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日本ベッドを語ろう

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日本ベッドは昔ながらの「宣伝下手」。「よき製品はよき宣伝也」、よいものをつくっていれば自然に皆さまに伝わると信じて長年マットレスをつくって参りました。でもこれからは、少しずつ自分… もっと読む
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日本ベッドのマットレス 4つのポイント:その1「フレックスアセンブリ」

日本ベッドのマットレス 4つのポイント:その1「フレックスアセンブリ」

日本ベッドのマットレスのつくり方には、大きな特徴が4つあります。
ひとつずつご紹介して参りましょう。

point1:フレックスアセンブリ

フレックスアセンブリは、横になるときの体を均等に受け止めるユニット成形の技です。
ユニット(スプリングユニット)というのは、ポケットコイルマットレスの芯の部分、ポケットコイルスプリングがまとまりになったもののことを言います。

日本ベッドは、独特の方法でこの

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日本ベッドの歴史(5):茨城工場の完成

日本ベッドの歴史(5):茨城工場の完成

全国へと発展した1960年代

日本ベッドは高度成長期の波に乗って、発展しました。
1960(昭和35)年には大田区久が原にも工場を建築。続く数年の間に、大阪、名古屋、九州にも営業所を開設しました。

1965(昭和40)年には、大田区池上の本社工場を建て替え、6階建ての新社屋を完成させました。
1階から3階はショールームとして、お客さまをお迎えするスペースに。
この頃、カタログに掲載されていたの

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日本ベッドの歴史(3):戦後の本社工場

日本ベッドの歴史(3):戦後の本社工場

1946(昭和21)年、日本ベッドは社名を「羽根工業社」から現在の商号「日本ベッド製造株式会社」に改めます。

戦後の住宅不足は著しく、戦災復興院(1945(昭和20)年設立の政府機関)の発表によると、全国での不足数は420万戸にも及んでいたようです。
日本ベッドは進駐軍を筆頭に、官庁、ホテル、船舶運営会などに製品をお納めしていました。

戦後、池上の本社工場

写真は戦後間もない頃、大田区の池上

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