国文法の問題点その4:動詞の活用

久しぶりの投稿になってしまったが、今回は学校で習う国文法について、その問題点を「動詞の活用」という観点から見ていきたいと思う。

まず、学校では、動詞には「五段活用」「上一段活用」「下一段活用」「カ行変格活用」「サ行変格活用」の5種類の活用があることを習う。もちろん、この分類には何の問題もない。


問題があるのは、語幹(活用する際に常に音が変わらない部分)の定め方である。語幹は、助動詞が後接する際にどこまでを動詞と認めるかに関わり、非常に重要な概念である。

1. 一段動詞(上一段・下一段)について

国文法では、「食べる」という動詞の語幹は「た」であるとされる。しかし、実際に活用をさせてみると、「食べない、食べます、食べる、食べるとき、食べれば、食べろ・食べよ」となり、「たべ」という音が常に変わっていないことがわかる。語幹を「たべ」であるとすると、未然形・連用形の活用語尾(音が変わる部分)がなくなってしまうのを防ぐためであるらしい。

しかし、活用語尾がないとすることには特に問題はないので、語幹は「たべ」とした方が語幹の定義に合致し、適切な文法記述となる。

また、この「活用語尾は空欄にしない」という国文法のルールに従うと、「見る」や「寝る」などの2拍語は語幹がないことになってしまう。語幹がないということは、活用が異なると全く違う音になることがあるということになり、それでは同じ語とは言えないのではないだろうか。「見る」や「寝る」などについても、語幹は「み」「ね」とし、未然形・連用形の活用語尾は空欄とするのが適切と思われる。

2. 五段動詞について

五段動詞は「書く」のような2拍語であっても「書かない・書こう、書きます・書いた、書く、書くとき、書けば、書け」と活用することから、語幹は「か」となり、活用語尾が空欄になることはないので、一段動詞のような問題は生じない(「書いた」だけは例外となる)。

ただし、拍より細かな「音素」という観点から見ると、より厳密な語幹の設定ができる。ここでは、簡易的に音素をローマ字表記によって表すこととする。

例えば、「書く(kaku)」の活用は音素表記によって次のように示せる。

kakanai, kakimasu, kaku, kakeba, kake, kako(kaitaは例外)

これを見ればわかるように、"kak"の部分が共通しており、常に変わらない部分である。すなわち、国文法で「か(ka)」であるとされる「書く」の語幹は、より細かい視点では"kak"であると言える。

以上のように考えると、次のような分析が可能になる。

3. ら抜き言葉

「ら抜き言葉」とは、一段動詞とカ変動詞(=「来る」)に見られるものである。具体的には、可能の意味を表す「見られる」「考えられる」「来られる」が「見れる」「考えれる」「来れる」と変化し、「ら」が抜けているように見える言語現象のことを言う。

ら抜き言葉は、「一段動詞のラ行五段動詞化」という更に大きな変化の中の一つの現象として位置付けることができる。ここで大事なのが、「動詞語幹」の考え方である。

まず、「見られる」から「見れる」という変化をローマ字表記すると、次のようになる。

mi-rareru→mi-reru

一段動詞「見る」の語幹は"mi"(み)であるから、可能の助動詞の部分は"rareru"から"reru"に変化していることになる。

それに対して、ラ行五段動詞「走る」の可能の形は、"hasir-eru"である。五段動詞であるから、語幹は"hasir"のように"r"がつく形となる。

もし、一段動詞「見る」を「走る」と同様に五段動詞のように分析すると、ら抜きではない形としては"mir-areru"となり、ら抜きの形としては"mir-eru"となる。

すなわち、五段動詞のように分析した「ら抜きの"mir-eru"(見れる)」は、実際の五段動詞の"hasir-eru"(走れる)と可能の助動詞の形が完全に一致している。

このことは、一段動詞は全て終止形が「〜る」で終わるがゆえに、ラ行五段動詞(同じく終止形が「〜る」で終わる)と混同されたことで起きていることである。


語幹をきちんと分析できれば、このような現在進行中の言語変化も説明することができるのである。

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