いや,お前のせいじゃね?」と言われる現実。
「なによ!!怒」と怒りという感情のエネルギー発生。
という具合です。

つまり,自分の観念を知りたければ,感情が生まれたときがチャンスなのです。
感情のかげに,観念が隠れています。





隠れた観念を知りたいなら、感情が生まれた理由を考えよ。


感情に飲み込まれた経験はありますか?
「怒りで我を忘れた」って状況は,まさに感情と同化している例です。
感情と同化するのではなく,感情を静観しましょう。
「I am angry. 」ではなく「I feel angry. 」であれということです。


先ほどの例では,「なんで私は怒ったの?」と考えればいいですね。
すると
「あぁ,そっか。私は〇〇くんが,受け止めてくれるって思ってたんだ…」
となります。
観念発見です。

「〇〇くんは,やさしいから,私の言うことを受け止めて賛同してくれるはず」
のような観念があることがわかります。

教育の現場で見てみましょう。

教師が子どもに腹を立てる場面って,かなりありますよね。
職員室でも「またB子が~して・・・」
「めちゃくちゃ腹立ってきて…」
「はぁ!?ってなったんですよ」
「すっごい態度悪くて,叱りました」
なんてよく聞こえます。
周りにもありませんか?
あなたも一度はありますよね?

教師だけではなく、子どもをもつ親は必ず体験したことあるではないでしょうか。

この場合どんな観念があるのでしょうか。

「自分の授業のとき,すっごい態度悪くて,
 机コンコンコンコンしてうるさいし、
 あくびやのびまでするんですよ・・・
 さすがにイラっとしました」

このイライラは感情です。
観念が隠れています。注意深く見てみましょう。

方法は一つ。
「あっ、自分は今イライラしている。」と、
感情を静観し,「なぜイライラしてる?」と感情が生まれた理由を問いかけます。


「授業中はびしっとするものでしょう?」

「なぜ,びしっとしていなければいけない?」

「だって,失礼だし。」

「なぜ失礼?」

「だって教師の話は真剣に聞くものでしょう。そう教わって来たし」

「なぜ真剣でなければいけない?」

「ん~,話している人が,不快な気持ちになるから?」

「なぜ授業中にあくびやのびをしてはいけない?」

「それも失礼だからですよ!教えている教師に対して!」

「なぜ?」

「だって,あくびをしたり,伸びをするっていうのは,『あ~,この授業たいくつ。ねむたい。』『かったりぃなぁ~』ってアピールしているのと同じでしょ!」

「なぜそのようにアピールしたらいけない?」

「僕が不快になるからです。」

「なぜ不快になる?」

「自分の授業が面白くないって,言われているのと同じだからです。不安になります。」

「なぜ不安になる?」

「子どもになめられたり,他の人から,授業うまくない先生って,できない先生って思われたりするかもしれないからです・・・」

「なぜ思われたらいけない?」

「そりゃあ,教師としてやっていけなくなるからですよ!」

「なぜやっていけなくなる?」

「教師はなめられたら終わりなんですよ!信用がなかったら職を失うかもしれない。仕事がなかったら生きていけない。」・・・・と。



まだまだできますが,ここまででわかった固定観念をまとめましょう。

・教師の話はびしっとした姿勢で聞くものだ。
・姿勢正しくびしっとしていないと,相手には失礼だ。
・真剣に話を聞いていないと,相手を不快にさせる
・相手を不快にさせるのはだめ。
・授業中のあくびやのびは,教師に失礼。
・教師の授業に,異論は認めない。
・子どもが退屈アピールすることで,自分の教師としての格が落ちる。
・子どもになめられたくない。
 →教師は子どもより偉い。偉くないといけない。
・できない先生と思われたら,やっていけない。
・授業が面白くないと,教師としてやっていけない。
・教師としてやっていけないと,この仕事を続けられなくなる可能性もある。

こんな感じでしょうか。
見事に,無意識に潜む,「こうあるべき!」「~はいけない!」などの観念が浮き彫りになりますね。
こういった観念があるので,その観念に合わない現実が現れたときに,
そのギャップから,感情としてエネルギーが発生し,イライラしたのです。

この中には,「いやそれは正しいでしょ!」って思うものもありますよね。
一般的に言う,「常識」というやつです。

ただ,その常識は,あなたが勝手に信じているものです。

「自分の常識は,他人の非常識」という言葉があります。
自分と自分以外の人間は,全く違う環境で育ってきました。
先ほども述べた通り,
他人は,家族であっても,双子であっても,
自分とは全く違う世界を見ているのです。

自分が正しいと思っていることも,他の人は全くそうは思っていないこともよくあります。

日本では,不倫はアウト!ですが,国が変われば一夫多妻は当たり前。
環境や状況が変われば,セーフはアウトになり,アウトはセーフです。

その正しさは,自分のための正しさなのか。
それとも,子どものためなのか。
子どものためと言いながら,結局自分のためなのか。
本当の子供のためとは何なのか。
今一度問う必要があります。


例えば,「ねむたい」とアピールされてイラっとするのは,
結局,教師としてのプライドに引っかかるから。
子どものためというよりは,自分を守るためでしょうか。


もしかしたら,その子はその先生も,授業も大好きなのに,急な眠気が襲ってきただけなのかもしれない。
授業の内容は完璧に頭に入っているかもしれない。
集中が切れたのをもう一度やる気を出そうと,気持ちの切り替えのために伸びをして「よし,やるぞ!」と気合を入れたのかもしれない。
そもそも,授業中に伸びをすることは学習に悪影響なのか。
体の緊張を解き,リラックスすることで得られる影響は考えないのか。

結局は解釈の違いなのです。


イライラを見つけたときに冷静に,その感情を見つめ,
「なぜそう思ったのか?」を考えることがとても重要なのです。
そこには必ず,正しさという名の観念が隠れています。



観念をけす方法

無意識の自動現実創造機能。その名も観念。
可愛らしい献身的な小人たち。

観念を消す方法はあります。
簡単です。
方法はただ一つ。
観念があることを知ったら,
「その観念とは真逆を信じる」だけです。

「授業中にあくびや伸びをしてはいけない」
の逆は
「授業中にあくびや伸びをしてよい」
です。

観念は本来なかったもの。それが今あるのなら,0に足されたと考える。
ならば正反対の観念で打ち消せばよい。ということです。

数式で表すとこんな感じですかね。
1(正しさ)ー1(真逆の正しさ)=0(フラットなどちらでもない状態)

「いやいや,そんな・・・真逆を信じるなんて,難しいよ!!」
という声が聞こえてきそうです。
その通り。だから難しいのです。人はなかなか変われない。


特に教師は,正しさが多いと思います。
だって正しさを教えないといけないんだもの。
教師は完璧であるべきだ。という考え方は根強いですよね。
なんたって正しさの化身です。
だからこそ,その正しさと現実のギャップで,教師は苦しんでいます。
怒り,いらだち,悲しみ,時に喜び,またか,と嘆く。
プライベートでも人の目を気にして,びくびくしながら街を歩く。
ちょっとした有名人です。


もちろん教師だけではありません。
人間全員そうなんです。
自分がもつ正しさと現実の間で苦しんでいます。

だから,正しさから解放されませんか。
これがニキチャコの主張です。

「正しさを教える教師が,正しさから解放されるなんて
そんな教師大丈夫なのか,そんなクラス成り立つのか・・・?」
と思われた方。
それも,あなたの見ている世界だけでしか通用しない正しさかもしれません。





怒りやイライラが生まれるのは「期待している」から

観念によって生まれる感情の中でも,
怒りという感情は,特に人を苦しめます。

ずばり,その怒りは,無意識の観念が勝手に信じ,期待し,
現実ではそうならないから,発生しています。

そう。観念とは「期待」でもあります。
前文でも論じた,

「〇〇くんは優しい言葉を言ってくれるはず」という観念。
「いや,お前のせいじゃね?」と言われる現実。
「なによ!!怒」と怒りという感情のエネルギー発生。

〇〇くんにがっつり期待してますよね。
期待するから裏切られるのです。
だから怒りたくないなら、苦しみたくないなら、期待をしなければいいのです。

観念を消していくと,その期待がなくなります。
どんな可能性も受け入れられるようになります。

勝手に期待しないために,観念を消していきましょう。

「何でもかんでも消してもええんか!」
と突っ込みが入りそうなので,先に断っておきます。

自分が必要なもの,自分が好きな考え方など、
大切にしたい宝物の観念は,
大事にコレクションしていけばいいのです。



〇解釈を変える

全ての出来事には「裏と表」がある

バラという花を見て,皆さんは何を思うでしょうか。
ある人は,「美しい」と言い,ある人は「とげとげしい」という。
全世界共通の事実があるなら,誰もが同じ答えを出すはず。
つまり,決まった価値なんてないし,その人が見たいように見ているということがわかります。

前述したとおり,この世界は信じたものが現実になります。
現実をその人がどう解釈するかによって,見える世界は変わります。
そして,幸せだと無意識で信じている人が幸せで,
不幸だと信じている人が不幸だ。というシンプルな仕組みなのに,
何かが起こったときに,「最悪だ」と思ってしまえばどうなるか。

もちろん,最悪の世界を見ることになります。
最悪なことが起こり,「ほら最悪じゃん!」と言えるような出来事が起こります。
その苦しみは,自分が作り出していると,はやく理解した方がいいと思いませんか?
その「最悪」は,ある人にとっては「最高」なのに。


物事には二面性があります。

それはまるでコインの裏と表。

例をあげましょう。

輪投げをしています。
3回投げて,1回でも入れば,景品がもらえる状況です。
1回目,外れました。
ある人は「失敗した・・・あと2回しかない」ととらえます。
ある人は「よし,この方法はだめと分かった成功だ。あと2回もあるぞ」と,とらえます。
解釈の違いで,失敗は成功になります。


失敗した、ということは,成功するという経験ができなかったということ。
成功したということは,失敗するという経験ができなかったということ。
何かできなかったかわりに,何かできたことがあるはずなんです。
何かできたかわりに,何かできなかったことがあるのです。


前に進んだということは,後ろに進めなかったということ。
プラスとマイナスのように,二つでセットなんです。

これが出来事の二面性。
これらは,ほとんどの人が自分の観念に沿って,片側しか見ていません。


どちらも経験という点において,同じ価値なのです。
成功ばっかりが良いと思っているから、失敗が苦しいのです。
失敗が好きな人は、成功が苦しいはずです。

「失敗はいやなもの」と信じているから,いやな感情が生まれる。
「失敗は素晴らしい」と信じているから,いい感情が生まれる。
同じ現象なのに,見ている世界は違い,これから起こることも変わってくる。

幸せな世界を観たいのであれば,今見ている現実を
不幸だと解釈するのではなく,幸せだと解釈してしまえばいいだけです。

「これだけしかない!」か「こんなにもある!」

信じたことが現実になるこの世界で,あなたはどんな解釈をしますか?



出来事の二面性を理解したとき,教師の声掛けは変わります。
不幸を見ている子どもたちに,真逆の幸せを伝えることができるのです。

「失敗した=成功できなかった,ということは,「いま,成功しかけているってことだよね!やったじゃん!」

教師自身が「失敗は避けたいもの」という正しさをもっている限り,
その現実は現れ続け,それに基づいた言葉を発するでしょう。
「ほら言うたやん,失敗するって。」

その言葉を聞く子どもたちは,いつまでも失敗を恐れます。

逆に教師は「失敗って成功し始めたってこと」と信じていれば,
実際にそうなります。
言葉が前向きになり、子どもも前向きになりますよ。


全ての願いが叶う世界はユートピア?ディストピア?

「なんでも願いが叶えばいいのに。」
と思ったことがある人は結構いると思います。
仮に,すべての願いが叶うとしましょう。
どうなるか考えたことありますか?
少し考えてみましょう。

車が欲しいと思えば,瞬時に出てくる。
車が邪魔だなと思ったらすぐ消える。
お金が欲しいと思ったら,100万円が財布に入る。
財布重たいと思ったら財布ごと消える。
もはや,そう思う前に消える。お金なんてなくてもすべて手に入る。
~したいはもうすでに叶っている。
恋人に会いたいと思うこともない。
お腹がすく前にお腹は満たされている。
のどが渇いたという前に,のどは潤っている。
潤いを気にしなくていいように,のどなんてなくしてあげる。
嫌なものが見たくないなら,そんなこと起こらないし,
見なくていいように,目なんていらないね。
~したいなんて思わなくていいね。
考える必要もないね。考えなくていいね。
動かなくていいね。



どうでしょうか。

すべてが叶う世界は,私にとっては反理想郷(ディストピア)です。
だってなにもしなくていいし,なにもできない。
本当に,何もできない世界です。考えることすらできない。
面白くないですよ。そんな世界。

「~したい」という気持ちは,無意識で「~がない」と思っています。
「彼女が欲しい」なら,「私に彼女はいない」=「彼女なんてできるな!」
ですね。
それは,自分には足りないという不足を見て,その観念に沿って現実を作っているので,その願いが叶っていることになります。

でも,これはこれで,重要なものだと思いませんか。

願いが叶っていない現実があるから,私たちは,願いを楽しめるのです。
願いが叶いすぎて,何もできない世界なんて,私はいやです。

彼女がいないから,彼女ができたときにものすごく嬉しい。
失敗があるから,成功が素晴らしいのです。
毎日焼肉じゃないから,たまの焼肉が嬉しいのです。
毎日3食ピザだったら,いくらピザ好きでも,最初ほどの感動は得られないでしょう。

不幸せがあるから,幸せを感じられるのです。
幸せしかなければ,それはもう幸せではないですよ。
私は今,不幸せなことに感謝できます。

最近久しぶりに風邪をひきました。
盛大な鼻詰まりです。味がない。
喉も痛い。不幸せです。
だからこそ、治ったらすごく嬉しくて
健康であることを噛み締めるんだろうな。
体調悪い日があるから、体調良い日が幸せと思えるんだよなって思います。

これを知ったら,失敗で心折れそうな子供たちにかける言葉は変わってきますよね。

「成功したとき,めっちゃうれしいだろうね!
 失敗ゲージ貯めていこうぜ!」




私は宇宙。宇宙は私。


あなた自身。あなたの身の回りの人。遠い国のどこかの人。
あなたの大好きな人。どうしても苦手な人。
今手にしているスマホ。吸っている空気。
かけている眼鏡。来ている服。
それらすべて,すべて同じものでできていると言ったら。
それらすべて,「あなた」だ。と言われたら,どう思いますか?

「いやそんなわけあるかい!!」と,
つっこまれる方もいますよね。
ごもっともです。
そんなわけないですよね。
別々の人間ですし,そもそも生き物ですらないものもある。

でも残念ながら,同じものです。
もとは一つだったものです。
少なくとも科学ではそう考えられています。

物質を構成する分子,それのもととなる素粒子(量子)は,
全ての物質の根源といってもいいです。
先ほど挙げたすべての人や物,空気は,すべて素粒子でできています。
小さな小さな粒のかたまりなのです。

素粒子が見える眼鏡をかければ,あなたが見ている世界はおそらく
「つぶつぶしか見えない世界」になるでしょう。
そこに物質の境目はなく,ただの素粒子の海の中です。
これは宇宙のどこへ行っても,同じ景色になります。
不思議ですよね。
だから身の回り,宇宙の端から端まで,すべて同じものなんです。
ゆえに,宇宙はあなた。あなたは宇宙。

この宇宙の起源は,約138億年前に特異点と呼ばれる超高密度の点(量子真空ともいう)が大爆発した「ビックバン」と考えられています。
これは今や当たり前のことですね。
ビックバンによって,宇宙が急に膨らみ始め,今も膨らみ続けています。
まだ爆発の途中とも言えます。

爆発して,それらが別れてできたものが私たち物質です。
つまり,私たち全員,宇宙というスライムから分かれてできたスライム。
同じものなんです。
そして,すべてそろって初めて一つなのです。

「私なんかこの世界にいらない。」
なんて思ったことある人もいるかもしれません。
そんなことは断じてないのです。
ここにある粒子一つ欠けても,この宇宙は成り立たないのです。
存在するだけで役に立っているのです。
そして必ず,自分にしかない役割があるのです。


ではなぜ,私たちは分離しているのか。

それは「体験するため」です。
だれかに優しくするには,私と優しくされる相手が必要です。
お菓子を食べるなら,私と食べられるお菓子が必要です。

一つだったらどうでしょう。
何かを見ることも,私と「見られる何か」が必要です。
何か触るにも,私と「触られる何か」が必要です。

もう,わかりますね。
一つだったら何もできないのです。
無。なのです。
全くつまらないですね。

それが二つに分かれたらどうでしょう。
私と,私以外(私)。
見ることができる。比較することができる。
私自身を知るという学びが起きる。
そこで二つに別れたはずなのに、何もないところから「体験」が生まれる。
分かれれば分かれるほど,体験が生まれる。

これは楽しい。

この宇宙がビックバンした理由は「体験するため」ではないでしょうか。

そう考えると,さらに,あなたが存在することには意味が生まれます。
あなたは存在するだけで素晴らしいし,あなたがいるだけで他の私たちのためになっているのです。

これは,クラスで考えると,とても分かりやすいです。
一人ぼっちのクラスは猛烈にさみしいです。
だれかいるから体験ができるのです。
勉強がよくできる子も,少し苦手な子も,
優しい子も,そうでない子も,
乱暴な子も,意地悪な子も,
臆病な子も,強気な子も,
いろんな子がいるから,学べるのです。

言うこときかないあの子も,
トラブルばかりのあの子も,
見て見ぬふりするあの子も,
全員そこに存在してくれて,ありがとう。
あなたのおかげで,学びが起こる。


いい子ばっかりじゃ学べないのです。
ちがうからもめる。
ちがうから苦しむ。
でも,それでいい。それがいい。
ちがうからこそ,意味がある。
ちがうからこそ学びがある。

存在してくれているだけで,本当にありがたい。
そこにいてくれるだけでいい。
ありのままのあなたでいい。
迷惑だって,かけていい。
トラブルだって、起こしていい。
その考え方が,学校教育には必要なのです。

教師は,自分の思う完璧なクラスを求める。
その完璧さは,あなたの正しさでできている。
トラブルの起こらないクラスが完璧?
成績のいいクラスが完璧?
トラブルも,失敗も成功も,もっともっと体験しましょうよ。
体験こそすべてならば,みんなが自由に個性的で,
違うクラスでいいじゃないですか。

私はこの考え方で,すべて受け入れることができるようになりました。
トラブルを恐れていた私はもういないのです。


この世は相対性

体験できるから,苦しみ,喜び,感動する。
二つ以上あるから比較できる。
この世に幸せしかなければ,それは幸せではない。
不幸があるから,それに比べて幸せがある。
どんな良くないことだって,それがあるから,
あなたは,幸せを感じられるのです。

今,あなたが「良くないこと」と思っていることのおかげで,
あなたの世界に「良いこと」があることに気付きましょう。

比べられるものがあることは,人を苦しめ,悩ませ,喜ばせる。
比較できることに感謝しましょう。


全ては決まっていたし,これからも決まっている。

私たちの選択によって,未来を選ぶことができる。
自分の意志で,未来は選べる。
ほとんどの方が,そう思っていると思います。

「え?ちがうの!?」
という声が聞こえました。

最新の研究では,自由意志など存在しない。
という仮説が証明されつつあります。

カリフォルニア大学サンフランシスコ校の生理学者、ベンジャミン・リベット(1916 – 2007)は、人間がある動作をしようとする「意識的な意思決定」以前に、「準備電位(Rediness Potential)」と呼ばれる無意識的な電気信号が立ち上がるのを、脳科学的実験により確認した。

https://www.aiiv.jp/free-will/

受動意識仮説とは、意識は自ら命令を出して脳を動かしているのではなくて、脳の自立分散処理を受動的に見て、それを「あたかも自分がやったかのように錯覚する」だけだという説。

https://mentalhealthbiz.net/passiveconsciousnessmodel/

つまり,自分の意志とは,
起こった出来事に対して,脳が作った巧妙な錯覚でしかない。

ということ。
環境に対して無意識に反応して動いていることを,脳が「自分がやった」と錯覚している。ということです。

自分の意志は,後付けということ。
驚愕の事実ですよね。

今まで,自分が全て選んで行ってきた。と思っていた。
それが環境や刺激に動かされていただけなんて・・・

考えてみてください。
あなたは,今,なぜそこにいますか。
環境と環境との相互作用によって,たまたまそこにいる。
のではなくて,必然的にそこにいるんです。
あなたがそこにいることは,ビックバンの時から決まっていたのです。

宇宙をビリヤードに例えて説明します。

宇宙のビックバンはビリヤードのブレイクショット。白い球がぶつかり,次々と連鎖し,球が動き出す。そして止まる。穴に落ちる。その結果になることは,球自身が決めたことではない。ブレイクショットの時点で決まっていたことになる。

だって途中で球が自分の意志で宙に浮いたりしないですよね?
いきなり急ブレーキかけて,穴に落ちないようにぎりぎりで踏ん張る。
なんてことはないですね。

宇宙も同じです。
自由意志なんて存在しないのでしたから,特異点がビックバンした時点で,
宇宙が止まるまで,どの粒がどんな動きをするかは,すべて決まっています。(これを決定論的世界観といいます。)
そして,その起こった出来事を人間が勝手に後付けで解釈します。

あなたに今までに起きたことも,すべて決まっていました。
彼女に振られることも。
階段でこけて骨折することも。
コロナウイルスにかかることも。
傷ついた猫を拾うことも。
保護者からのクレームがくることも。
パートナーとすばらしい出会いをすることも。

そしてそれらは,何一つかけてはいけなかったこと,なのです。

今,苦しい立場にいますか?
それとも幸せな立場にいますか?

あの選択をしなければ,こんなことにはならなかったのに。

と後悔することもあるかもしれません。
しかし,そんな選択どこにもないですよ。
結局は,すべて決まっていましたから。

あのとき,あの人が浮気したから,今素晴らしい人と結婚している。
そう思う人だっていますよね。

自分にとって良くなかった経験も,未来の素晴らしい経験が上書きしてくれます。
必ず未来の自分が「あの経験があるから,今の自分があるんだ」と言ってくれます。

自分の選ぶ道は決まっていて,起こることも決まっているのであれば,
わざわざ出来事を悪く解釈する必要ありますか。
その現象をどう解釈するか,つまり,どう信じるかはその人の自由です。

信じたものが現実になる世界で,あなたはわざわざ悪く解釈しますか?
私は,すべて良いように解釈しようと思います。
そしてそれにより起こる素晴らしいことも,もう決まっています。

あなたがこのノートを見ることもすでに決まっていたということ。
本当に,本当にありがとうございます。

結局とらえ方しだい。解釈しだいなのです。



時間など存在しない。あるのは今の連続のみ。

この宇宙で起こること全てが決まっているとわかったとき,
私は,失望しました。
これからの未来は選択できないのか。
希望はないのか!
大金持ちにはなれないのか!と。笑

希望はありました。
「この」宇宙で起こることはすべて決まっているという点です。

「なんだ? 宇宙が何個かある,みたいに言って!」
と思われた方。
実は,宇宙は複数なければおかしい。と物理学では考えられています。

それは,ひとつの(ユニ)宇宙(バース)と比較し,
複数の(マルチ)宇宙(バース)と呼ばれます。
マルチバース理論と呼ばれています。

SF映画でよくある,パラレルワールドです。
マルチバース理論,パラレルワールド理論は,最近熱を帯びています。

ある選択をしたときに,その選択に応じた宇宙に飛び込んでいる。
その宇宙以外を感じることはできない。
だから,その選択がいいか悪いかなんてわからない。
そして,我々には情報が少なすぎて,
未来の完璧な予測なんかできっこない。

ということです。

つまり,今この瞬間の選択によって,私たちは常に宇宙を横断しているようなものです。

ドーナツを食べる。食べない。
あくびをする。しない。
ゴミを拾う,拾わない。
常に一瞬一瞬,YesかNoの選択をし続けているのです。


そしてこの一瞬が積み重なって,今があります。
今この瞬間が,これからの未来を作ります。
ノートを書いているこの宇宙と,書いていない宇宙では,
全く違う未来かもしれないということです。

この一瞬,あなたは何をしますか?
するか,しないか。
なるか,ならないか。
どちらでもない、選べない。は,
今この瞬間Noを選ぶのと同じです。


今,おこなう選択は,全て素晴らしい


今起きる出来事が全て未来につながっているのだとしたら。
この選択が全て,良い未来につながっているのだとしたら。

今,どんな選択をしたとしても,その選択は正解だということになる。

だから,どんな選択をしたっていい。

Yesでも,Noでもいい。
しても,しなくてもいい。
どんな選択も,その人の未来に必要なのだ。
今おこなうどんな選択も,素晴らしいのだ。

自分が見たい世界を見るのだから。
その経験自体が,とても素晴らしいことなのだから。
選択し、行動し、経験することが、この宇宙で望まれていることだから。
そう考えたとき,
子どもたちの未来を,彼ら自身が選択すること自体に価値がある。
そう思いませんか。

彼らは彼らの一瞬を選択して生きている。
その選択が未来ですべて役に立つ。
私たちが間違った選択だと思っても。
その選択にイライラしたとしても。
それは私たちがそう信じているだけ。
その子の未来ではわからない。
私たちとは違う世界を見ているから。
子ども自身が選び,納得し,進む道なら,どんな結果でも,
それは,その子にしかできない,かけがえのない経験だ。

だからこそ,子ども自身が,今どうするか,どうあるかを選択することが
一番大切なのではないか
と私は思います。




★教師にできること

長々と語ってきましたが,
やっと,ここまでたどり着きました。

ここまで読んでいただいたら,
私が言いたいことは,もうわかっているかもしれませんね。

私が今回言いたいことは,ただ一つです。

それは,子どもに選択させることです。


選択教育


教師は,教師や親や社会が正しいと信じていることを
子どもに押し付ける職業ではない。

教師にできることは,子どもに選択の機会を与えること。

「君はどうありたいんだい?」「どんな自分は好きと言える?」
「友達を叩くAくん,友達を叩かずに言葉で伝えるAくん,Aくんはどっちの自分がいい?」

もちろん,今までの教育を全否定するわけではない。
今までの教育があったからこそ,今がある。
「こうあるべきだ」「これが常識だ」と教えてきたからこそ,
今の日本は成り立っています。
その恩恵を私も受けています。
何一つかけてはいけなかった。
だからこそ,感謝しています。

子どもは自分自身で選び,経験し,学ぶ権利があります。
これは,子どもだけでなく人間全員にあります。
というか,そのために存在しています。
経験する=学ぶことだから。

だからこそ,教育に正しさの押し付けは必要ない。と感じます。

教師に言えることは,
「先生の経験では,この場合こうなるかもしれないと思う。それでもいい?よし,わかった。あなたの選んだ道を応援する。ファイト!困ったら相談して!」
と,自分が培ってきた宝物の正しさを,子どもに提示する。
そして,どんな選択をしたとしても,その選択を全力でサポートする。

「とうてい認められないような選択だったらどうするんだ。全力でサポートするなんて,言えるわけない。思えるわけない。」
という心の声にお答えします。
この考えは,当たり前ですよね。
それが正しさです。
この先起こることは,必ず悪いことだと信じている。
だから,「ほら悪かっただろ」ということばかり,
無意識の小人たちは見つけてきます。


もし,教師の正しさに合わない選択であったら,

「そっか,友達を叩くAくんがいいんだね。そんな自分が好きなんだね。その場合,おそらく,友達はいやだから,あなたと遊びたいとは思わなくなると思う。離れてしまったり,無視されたりしてしまうと思う。たぶんだけどね。それでもいいかい?」
と,経験から想像される未来を伝えましょう。

しかし,それを信じるかどうか,選択するかどうかは,子どもしだい。
そして,どちらを選んでもいいし,どちらも素晴らしい決断です。

「わかった。あなたがいいなら,それでいい。
 しかし,申し訳ないけど,先生はあなたの敵になってしまうと思う。
 友達をきずつけてしまうことをサポートはできそうにない。
 その友達を守ることを優先します。
 これは,先生が大切にしていることだから,譲れない。」
と,堂々と敵になり,自分の譲れない正しさを大切にすればいいのです。
教師自身にも選択する権利があります。

このケースは実際に私が行った生徒指導です。
Aくんは,叩くことを選択しませんでした。
Aくんは,とてもいい顔で,友達の中に戻っていきました。

Aくんもその選択から学ぶことがあります。
学んだうえで,やっぱり友達を叩くのはやめとこう。
と思うかもしれないし,叩いてもうまくいくかもしれません。
「絶対うまくいかないでしょ。」と心の中で思うのは,
狭い世界から,見て学んで,私が正しいと信じてきたことだから。
それを信じたいのです。


そして,いうなれば,このAくんの選択もすでに決まっていたこと。
未来のAくんが,「あの時あの選択をしたおかげで…」と,良い解釈をしてくれる。
それでいいではないですか。

教師は,子どもたちの学びを奪うべきではない。と私は思います。
これは私の正しさです。
私が好きな,私の在り方です。

教師の狭い価値観を押し付ければ,子どもは縛られ,
可能性をどんどん狭めていくでしょう。
正しさと現実のギャップに苦しみ,怒り,失望するでしょう。

「勉強できなきゃやっていけない。あなたのことを思って言ってるのよ」
それはあなたがそう思っているだけじゃないですか?
勉強しない選択だってありですよね。
子どものことを本当に思うなら,その子の選択を,その選択から生まれる経験を大切にするべきだと思いませんか。

誰から見ても,どこからみても,本当の正しさなんてない。
人の数だけ世界がある。
自分が信じた世界が現実だと,そう思うなら,
何だってできるはずです。
可能性は,文字通り無限大。
私は,子どもの可能性を信じる。
自由に挑戦し,失敗を成功と同じように喜べる子どもを育てたい。
自分の可能性を信じ,なんだってできる!と信じている子どもを育てたい。
教師が正しさで子どもの世界を縛ると,司会はどんどん狭まり。可能性はどんどん見えなくなてしまいます。
そんなこと,私は望んでいない。


そのために,選択させる。
今この瞬間の選択を,子ども自身に託す。
子どもの選択の,選択から生まれる経験の,そのすべての可能性を信じる。
それら全てが素晴らしい学びにつながっている。
常にだれかの役に立っている。

これが私が今回最も言いたかったことです。

私はこの「子どもが選択する教育」をどんどん実践していくつもりです。


最後に選択する道徳

今行っている一つの実践を紹介します。

日本の道徳教育は,世界でも注目されています。
正しさを教え込まれた日本人は,道徳意識が高いと言えます。
これはとても素晴らしいことですね。

しかし,ここに批判があるのも事実です。
私自身,正しさの押し付けになっていないのか,
よく考えます。

しかし,ここでも,この「選択教育」が役に立つ。

「道徳とは,自分の中の正しさを集めたり,捨てたりする時間だ。
 毎時間,どんな自分でありたいかを問い,大切な正しさをコレクションし ていく教科だ。」

このように子どもたちに伝えています。

例えば,
この考え方は大切にしたいな。
今まで大切だと思ってきたこの正しさは,もういらないから捨てよう。
先生はこういったけど,僕はそう思わない。
そういう考え方もあるのか。僕の考え方は,まだまだだったんだな。
というように,自分で選べばいいのです。

教師用教科書に「最後に教師の説話を」などという項目が時々ありますが,
教師の話は,一つの正しさ。提示するだけで、それが確実に良いとは言わない。

私は,必ず最後に
「今日大切だと思ったことは?」
「あなたはどうありたい?」と問います。

これだけです。
その日学んだ正しさを,大切にしたいかどうかは,子どもが決める。
それが教師の教えに反するものでも,その子には必要な正しさなのです。

道徳教育は,社会の正しさの押し付けになってはいけない。
私はそう思います。




終わりに

今回お伝えした内容は,私が数十冊読んだ本の中から,
共通する部分や,分かりやすい例えなどを使い,
まとめさせていただきました。
本を執筆された著者の方々,科学者の方々には,
本当に心から感謝しています。

私は,最初に家族から量子力学の話を聞いて,本を読みあさるようになり,
Audibleで聞きまくり,たった3か月で,すべてが変わりました。

この世界の見え方が変わったのです。
そして,教育に応用して,メンタル最強な子どもを育てたい。
その子どもの成長を見た保護者が変わり,家庭が変わり
そして,親が作る社会が変わる。
そんな世界を実現したい。
と思い,考え,実践しています。

ここで紹介した「子どもが選択する教育」は,実践の根幹になる考え方です。

子どもが変わり,クラスが変わり,親が変わる。
それがどんなにやりがいがあるか。
はじめて,教師を心から素晴らしいと思いました。

私は変わった。そして,変わることも
すでに決まっていたのかと思うと,
心から感謝をしたくなります。


このような長文を書くとは思いませんでした。
中学校の作文の宿題で,それなりに頑張ったのに
「何が言いたいのかわかりません。」
と書かれたこの私がです。
それほどまでに,書きたいと思ってしまった。
困っている人に,伝えたいと思ってしまった。
私が言いたいことが伝わったでしょうか。
そこだけが心配です。

科学的な部分を少し省略して書いたので,
細かい所はつっこみ所があるかもしれません。
くわしい内容を知りたいと思ってくださった方々は,
ぜひ,参考文献に目を通してください。
そこにつなぐことができただけでも,私は嬉しいです。

約20000字を目を通してくださった皆様。
大切な時間を使って,無名の筆者の投稿を読んでくださり,
本当に,本当に,ありがとうございます。

これから、もっとたくさん読んでくださった皆さんが幸せになれるようなことを発信していきます。
どこかで困っている「私たち」へ、同じ「私」として、学びを届けたいと思っています。

前回書いた「全ての疲れた教師たちへ」を
読んでくださった皆様,本当にありがとうございます。
たった一つ♡が付いただけで,こんなにもやる気が出るのかと,
心震えました。
本当に嬉しかったです。

次回はどんなお題にしようか迷っているところです。
今度はもう少し短くしようと思います。笑
自分自身こんなに長くなるとは思っていませんでした。

ここまで読んでくださった皆様,
本当に本当に本当に!ありがとうございました!




💗やコメントいただけたら,ニキチャコは猛烈に喜びます。
ぜひ,今後聞きたいことや,気になること,悩みなどありましたら,
コメントしていただけたら,どんどん発信していけるかなと思いますので,
お時間ありましたらぜひ!



参考文献

紹介したい本はたくさんありますが,
何度も読み返して,この記事の中心となった文献を紹介させてもらいます。
気になればぜひ見てください!世界が変わります。

・さとうみつろう『神さまとのおしゃべり』サンマーク出版,2022年
・さとうみつろう『悪魔とのおしゃべり』サンマーク出版,2022年
  ※今回は,この2冊を特に参考にさせていただいています。

・刀根健『さとりをひらいた犬~本当の自分に出会う物語~』SBCreative,2022年

・奥平亜美衣『本当の自分を知る本 不安、迷い、執着から解放され、自由自在に生きるたったひとつの方法』SBCreative,2022年

・梯谷幸司『無意識を鍛える』フォレスト出版,2020年








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