「たくさん読み」「たくさん書く」の本当の意味
崖っぷち作家のニジマルカです。
よく作家さんのインタビューで、「小説が上手くなるには、たくさん読んで、たくさん書くしかない」といった言葉が出ることがありますよね。
作家志望者だったころは「適当な答えだな〜」と思っていたのですが、作家になってみて、これは本当のことだと考え直しました。
今回は「たくさん読み、たくさん書くとはどういう意味か」という話です
上手くなるには
まず最初に「上手くなるにはどうすればいいか」考えておきましょう。
基本的には、このサイクルを繰り返すことで上手くなります。↓
1.書く
2.評価する
3.直す
それぞれ見ていきましょう。
1.書く
まずは作品を書きます。
現時点での出力結果が作品(成果物)です。
成果物がなければ、評価もできませんし、評価できなければ直すこともできません。
水泳で言えば「泳ぐ」、テニスで言えば「フォームの練習をする」などがこの行程に当たります。
2.評価する
作品ができたら、評価します。
「評価」とは何でしょうか?
テニスのコーチを例にすると、わかりやすいでしょう。
コーチは、あなたのフォームを見て、「右肩が下がっている」とか「足を踏み込みすぎ」とか、アドバイスしてくれますよね。
これが「評価」です。
評価=アドバイスと考えればいいです。
ところで、なぜ、コーチはアドバイス(評価)できるのだと思いますか?
それは、コーチが「正しいフォーム」を知っているからです。
「正しいフォーム」を知らなければ、「あなたのフォーム」との違いを指摘することはできませんよね。
つまり、コーチとは、「正しいフォーム」と「あなたのフォーム」を比べて、その差を指摘する存在のことを言います。
ですから、「評価」を式にするとこうなります。↓
評価(アドバイス) = 正しいフォーム ー あなたのフォーム
これを一般的に直すと、
評価(アドバイス) = 正しさ ー 今のあなた
となるのがわかると思います。
3.直す
さて、評価がわかれば、それに沿って修正することになります。
ここまでの話がわかれば、「修正する」の意味もわかると思います。
評価の式はこうでした。↓
評価(アドバイス) = 正しさ ー 今のあなた
この式において「修正する」とは何かというと、「今のあなた」を「正しく」して、「アドバイス」を0にすることです。
上の式の「今のあなた」に「正しさ」を代入すれば、アドバイス=0、つまり「アドバイスがなくなる」ことがわかりますよね。↓
アドバイスすることがない = 正しさ ー 「正しさ」
つまり、あたりまえの結論なのですが、
「修正する」とは
今のあなたを正しさに近づけていく (=アドバイスがなくなっていく)
ことを言います。
「正しさ」はどこにある?
さて、ここまでで、「評価して、修正する」ことの正確な意味がわかったと思います。
評価と修正という一連の作業に、最も重要なものは何だと思いますか?
それは「正しさ」です。
上で見てきたとおり、正しさがわからない限り、評価も修正もできないからです。
では「正しさ」はどこにあるのでしょうか?
テニスでいえば、「正しさ」を知っているのはコーチでした。
ですから、小説でいえば、「正しい小説」を知っているのは、「プロ作家」ということになります。
つまり、小説が上手くなるには、「プロ作家」がコーチになってくれるのが一番良い方法なのですね。
ですが、それが出来る人はごくわずかでしょう。
ですから、ほとんどの人は、自前で「正しさ」を用意しなければならないのです。
正しさを自分に入れる=たくさん読む
では、自前で「正しさ」を用意するにはどうすればいいでしょうか?
もうおわかりだと思います。
「たくさん本を読むこと」です。
つまり、「たくさん本を読む」とは、「自分の中に正しい小説像を作りあげる作業」のことなのです。
「正しさ」を知っているプロ作家が書いた本は、だいたい「正しい」はずです。
ですが、プロ作家もピンきりですから、数冊読んだだけでは「正しさ」は掴めないでしょう。
ですから、たくさん読んで、「正しさ」を平均化して自分の中に入れるのです。
自分の中の「正しい小説像」が、評価や修正の基準となるのは上で書いてきたとおりです。
基準が間違っていれば、すべてが間違ってしまいます。
ですから、小説が上手くなるために最も重要なことは、できる限りたくさん本を読んで、自分の中に「正しい小説像」を構築することです。
これが「たくさん本を読む」ことの本当の意味です。
正しさに近づける=たくさん書く
たくさん読んで、自分の中に「正しさ」を構築できたとします。
ですが、その「正しさ」のとおりにできるわけではありません。
テニスを例にすれば、いくらコーチが「正しいフォームはこうだから、こうしなさい」と言っても、すぐそのとおりにできるわけではありませんよね。
正しいフォームに近づくためには、練習が必要なのです。
小説も同じです。
自分の中に「正しい小説」があっても、そこに近づくためには、何度も練習しなければなりません。
練習することで、少しずつ「自分の作品」が、頭の中の「正しい小説像」と一致していくのですね。
その練習が、小説の場合は「書く」ことなのです。
ですから「書く」というのは、知的技能というよりは、むしろ身体技能に近いものだと言えるでしょう。
いっそ、スポーツのようなものだと考えた方がいいかもしれません。
頭でわかっていても、イメージどおりに動くには練習が必要です。
スポーツと同様、小説における「たくさん書く」とは、正しさに近づくための反復練習なのです。
今回のまとめ
「たくさん読み、たくさん書くことの意味」の話でした。
1.うまくなるためには「正しさ」という基準が必要
2.自分の中に「正しい小説」を構築するのが「たくさん読む」
3.その「正しい小説」に作品を近づけていくのが「たくさん書く」
長々と書きましたが、結論はあたりまえのことです。
結局、あたりまえのことをやることが、上達への王道ということでしょう。
それではまたくまー。
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