逢魔刻の通り道
今は夏だったような気がします。
しかし、蝉の音をまだ聞いていません。
大きな入道雲をまだ見ていません。広い広い夏空を見るまでは死ぬもんかと決めました。
雨が降っています。
シトシト降ります。ザーザー降ります。ジトジトした湿気が体を纏います。
ジットリした風が吹いているような気がしますが、これは風なのでしょうか。ただの空気の流れなのでしょうか。
世の中ではウイルスが浮遊しています。
人々は布で口を覆っているはずなのに、真実か嘘かわからない言葉が漂っています。
人々は布で口を塞がれているはずなのに、今日も誰かを傷つける言葉が駆け巡り、誰かがこっそり傷ついています。
そんな今日も、人が生まれています。
そんな今日も、人が死んでいきます。
わたしはなぜ生きているのでしょうか。
あなたはなぜ生きているのですか。
この頃、よく思い出すのです。
子供の頃、背後から聞こえた声を。
それは「あなたはだあれ」と囁くのです。
後ろを振り返っても誰もいません。振り返ろうともしなかったかもしれません。なぜならそれは人から発生される、空気を突き抜ける声ではなかったからです。
恐れはありませんでした。しかしその何かは度々、わたしに声をかけるのです。
あなたはだあれ、と。
わたしはわたし。いくらそう答えても、その声は納得がいかないようでした。その代わりにこんな疑問を持たせて居なくなります。
わたしはなぜここに居るのだろう。
ここは一体何処なんだろう。
わたしはどこから来たのだろう。わたしがいた場所は何処だったのだろう。
ある日、またその声はわたしに問いかけをします。あなたはだあれ?
その日はわたしの前を母が歩いていました。わたしはその声に引き留められて立ち止まってしまいましたが、母はそんなわたしには気が付いていないようでした。夕陽に照らされた母からは、影が伸びていました。
ですからわたしはこう答えたのです。
あのひとはわたしのお母さん。わたしはあの人の子ども。
するとその声は初めて納得したようで、スッと離れていきました。その声の主はそれが知りたかったようです。
あれからも何度かその声を聞きましたが、そのたびに母のことを思い浮かべ、わたしはこの人の子どもよ、と伝えると満足いったように、その声の主は離れていきました。
信じてもらえるような話もありますし、信じてもらえないような話もあります。そんな分別くらい、わたしにだってついています。
では、真実ってなんなんでしょうか。嘘ってなんなんでしょうか。本当の姿とは、偽りの姿とは、一体どれなんでしょうか。
同じ姿形をしているはずなのに、なぜこうも、まるで別々の生き物たちが共存しているのでしょうか。あるひとは草を食べ、あるひとは肉を喰らい、あるひとは共食いをし、あるひとは餓死をします。
これだけ違うものたちが共存する世界です。
あるひとは神様を信じ、あるひとは神様なんて居ないと言います。
あるひとは、何があっても生きねばならないと言います。あるひとは、死を選ぶこともひとつの選択肢だと言います。
年を重ねれば重ねるほどに、あの頃の答えだけでは納得してもらえなくなります。あのときの魔物は、いつのまにか自分自身に成り代わっています。あなたはだあれと、囁きます。
その疑問は昔は外側から聞こえたのに、今は身の内側からコンコンと湧いて、湧いて沸いて沸き続けています。
地獄のような苦しみはしたくありません。ですからまだ生きています。様々な祈りの言葉が、さまざまな呪いの言葉にもなり変わり、毎日身を生かし直し、死に直していきます。
誰がその答えを知っているのでしょうか。神様の言葉を読みました。人間の言葉を読みました。猫とも問答をしました。風とも会話をしました。自分自身には刃を突き立てながら尋問をしました。
肉体の死を迎えるときに、その答えは出るのでしょうか。あなたはだあれ。わたしはだあれ。