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欲しくてたまらなかった自分に気が付く

私は自分が分からなかった。どうして、こんなにも頑張らないといられなかったのか。


悔しいから頑張る』そんな思いが一番にあった。いつもいつも、頑張っているときは『悔しい』気持ちが原動力だった。


たぶん色んな方が、『悔しい』そう思って行動したことはあるだろう。例えば、スポーツ。試合で負けた。勝てる相手だったと思えば思うほど、その『悔しい』という思いは、次の対戦へと繋がる練習となるだろう。それは『前向きな練習』であると思う。


だけど私は違った。『こう言われるのが悔しいから頑張る』『私は、これだけのことをしているんだから必要とされるべきだろう』『こんなに積極的に行動しているんだから評価される人物だろう』


そう。全て『他人軸』だったんだ。私は、自分の所属欲求と、承認欲求を満たすことに躍起になっていただけだった。


どうしてそこまで私は、この二つの欲求に囚われていたのか。それは、人間にとって、誰にでもある欲求ではあるが、私はいつまでも満たされない気持ちでいっぱいだったから。不安でたまらなかったから。


私は3人姉弟の長女。弟は身体が弱かった。一番下の妹はとにかくかわいがられていた。私はいつの間にか、家族の中で一番存在の薄い人間になっていた。初孫でもあった私は、とてもかわいがられた』と聞いてはいたが、物心ついた時にはそんな状況とは思えなかったし、そんな風に感じ取れなかったから。私はいつしか、妹がうらやましいと感じるようになっていた。


妹は『ハーフ?』と聞かれるくらいに実際に見た目も可愛かったし、きちんと自己主張の出来る子だった。私は姉と妹という立場ですら、比較するようになっていた。


一番子って、本当に損だ。親も初めての子供だから、私が一番厳しくされた。それは私の思い込みではなく、実際にそうだったから。同じことをしても、私の時と妹の時とでは親の言動が違ったし、実際にそれを子供の頃、親にも言ったこともあった。『お姉ちゃん』とか『お姉ちゃんなんだから』とか、そんな自分の意志で決めたわけじゃない役割を理由に、聞き分けのいい子に仕立てられることに、うんざりだった。


だから私は、自分の子供が生まれた時お兄ちゃん』『お姉ちゃんと呼ばないと決めていた。生まれた順というだけで、勝手に決められる役割なんて勝手すぎると、私自身がとてもそのことに不公平感を感じていたから。


そんな子供時代の存在意義は、ことごとく潰されていった。そんな私は、その時の気持ちを持ったまま大人になった。


必死で頑張ることで、自分の居場所を確保し、存在を必要とされる。『頑張れば、誰かが褒めてくれる』『頑張れば、誰かが必要としてくれる』『頑張れば居ていいんだと思っていた』『いらない人間と思われない』と思っていた。


でも今の私の生きづらさが、そんな理由だと気が付いた時、私はこうして子供時代の自分と向き合った。子供の私に寄り添いながら、わんわん泣いた。子供みたいに。


私は本当は、親に愛されたくて、たまらなかったんだ。必要とされたくてたまらなかったんだ。居ても良い存在だと思いたかったんだ。


もう私は、『お姉ちゃんなんだから』という理由で怒られることも、制限されることもない。私はそんな役割はもういらない、いやもうないはずなのに、いつまでも抱え込んでいた。


自分と向き合って見えてきたことは、私自身が本当は怖くて、ふたをしてきたことだったのかも知れない。


やっと向き合う怖さから、解放され、私は私に素直に生きていけそうな気がしてる。