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「あかりの燈るハロー」第十八話

イフ・アカリ(2)


 家に帰り、今日の出来事をさっそく報告しようとパソコンを起動させると、めずらしく朱里から先にメールが来ていた。

『おはよう、茜。
 そこはここよりもずっと離れた場所で、ものすごく近くにある場所。
 行きたくても行けない場所で、いつの間にかたどり着いてる場所。
 ハローワールドも同じように晴れの日もあれば、雨の日もあるわ。』

 はぁ……また朱里お得意の謎かけだ。

 Re.ハローワールド
『朱里、ただいま! 聞いて! 今日はすごい事件が起こったのよ! 博多からの転校生くんがついにやってくれたわ!』

 あたしはパソコンの前に座ったまま。
 朱里からの返信はすぐにやってきた。

『おかえり、茜! なに? なに? いったい博多くんが茜のクラスでなにをやってくれちゃったわけ?』

 思った通り! 朱里もこの話題に食いつかないはずない。

 Re.ハローワールド
『なんと! なんとよ! うちのクラスの根本っていう、意地が悪くて、みんなから嫌われてる男子をぶっ飛ばしてくれたのよ!
 みんなの前で、しかもHR中の先生のいる前でよ。
 クラス中があぜんとしてたわ!』

 はやく来い! はやく来い!
 あたしははやく続きを話したくて、ソワソワしながら返事を待つ。

『博多くん、その根本って男子生徒に暴力を振るったの?』

 Re.ハローワールド
『そうなの! すごいでしょ?
 でも、誰も根本に同情なんてしないよ。
 もちろんその後、先生に連れ出されてお説教はされてたけど、
 ネズミみたいに目を真っ赤にしていい気味だったんだから!
 あたしもさんざん嫌味をいわれてたし、おかげで胸がスッとしたよ!』

 きっと、朱里も今日起きた事件を自分のことのようによろこんでくれるって思いこんでいた。でも朱里からの返事は想像に反するものだった。

『茜は、その根本って子が泣いているのを見て、胸がスッとしたのね?
 だとしたら、あたしは茜に対して本当に残念でならないわ。』

 その言葉に胸が締めつけられる。

 Re.ハローワールド
『なんで?
 あたしだって、さんざんイジメられてたんだよ?
 それに、あたしが直接なにかをしたわけでもないし……。』

 朱里はなにか勘違いしている!
 これまでは吃音のことや根本のことを話してなかったから。
 急に話したからきっとわからなかったんだ。
 勘違いしても仕方ない!
 ――あたしはそう考えた。
 ……なのに、朱里からさらに返って来たのはこうだった。

『だとしても、暴力を受けて泣いている彼を見て胸がスッとした茜は、
 暴力を振るった博多くんと同様に弱い人だわ。』

 いっている意味がまるでわからない。
 古賀くんが弱い?
 だって根本を叩きのめしたんだよ?
 古賀くんを弱いなんていう人はいないはず。
 クラスの誰もが古賀くんを認めたのに……。

『茜、よく考えてみて。
 物事を解決するのに、正しいやり方と間違ったやり方とがあることを。
 強い人間になってほしいとは思ってないけれど、
 間違ったことに気づかないままでいる人や、
 間違ってることを間違っているといえない人には、なってほしくないわ。

 あたしはいつだって茜の味方だよ!
 いつだって茜を支えるからね。』

 ショックだった。顔が熱くなる。朱里とここまで意見が対立するのは初めてだった。
 朱里は、あたしの話にすべて賛成してくれるかと思えば、思わせぶりでよくわからないことを言ったりする。でも理由もなく反対するとは思えなかった。
 最後の二行をもう一度読む。いつも朱里は味方でいてくれてる。
 朱里にもらった手紙を思い出す。薬局でもらったカバンにはいっていたあの手紙だ。もし上辺だけの関係なら、あたしの考えを否定するなんて絶対にしないはずだ。
 すごくもやもやとする。この気持ちがなんなのか、はっきりとはわからない。でも朱里がどうして残念だというのか、もう一度ちゃんと考えようと思った。
 朱里は心から考えてくれている。だからこそ気づいてほしいはずだ。
 根本のことは好きじゃない。古賀くんが間違っていたかどうかも謎だ。でも古賀くんがした行動を喜んで報告したあたしを、朱里は残念だといった。
 いつも支えてくれる朱里をがっかりさせたことがすごくかなしかった。気に入られるためにすべて言う通りにしようなんて思ってない。でもあたしは朱里のことが大好きだし、なにより嫌われたくなかった。
 改めて、朱里という親友に出会えた奇跡に感謝した。もしクラスのみんなが朱里みたいな子ばかりだったら、あたしのまわりは「友だち」であふれてたのに……。

 あ、あたしが朱里だったら……⁉

 あたしみたいなひねくれ者でも、朱里と出会うことで随分と素直になれた。じゃあ、もしあたし自身が朱里みたいな人間だったらみんなはどう思うんだろう?
 どうなるんだろう?
 もしかしたら、なにか変わるんだろうか……。
 あたしは急に思いついたこの〝考え〟に胸が高鳴った。こわいような気持ちと、すごく待ち望むような気持ちの両方で、胃のあたりが少し気持ち悪くなるほど。

『茜、よく考えてみて。
 物事を解決するのに、正しいやり方と間違ったやり方とがあることを。』

 古賀くんが取った方法が間違っていたなら、正しい解決方法っていったいなんだろう。

『あたしは、茜に強い人間になってほしいわけではないけれど、
 間違ったことに気づかない人間や、
 間違ってることを間違ってるっていえない人間には、なってほしくないわ』

 朱里がいおうとしていることの、微妙なところはやっぱりはっきりとしない。でもきっと朱里はその答えを知っているしヒントをくれている。

 ――もし、あたしが朱里だったら……。

 そんなことが頭を過ぎる。
 もうすぐ開きそうな大きな扉を手に入れたような気分だった。

   ♮

 翌日、昨日降った雨の匂いはすっかり消えてしまったけれど、朝からまとわりつく蒸し暑さの中、校門をくぐり抜けると、下駄箱で楽しそうに話す大和と古賀くんの姿があった。大和があたしに気づき、声をかける。
「よぉ! おはよう」
 ふたりはあたしに挨拶すると振り返り、階段に向かう。

(もし、あたしが朱里だったら……)

「おっ…おはようおはよう!」
 歩き始めていた大和は、驚いた顔で振り返った。
「大和? どげんしたと?」古賀くんが立ち止まる。
「椎名が、はじめておれに挨拶してくれた……」
「は? そりゃおまえ、そもそも友だちや、思われとらんかったんやなかと?」
「ち……違うよ! 椎名は声を出しにくい病気だから、こっちが声をかけても返事が返って来ないこともあるけど、それは無視じゃなくて病気だから気にしないで声をかけてやれって、母さんがいってたもん」
 そんなことを突然いわれてあたしまでびっくりする。
 たしかにこれまでちゃんと挨拶を返したことなんてなかったかもしれない……。
 それより、大和は大和なりに考えて接していてくれたっていう事実が驚きだった。これまでの自分がすこしはずかしくなる。

(もし、あたしが朱里だったら……)

 お互いに目をまん丸にして変な顔で向かい合っている大和とあたしを見て、古賀くんが豪快に笑いだした。
 あたしは改めて昨日のお礼を伝える。
「こー、古賀、くん、えーと、昨日…昨日はー昨日はありがとう」
「よかよ! そげん、お礼なんかいわんでもよかろうもん。あいつばせからしうて、ばりむかついたけんな」
 古賀くんは照れて頭をコリコリとかいて笑った。

(もし、あたしが朱里だったら……)

「でもでもね……えーと、やや、やっぱりぼ、ぼう、暴力はは……あーと、ダメッ…だと思うの」
 古賀くんの顔からすっと笑顔が消えた。背筋が凍る思いだった。
「なにいうとっちゃろ。椎ぃ名さん、あいつにイジメられとったちゃろ?」
「うん……」
 いやな雰囲気を察して、大和が間に入る。
「ばかだな椎名! 助けてもらったのにおまえなにいってんだ」
「気にすんな」と古賀くんの肩を叩くと、ふたりは振り返り階段を上っていった。
 あたしはすっかり怖じ気づき、その先をいえないままふたりを見送った。
 行き場を失った言葉が心で跳ねる。
『でも、暴力でその場を収めてもそれは本当の解決にはならないんじゃない? だって根本たちはこわくて暴力に屈しただけで、反省なんてしてないんだから……』
 昨日の思いつきをいきなり実践したところで、すべてがうまくいくなんて思ってなかった。でも……それでも、あたしが人の行いを指摘することで、こんなにも相手を怒らせてしまうなんてことも、まったく考えてなかったんだ。

     ♮

 階段を上るのを拒否するように足が重い。
 教室に入ると、クラスメイトたちがいつもの笑顔を浮かべて気の合う者どうし笑いあっている。あたしは机の中に教科書をしまうと、椅子に腰をおろした。
 気持ちのよい光が窓から差しこみ、じゃれあう男子生徒のそばに舞う埃が光を浴びてキラキラ光っている。昨日見たテレビの話題で盛りあがる女子たちの笑い声、ゲームの話題に夢中の男子たち。
 大和は相変わらず古賀くんにべったりで、彼の取り巻きたちとも仲良くやっている。
 根本、倉畑ペアもふたりでケタケタと笑い合っている。
 友子は、かなえや竹下さんのグループに迎え入れられ、毎日が楽しそうだ。
 あたしはひとり、椅子に座って黒板を見つめる。始業を知らせるチャイムが、こんなにも待ち遠しいと感じる日が来るなんて……。
 あたしはいったいどうしたかったんだろう?
 どうしてほしかったんだろう?
 教室を取り巻く笑い声の中にいるはずなのに、まるで教室の外に放り出されている気分だ。苦しくて息もできずにもがいていると、待ちわびた始業のベルに、あたしの心はなんとか救われた。
 国語の授業では、安西先生はあたしを指名しない。それは先生のやさしさであっていやがらせじゃないことはわかってる。他の子たちがつまずきながら教科書を音読するなか、あたしは頭の中で教科書をスラスラと読む。頭の中では、あたしは決してつまずいたりしない。いつだって誰よりも上手に読めるんだから。
 でも安西先生はあたしを指名しない。それは先生のやさしさ。
 だからまるで、このクラスにはあたしがいないみたいだった。


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