超絶ブラック企業

【寄稿】超絶ブラック企業体験・脱出記 購入特典:ブラック企業サバイバルガイド

著者:宮本しげる(仮名)
監修:「副業出版」代表・竜崎

こんにちは、こんばんは、ごきげんよう
ネット出版社「副業出版」代表の竜崎です。
noteではビジネス情報を主に発信してまいります。

超絶ブラック企業を経験した宮本様から寄稿をしていただきました。
今回の記事は、ブラック企業、
そしてそれよりも極悪な超絶ブラック企業で働いた経験談と、
その経験から編み出したブラック企業サバイバル術です。
今回の記事は、宮本様が執筆した文章です。
副業出版代表の私は、
今回は監修者として、文章を編集・補足をしています。

宮本様が派遣切りにあったところまでを無料の前編とします。
それからさらに極悪な超絶ブラック企業で働くところから始まる後編と
ブラック企業サバイバルガイドは有料です。

宮本様は現在サラリーマンを続けながら、複数の事業を展開しています。
今回の記事は、宮本様が地獄から這い上がった過程を描いた記事です。
ブラック企業に勤めている方、フリーターやニートで苦しんでいる方にはとても参考になると思います。
ブラック企業サバイバルガイドには、会社内で生き残る処世術や会社を殴る方法が載っています。

記事を購入してくださった方には、
購入特典として個別に記事の質問の回答を行ないます。

私を通して、宮本様に質問の答えを頂きます。
宮本様の個人情報や企業の詳細な情報をお答えできかねますので、あらかじめご了承ください。
noteのメッセージまたはツイッターのDM
記事最後尾掲載のメールアドレスに気兼ねなくご連絡ください。
(メールは、迷惑メールに入ることが多いので、できるだけnoteかツイッターでご連絡いただけると幸いです。メールを送っても60時間以上返信がなかった場合、noteかツイッターにご連絡ください。)

では、ここからが本編です。
宮本様が経験した地獄、そしてその地獄から這い上がる過程をとくとご覧ください。

職歴 (目次)

2018年 現在の自由業
2018年 現在の雇用先
2006年 有名な体育会系営業会社
2006年 極貧ニート
2007年 派遣社員
2010年 就職活動
2010年 超絶ブラック食品会社
2013年 超絶ブラック食品会社を脱出
2018年 そして父になる

サバイバルガイド(購入特典)について

「作者の人生なんか知るか。クソポエム書いてんじゃねえ!こっちは金払ってるんだから、読者の役に立つ情報をよこせ!!」・・・

と言う人のために筆者が経験した会社、状況ごとの分析と攻略法を書いた
「狩られる側のための」サバイバルガイド(過去の所属企業、状況別の攻略法)
「狩る側のための」サバイバルガイド(事業の乗っ取り方、事業の買収方法)
あとがき

実際の使用は自己責任で。

※無断転用、転載、複製は、固くお断りします。

2018(平成30)年 初夏 ダムの湖畔の県道

ある西日本の山間部、私は車を走らせる。
産後、実家に帰省している妻と娘、その家族に会いに行くために。
車に積まれた発泡スチロールには市街地で買った刺身などの食材が入っている。
娘の生まれたお祝いに、ちょっとしたパーティーをするために。

勧められて買った新車の普通車は乗り心地が良く、開けている窓から当たる風は心地よい。
勤め先の上司の勧めで結婚した10歳若い妻やその家族は、多少わがままだが気がよく、好き勝手にしか生きられない私を許してくれている。

契約社員として会社勤めをしながら、1人で複数の個人事業をしているため、様々なクライアントからの電話がある。
「宮本君、来週末も農作物の買い付けを頼むよ。取引先が先日の品物を気に入っている。」
「来月手伝いに来てくれ。会社の後で構わないから」
もはや、何でも屋だ。

休みはないが、仕事は楽しいし、生活費には困らないので今の生活は悪くない。
しかし、こんな日々がいつまでも続くとも思ってない。

明けない夜はないけれど、昼が終われば次の夜は必ずくるんだよ。

2018(平成30)年 1月 現在の勤め先

契約社員として勤めている会社のお偉いさんに呼び出され、会議室に行った。
仕事の手抜きでもばれて、お灸を据えられるのだろう、どんな言い訳を極めようかと期待して会議室に入ったのだが、目論見が外れた。
「来年辺りから、正社員として頑張って欲しい。」

中途採用で契約社員から入社して、正社員になるのは狭き門なので、本来は小躍りして喜ぶべき事なのだが、私は複雑だった。
「お気持ちはうれしいのですが、他にも強く正社員を希望される方は多いので、私の席を誰かに譲っていただけませんか。」

お偉いさん達は少し困った様に、
「効率よく仕事をこなせる人を、管理職の候補として会社におきたい。」
結局その場では保留になった。

私がアベノミクスのどさくさに紛れて入社した頃、この会社は財閥下請けとしてかなり業績がよく、私も雇用期間の制限がなく各種手当てがある正社員を目指した。
心を殺しながら、理不尽な業務を快くこなし、嫌な上司にもへつらった。

しかし、親会社の財閥が不祥事を起こし、親会社が買収された。
商品は買いたたかれ、新規の仕事は赤字の連続、管理職はひどいサービス残業をしている。

こんな状況で、管理職になりたいとは思えない。
拘束時間を減らして、自分の事業を強化する方がどう考えても効率が良い。
もちろん、副業は禁止されているが、入社当時からオープンにしてきた。
副業の利益は、多い月には20万円ほどあるので、
「副業をやめる気はないが、もし私に処分があるなら会社に従う。処分に納得できなければ退職する。」
というスタンスをとっている。

会社側からは、「子供が生まれるから」とか、「生活は大丈夫なのか」と、私の余裕は根拠があるのか、ただのブラフなのかを探るような質問が何度かあった。
現在住んでいる中間所得者向けの町営住宅の近くに実家があるので、最悪そこに帰ること、実際に個人事業をしていること、3千万円ほど預金があることを話したら、その事に触れなくなった。

あとは、現在の会社は、私が決めているラインまで落ちれば退職する。
この会社も、安住の地ではなかった。
自分でもどこかで分かっていた。
もうすぐ、次の夜が来る。

実は私は35歳の今でも、まともに就職したこともない。
というか、能力もやる気もなく、まともな会社には就職できなかった。
ブラック企業と、非正規を渡り歩いた。
最底辺のブラック企業の、その中でも最底辺の扱いを受けた。
本当に、お金がなく、まともに相手にもされず、辛いことが多かった。
馬鹿にされて、差別されて、ピンハネされて、悔しかった。
今でも、パン一つ買うために、下種な経営者の犬だった屈辱は忘れられない。

でも、今度の夜は怖くない。
ノウハウは戦術。スキルは武器。お金は弾薬。仲間は友軍。
どれも準備できている。

普段泳がない犬も、
水に放り込むと、結構泳ぐんだよ。
おぼれて死ぬやつもいるだろうけど。


2006(平成18)年 4月 
県外で就職 有名な体育会企業。

「朝礼!今日お前は何件売るんだ?」
高校を卒業後、都会に出て数年飲食店でフリーターをし、その後期間工で金を稼ぎ、違う県外の学校で資格は取ったけど、就職できたのは、体育会系で有名な営業会社だった。
ゲーム大好きボッチ大好きな私とそんな会社が合うわけもなかったが、ずっと続けていた武道の道場に行きたかったので、残業はないと聞いてここに決めた。
我ながら馬鹿すぎる。
今タイムスリップできるなら、お花畑の自分を間違いなくぶん殴る。

今やどこででも聞く話だが、残業がないっていうのは「自分の決めた目標契約件数を達成」したらって事。
「自分で決める」って言っても、目標契約件数を少なく言えば、上司にものすごく怒られたから、目標契約件数は「会社が決める」って事。
結局、出勤は月~土曜日の朝7時30分で帰れるのは夜10時30分。
もちろん残業代なんて出ない。
道場にも全然行けない。
おまけに目標未達なら給料手取りで15万ほど。
携帯回線も会社が扱う何か高いやつに変えられる。

じゃあ、「契約とればいいんでしょ」って話になるけど、テレアポ訪問スタイルの、この会社の連中が何年も、この狭い県内でテレアポ押し売りしているから、会社名を出した時点で電話を切られる。

「ここはあかん会社や」と、思って辞めようにも、就活する時間も、そのための金もない。
何で趣味も彼女もいない激安アパートに住む自分が金も時間もないかっていうと、休日の会社行事、週2回ある部署内の飲み会(自腹)で消耗させられる。
おまけに、上司は「会社リスト持っているから辞めるなら就職妨害する」とまで。
それはただのブラフだけど、当時の馬鹿な私は鵜呑みにしていた。

地獄に仏はいなくはないけど、そのほとんどは仏の皮を被った鬼なんだよ。

2006(平成18)年 6月 
有名な体育会企業 事務所のデスク

「お前売れないから、売り方教えてやるよ。」
先輩がそう言って、私にコツを教えてくれた。
それは、「馬鹿正直に会社名いうな」「警察呼ばれるまで客先出るな」「サービスや値引きは、お客さんが勘違いするギリギリのニュアンスでだませ」「売ればみんなが幸せになれる」「お客さんもほんとはうちから買いたい」など。
今思うとほんともうすげーありがた迷惑、サイレンの屍人かよって…。
(※監修者注 サイレンの屍人:人気ホラーゲーム「SIREN」に登場するゾンビのような怪物。とにかく気持ち悪い。)
ちなみに今の私が言うなら、だますような売り方は瞬発力あるけど、悪評がたってすぐ会社ごと終わります。

こんな事が続き、泣いて辞める同期、入院する先輩、ブチ切れするトップ。
三か月たっても契約件数0の私は、毎日辞めたいと思っていた。
人が減り、営業チームの再編成が行われたときに、最強の営業マンと言われる人と同じチームになり、教育を受ける事になった。

最強の営業マンは、優しそうな笑顔、緊張感を持たせない言葉、そして嘘にならないギリギリのニュアンスをガンガン使い、特に年配の経営者をだまして、契約を取りまくった。
自分たちの部署は新規のみで、カスタマーに再営業をするのは別の部署だから、無茶ができるとのこと。
後から「約束が違う」とのクレームがたくさんきたけど、「ちゃんと説明したでしょう」と、証拠がないのをいいことに、すべてをそれで終わらせた。
きっと、自分もそういう人間になれれば、きっと楽だったんだろう。
心底、もう、辞めようと思った。

どうあがいても絶望らしいけど、たぶんあがかないともっとひどい。

2006(平成18)年 7月 
有名な体育会系企業 マネージャーのデスク前

「今月は、お前がトップだ。やればできるじゃないか。他の支店のやつより契約が多いから、社長賞で金一封が出る」
とにかく営業件数を増やし、見込みがありそうなところには日曜日に挨拶に行ったのが、うまくいった。
マネージャーはほめてくれたけど、私はちっとも嬉しくなかった。
心は死んでいた。
この会社は、昇給などは結果と引き換えに融通が利いたので、私は契約を多数とる代わりに退職を希望していた。

その旨を伝えると、「俺も来月には大阪に移動だから、来月辞めていいよ」
別にうれしくもさみしくもなかったけど、これで楽になれると思った。
社長賞を使った自分主役の強制飲み会は最悪だったけど。

次の仕事も決まってなく、貯金は飲み会を断ったり、持ち物を売って貯めた50万円。
飲み会を断る時に殴る先輩がいたけど、そういう武道をしてるから慣れてるし、美味くもない酒を好きでもない人たちと飲むよりは楽だった。
本当は在職中に次の勤め先を決めておくべきだったけど、自分にもうそんな気力はなかった。
もう自分も23歳。友達もみんな正社員で働いているので、焦りや劣等感はあったけど、本当に何もしたくなかった。

そして、次の月、時間だけをつぶしに会社へ行った。
契約とる気もない。
同僚と気まずいので早く帰りたかった。
そして、半年勤めてこの体育会系ブラックを辞めた。

トンネルを抜けると、そこは貧困の世界でした。

2006(平成18)年 12月 自宅アパート

馬鹿な私は、50万円の貯金でしばらく食えると思っていた。
しかし、税金の支払い、多忙で払えていなかった家賃、そして生活費などを支払うと、すぐに底を着いた。

バイオハザード4、龍が如くにハマった。
この頃のゲームは面白いのが多く、いくらでも時間を潰せた。
あまり外に出なくなった。

お金がなくなり、家の近所の老人ホームへ給食のバイトへ行き始めた。
しかし、この職場にはなじめなかった。
すぐに、経営者から「君は別の支店へ移動して、介護の仕事をしてくれ。」と言われたので、その日に辞めた。

その後、すぐに貯金が尽きた。
アパートの家賃も滞納している。
税金の督促も来ている。
友達はみんな働いたり、結婚したりしている。
自分だけが、何もない。
誰にも会いたくない。
人と話すのが怖い。

だけど、まだ死ねてない。

2007(平成19)年 1月 自宅アパート

たぶん、人生で一度目の底だったと思う。
ここのリカバリーは本当に苦労した。
その分、たぶん強くなった。

まず、大家さんや行政に相談。
就職して給料が出るまで待ってほしいと、頭を下げた。
特に大家さんは親身になってくれ、その後よくご馳走を食べに連れて行ってくれた。
地元に帰っている今でも付き合いがある。

次に生活費の確保。
職安から就職じゃ間に合わないし、自分が入れる会社は良いのはない。
日雇い派遣や、知人の手伝いなどで日銭を稼いだ。
馬鹿にする人と同じくらい、助けてくれた人もいた。

その後、別の派遣会社から長期契約の仕事に行った。
派遣だと馬鹿にされたけど、月給は正社員より多かった。
ここで、強引に残業して、貯金も作った。
道場にも、行けるようになり、自分なりに満足する結果も残せた。
正社員にはなりたかったけど、しばらく、ここにいようと決めた。

この頃は「派遣」っていうと白い目で見られたけど、少なくとも私は、それでも幸せだった。
誰が何と言おうと、幸せだった。

2008(平成20)年12月 派遣先の会社

派遣会社で働いてた時は楽しかった。
仕事はルーチンだったけど、飲み会も、楽しかった。
派遣先の会社も景気が良く、最初は厳しかった先輩も、残業代とかをしっかりつけてくれた。
このころから、起業を考えていた。
パソコンショップの安売りで買った文房具を昼休みに売っていたが、それは怒られた。
女の子との接点も結構あったけど、イケメンでも正社員でもない自分は、自信を持てなかった。
派遣なので、いつ仕事がなくなるかわからない。
もう無一文の生活は本当に嫌だったので、できる限りの残業をした。
ビジネス書を読み漁った。
とにかく節約をして、貯金をした。
資格は意味がないと思ったので、目もくれなかったけど、武道の目録は頂いた。
友達もできた。嬉しかった。
ずっとこの生活をしたかったけど2年ほどでこの生活は終わった。

リーマンショック、よく覚えている。
繁華街から活気が消え、上司はサービス残業し始めた。
労働組合は正社員の雇用を守るために派遣社員を犠牲にし、寒空の下派遣社員が行き場をなくした。
私も、少し遅れたけど、例外じゃなかった。
行先は、地獄のブラック企業。

2010(平成22)年 2月 
実家 ブラック食品会社出勤前

正直、私は焦っていた。
前年9月、前の派遣の仕事の事業所が閉鎖し、住んでいた地方都市にも仕事がなくなり、
実家のある故郷に帰っていた。
会社都合6か月の失業保険もなくなる手前だった。

実家で農業をする事も考えたが、農作物を販売しても日に1000円稼げないことが多かった。
貯金も300万円くらいあったが、時世を考えると不安しかなかった。
求人内容をみると最低賃金ばかりで、選べるのは通勤距離くらいのものだった。
ほとんど最低賃金の求人を何社も受けたが、不採用ばかりだったのを覚えている。

そんな中、家の近くの零細食品会社から、採用の通知をもらった。
最低賃金1人の求人に対して、10人もの応募があったらしい。
こんな先の見えない時代、低賃金でもないよりマシと、嬉しかった。
失業保険の受給が終わった次の日の事だった。
こうして、これまでの人生で最悪の職場に入る事になった。

ホラー映画の怪物みたいに、偶然に生まれて、生きるために人を喰らう。
世に仕事もなく、経営者は無能な上に下種、牙を抜かれた従業員、ただ会社の存在のためだけの存在。
この人喰いのブラック企業も、いろんな偶然が重なってできたんだと思う。


ここまでが無料の記事です。
ここからの後編は有料となります。
記事を購入してくださった方には、
購入特典として個別に記事の質問の回答を行ないます。
私を通して、宮本様に質問の答えを頂きます。
宮本様の個人情報や企業の詳細な情報をお答えできかねますので、あらかじめご了承ください。
noteのメッセージまたはツイッターのDM
記事最後尾掲載のメールアドレスに気兼ねなくご連絡ください。
(メールは、迷惑メールに入ることが多いので、できるだけnoteかツイッターでご連絡いただけると幸いです。メールを送っても60時間以上返信がなかった場合、noteかツイッターにご連絡ください。)

【次回予告】
(立◯文彦ボイスで脳内再生しながらお読みください)
一難去ってまた一難!
彼にはさらなる超絶ブラック企業が待ち受けていた!!!
明らかになる超絶ブラック企業の実態はいかに!?
彼はどのように超絶ブラック企業を脱出したのか!?

そして、彼が生み出した「会社を殴れる」ブラック企業サバイバルガイド
とは一体何か!?
後編、乞うご期待!!!

ここから先は

11,535字

¥ 500

少額でもサポートしてくださると、ものすごく嬉しいです。