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「あかりの燈るハロー」第二十七話

アカネ・ゴー・ラウンド(2)
 お母さんは自転車の後ろにあたしを乗せて、軽快にペダルを漕ぎ、魔法の呪文を口ずさむ。
「♪ ハウマッチウッド・ウッドアチャック・イファウッドチャック・クッドチャックウッド?」
「♪ ハウマッチウッド・ウッドアチャック・イファウッドチャック・クッドチャックウッド?」
 繰り返し愉しげに唄う自転車は、お母さんとあたしを乗せて夕暮れの街の中を進む。
「ハウマッチ♪ ウッドチャック♪ ウッドチャック♪ ウッドチャック♪」
 あたしもリズムに合わせて、魔法の呪文を口ずさむ。
「ハウアマッチー♪」
「ウッダチャックッダチャック♪」
「ふふふ、茜とっても上手ね! ようし! お母さんも負けてられないぞ!」
「あたしもまけない!」
「負けない負けない! 茜強い子! お母さんも強い子!」
 自転車が揺れるたび、ふたりの呪文が跳ねていく。抱きついているお母さんの背中が温かくなってきたころ、あたしはお母さんのために、生まれてはじめての言葉を口にした。
「おとうさんのバカー!」
 それを聞くとお母さんは大笑いして、こういった。
「ようし! お父さんに内緒でハンバーガー食べちゃおう!」
「ほんと⁉ いいの? たべる!」
 自転車を停めると手をつなぎ、遊園地近くのハンバーガーショップに入った。
「茜どれがいい?」
「いちばんおっきいの! はんぶんこ!」
 お店で一番大きいハンバーガーを注文してテイクアウトすると、すっかり夜に染まった遊園地へと入り込む。
「あたし、あれがいい!」
 青色のゴンドラが降りてくるのを待って観覧車に乗り込む。色とりどりの電飾でライトアップされた観覧車が、まるで夜のパレードのようにあたしたちを迎えてくれていた……。

 ♪ ハウマッチウッド・ウッドアチャック・イファウッドチャック・クッドチャックウッド?

 聞こえる? お母さん。あたし、お母さんに教えてもらったあの呪文、今では歌うように唱えられるよ。

 ♪ ハウマッチウッド・ウッドアチャック・イファウッドチャック・クッドチャックウッド?

 聞こえる? お母さん。聞こえたなら、あのころのようにあたしに答えてよ!

 ぎゅっとまぶたを閉じて横たわるあたしの頬に、あたたかい涙が落ちていく。
 そういえばあの日、鮮やかにライトアップされた観覧車にお母さんと乗ったあと、あたしたちはどうなったんだっけ?

 …………。

 記憶がよみがえってくる……。たしかあのときも、一周回って降りてきたときにはもう、息を切らしたお父さんが観覧車の出口に立っていた。よっぽど慌てて探したんだろう。胸には区役所の名札が付いたままでとても情けない顔をしていた。
「……おかあさん? みつかっちゃったね」
「そうだね……」
 お母さんはあたしの手を握ったままで、立ち尽くすお父さんを見つめていた……。

 ――バシンッ!

 突然大きな音がして、まぶしさに目が眩む――観覧車の電飾が突然点灯し輝き出すと、カゴがゆっくりと動き始めた。ガラス張りの窓から顔をのぞかせると、遊園地の敷地内はまだ暗闇のままで、観覧車の電飾だけが点灯している。メリーゴーランドやパンダのゴーカートはポツンと眠ったまま。
 観覧車はあたしを乗せ、ゆっくりと地上へおりていく。
 扉の向こうから、誰かが強烈な光であたしを照らした。
「いたぞー! この中だ‼」
 観覧車の扉は開かれ、あたしは知らない男の人に連れ出される。突然の出来事に、目に映る光景がなんだかスローモーションに見えた。暗い空に、円を描いて宙を照らす懐中電灯の光が、妙にゆっくりと見えて、孤独に回り続ける観覧車みたいだった。
 遊園地の人らしい男の人がいて、その後ろにお父さんがいた。こちらを心配そうに見つめて肩を縮めている。

 ――そっか……やっぱりまた、あたしはお父さんに見つかっちゃったんだ……。

     ♮

 あたしたちは遊園地の偉い人に連れられて、港湾会館と書かれた建物に入った。
 カツン、カツン……と暗い廊下に足音が響く。
「茜、ここで待ってなさい」
 お父さんは、突き当りの小部屋に入っていき、ひとり残されたあたしは廊下のベンチに座った。冷たくて、かたくて、座り心地の悪いベンチ……。
 病院の待合室にひとりでぽつんと取り残されている気分だ。ドアの向こうから話し声が聞こえているけど内容までは聞き取れない。
 ベンチはペンキが剥げてすごくザラザラしている。遊園地で使っていた古いやつなのかもしれない。無機質な暗い廊下に不似合いな、ペンキの剥げた赤だった。
 壁には《交通死亡事故ゼロ》と描かれたポスターがぽつんと一枚だけ貼られている。廊下の奥にみえる緑の非常灯は、チラチラと今にも切れそうに点滅していた。
 あたしたち子どもの世界でも、お父さんみたいな大人の世界でも、似たようなものなのかな。職員室で先生にお説教されたみたいに、お父さんも偉い人にお説教されている。
 あたしはベンチにそっと横になり、目を閉じた。

 どのくらいこの座り心地の悪いベンチにいたのかな。部屋から出てきたお父さんが、やさしく揺すってあたしを起こす。
「茜、起きて、さあ帰ろう」
 つないでこようとする手を振り払い、お父さんの少し後ろをついて歩いた。無言のまま遊園地を出る。気がつけば、外は少しだけ明るくなり始めていた。
 ずっと黙っていたお父さんがポツリといった。
「ねえ、茜。久しぶりに、防波堤に行ってみようか?」
「行かない……」
「……まさか茜が、観覧車にひとりで来るなんて思ってもみなかったよ。あんなにここへ来るのをいやがってたのに」
「…………」
「お父さんとお母さんは大学の授業が終わった後にね、よく港の防波堤でデートしたんだ」
「だから?」
「だから……久しぶりに行きたいんだ。お父さんも茜と同じように、お母さんがいなくなってしまってから、あの防波堤には近づけなくなってしまったから」
 お父さんは振り返らない。背中が悲しそうだった。でも、だからこそあたしはそんなお父さんが許せなかった。貯め込んでいた想いが湧き上がってくる。
「そ、れなの…のに、お…お父さん…はは、あぁ…たしと、とお母さんの、き…き、気も…ちをふふっ…踏みにじ…たんだ! ぁあ、朱…里って人とぐっ…グルにに、なって!」
 お父さんは足をとめると振り返った。
 そしてなぜかやさしく笑うと、ズボンのポケットから手紙を取り出し、あたしに渡した。
「茜、やっぱり防波堤に付き合ってくれるかい? あそこには街灯もあるから、そこで手紙も読めるよ」
 手渡された封筒は、白地の和紙にツタ植物みたいなシルエットがかげ絵のように描かれている。朱里がくれた便せんと同じ柄だった。
 いったいどういうつもり?
 あたしはお父さんをにらんだ。
「差出人は、なかを読めばわかるよ」
 そういって、お父さんは防波堤へと歩いていった。

     ♮

 あたしは近くにあった街灯の下で封を開け、手紙を読み始める。

『Dear 茜

 あなたがこの手紙を受け取ったということは、少なからず今なにかにつまずいたり、なにかにぶつかったりして足踏みをしているってことね。
 そして、それは朱里にも解決できないこと。

 この手紙を読むころ、茜はいったいいくつになってるかしら?
 あたしの目の前では、五歳になったばかりのあなたが口をとがらせてにらんでいるわ。
 折り紙を教えろって。
 この手紙を茜が読むころ、あたしはきっと生きていない。だからあたしは、あなたのためにコミュニケーションプログラムである朱里を作っている最中なの。
 でも悩んでるわ。結果的にあなたを傷つけてしまうんじゃないかって……。
 いったいなにが幸せで、なにが正しいのか?
 茜はそんなことを考えてみたことはある?
 あたしはここのところ、そんなことばかり考えているの。
〝幸せ〟や〝正しさ〟なんていうものに、正解などないのかもしれない。
 そのどちらも決まった形があるわけでもないしね。
 でもだからこそ、人間ってあれこれ複雑に物事を考えたり、ときにはシンプルに考えたりしたいのよ。
 あたしも今はこうして悩んでいるけど、きっとあなたにとって一番良いと思える行動を取ると思うわ。たとえその結果、茜のことを迷わせたり、悩ませたり、傷つけたりしたとしても。
 だってあたしが母親でいられる時間は、あと少ししかないんだもの。
 茜は今、あたしのことをどう思っている?
 あたしを残して、さっさと死んでしまった勝手なお母さん?
 パソコンとばかりにらめっこして、ちっともあいしてくれなかったお母さん?
 きっと、そのどちらも正解よね。今だってまだまだ茜としゃべり足りないし、まだまだ茜をあいしたりてないんだもの。
 ごめんね、茜。ずっと、あなたのそばにいてあげられないお母さんを許してね。
 ずっと、あなたの悩みを聞いてあげられないお母さんを許してね。
 成長していくあなたと、いつか女どうしの会話をするのが夢だったわ。
 一緒に買い物に行ったり、好きな男の子の話をお父さんに内緒で話したり、ときには本気でけんかをしたり……。
 茜としたいことは山ほど思い浮かぶのに、そのどれをするにも時間が足りない。今は目の前の駄々っ子モンスターの機嫌を取るだけで精一杯よ。
 だからこそ、朱里にはあたしのすべてを反映させようと頑張ってるの。
 もうすぐあたしはあなたの前からいなくなってしまう。
 でもあたしのすべてを注ぎこんだ朱里があなたのそばにいるって思えれば、あたしは少しだけ安心して、遠く離れた場所であなたを見守っていられるから。

 悩んだり、つまずいたりすることは、成長するためにとても重要なことよ。
 だからそのどれが訪れたとしても、立ち向かう気持ちだけは忘れないでね。

 ずっと、ずっと、茜のそばにいたかったわ。
 約束、守れなくてごめんね。
 あいしてるわ、あたしたちの宝物。

 P.S.
 茜は間違いなく、あたしとお父さんだけの子どもよ。
 たとえ、あなたに新しいお母さんができたとしても、その事実は変わらないわ。
 でももし、茜がその人を気に入ってその人のことをお母さんって呼んであげてもいいって思えたなら、迷わずにその人をお母さんって呼んであげてね。』

 ところどころ、インクの滲んだお母さんの手紙を抱きしめて、あたしは声をあげて泣いた。
 お母さんにあいたい! そして思いっきり抱きしめてほしい!
 ずっと心の重しで閉じこめていた感情が一気にあふれ出していた。手紙を握りしめ、街灯の立ち並ぶ防波堤へと続く道を泣き叫びながら歩く。
「お父さん!」
「……少しは、茜の悩みを解消する手助けになったかな? 駄々っ子モンスターが、ぼくの手に負えなくなったときに、渡してってお母さんにいわれてたんだ」
 お父さんは海を見つめたまま、振り返らずにつぶやいた。
「…あた、あたし…ごっ…ごめ、ごめんな、さっさい」
 お父さんはなにもいわず防波堤に腰をおろす。
「本当は、お母さんに少しでも望みがあるのなら、入院でもなんでもして、諦めずに最後まで病気を治すために闘ってほしかったんだ……」
 声が、波の音でかすれて聞こえる気がする。
 声が、波のせいで揺れて聴こえる気がする。
 お父さんはやはり背中を向けたままで、いくらその声が揺れていても、泣いているのかどうかはわからなかった。
「でもね、お母さんは僕の考えを聞き入れてくれなかった。時間を一秒だって無駄にしたくないってだんだん弱っていく病の体にムチ打って、お母さんは茜のそばに居続けたんだ」
 自分が許せない気持ちでいっぱいだった。
 そんな大変だった時期に、あたしは……。
「だけどね、そのうちお父さんも、お母さんが取った行動は、正しかったんだと思えるようになったんだよ。だって病気で体を動かすのだってつらいはずなのに、茜のそばにいるお母さんは、本当に幸せそうに笑って、充実した時間を過ごしているように思えたから」
 お父さんは立ちあがり、振り返るとあたしを抱きしめた。
「茜、お母さんとお父さんのところに生まれてきてくれてありがとう」
 お父さんが泣いている。顔なんて見えなかったけどわかった。
 だって、あたしも泣いてたから……。
「お母さん、お母さんに……あっ、あいたい……」
「うん、お父さんも、お母さんにあいたいよ……」
 ごめんね、つらいのはあたしだけじゃないはずなのに……。
 あたしはやさしさにきつく抱きしめられながら心の中でつぶやいた。
「さあ、帰ろうか?」
 お父さんがあたしの手を取り歩き出す。
 いつしか空は茜色に彩られ、新しい一日の始まりを知らせているよう。
 心地いい波の音と生温い風、あたしたちはまだ泣きやまないまま、手をつないで家路を照らす陽の光の中をたどっていった。


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