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#84 識字と読解の違いから考えるろう者への効果的な支援

にいまーる理事の吉井です.こちらのnoteではお久しぶりになります.
日頃より,手楽来家やかめこやの日々の業務を通じて,様々な気づきを得ることがあります.
今回は,当法人が運営する施設の利用者との関わりの中で得た気づきから,日本語の読み書き、識字率、読解力と手話の関係性について掘り下げ、効果的な支援について考えてみたいと思います.

利用者対応をする中で,常々,日本語をどのくらい理解しているのだろうと探りながらコミュニケーションをとりますが,聞こえのレベルや生まれ育った環境によって、その程度はまちまちです.手話だけで完結する場面もありますが,ニュースや新聞を見て「どういう意味?」,行政からの郵便物に「何て書いてある?」と聞かれたり,反対に我々スタッフからメモを渡す際に「これで理解できているだろうか」と,音声ではなく,概ね読み書きの日本語について考えることがあります.

ここで一般的な日本人の識字率を考えてみると,それは100%に近いと言われています.しかし,識字率が高いからといって,全ての人が高い読解能力を持っているわけではありません.
ここでは便宜的に識字能力読解能力という言葉を使います.
識字能力は「文字が読めること」ですが,読解能力は,単に文字を読めるだけでなく文章の意味を理解し,情報を適切に解釈する力とします.これは教育や個人の経験に大きく依存します.

ちなみに聴者も識字はできても読解はできないという人は多いように見受けられます.例えば,

ポストモダニズムの潮流において、メタナラティブの解体が進行する中で、情報の断片化と断片化された知識の累積が個々の認知的負荷を増大させる現象が顕著となっている。これにより、エピステモロジカルな不確実性が増幅し、認識論的な視点からの批判的思考が求められる。さらに、デジタルエコシステムの急速な進展により、情報の検証可能性と出所の信憑性に対する懐疑が増大し、情報リテラシーの深化が必須となっている。この文脈において、効果的な情報管理と批判的思考の育成は、現代の知識人にとって不可欠なスキルである。

例文を記しました.一般的な義務教育を受けてきた人たちは「これを声に出して読んでみて」と言われたら読めるかと思います.しかし,「意味わからん」と内容を理解することができない人も多いでしょう.
一部の利用者から見ると,私たちにとっては簡単な日本語がこのように見えているのかなと思ったりするわけです.
識字と読解の違いについてはこんなところで理解してもらえたでしょうか.

さて,読解能力について,利用者を観察していると,日本語の理解がスムーズな利用者は,手話での会話においても抽象度の高い会話が成り立っているように見受けられます.オープンクエスチョンに答えられたり,例え話ができる人などが該当します.

あくまで憶測の域を出ませんが,手話を通じて得られる言語情報が,読解力の基盤となるのだと考えています.手話は単なるコミュニケーション手段ではなく,言語発達と教育において重要な役割を果たしています.
実際にバイリンガル教育の有効性だったり,脳科学的に手話の情報処理が視覚野ではなく,日本語と同じく言語野で処理されているなど,それらしい文献はたくさんあります.
我々は教育機関ではありませんが,日々の支援を通して,利用者が日本語を少しでも理解できるようになることが,使命の一つであると考えています.
そのためには手話での会話を通じて,語彙力や論理展開などを身につけ,自己表現できるようになることで,日本語の理解も進むのではないかと考えています.そんなことを考えながら,我々スタッフも手話も日本語も学び続けていきたいと思います.



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文・吉井大基
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