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ナウシカ、映画だっていいんだヨォ

『映画・風の谷のナウシカには原作となる全7巻の漫画があり、映画ではその2巻までしか語られていない。』

ファンの間では有名な話である。ナウシカが漫画をベースとして歌舞伎化され、大変な好評を博したことも記憶に新しい。
だが本noteでは、漫画の良さはひとまず横に置き、漫画が至高と思っている人たちに、「映画だっていいんだヨォ」とお伝えしたいと思う。

1、ストーリーが深読みできる
例えば、「クシャナは巨神兵を使い潰したかった」説。

そもそも映画のクシャナは漫画と違って目的が明確でない。ペジテを占拠し、巨神兵を手中に収めるも、ペジテに残したトルメキア軍はペジテの逆襲に合い、市街もろとも全滅。
「一刻も早く巨神兵をトルメキアへ持ち帰れ」という命令も「実行不可能」と一顧だにせず、挙句「本国のバカ共の玩具にしろというのか?」とクロトワを嘲笑う場面すらある。
ペジテへ向かった艦隊も、アスベルたった一人によってほぼすべてが撃破されてしまい、ナウシカがいなければクシャナの命も空中で四散しただろう。
極めつけに、成熟しきっていない巨神兵を「王蟲の群れを薙ぎ払う」ことのみを目的として目覚めさせ、たった二度のビームで使い潰してしまう。もちろん王蟲の怒りは収まらず、ここでもクシャナの命は危険にさらされることになる。
映画クシャナのやることはすべて裏目に出ているのである。だがしかしだ、トルメキア皇女たるクシャナが、ただの無能な一指揮官であるわけがない。

(ここ、漫画未履修のかたのために捕捉すると、漫画クシャナはむちゃくちゃ格好良い復讐鬼なのよ)

そこで登場するのが、項頭の「クシャナは巨神兵を使い潰したかった説」だ。
ペジテの逆襲、アスベルの存在や、ペジテの計略が招いた王蟲の怒りは計算外だったとしても、そもそも、最重要ミッションである「トルメキア王国が巨神兵を手中に収め、世界を支配する」ことについての興味が薄すぎやしまいか。クシャナは何としても巨神兵復活計画を潰し、憂世の士として父王や兄王子たちに渡すまいとしたのである。

……映画から得られる情報だけなら、無能な一指揮官って考えたほうが丸く収まりますが。


2、小ネタが満載
「戦車じゃない!」

下手な若者よりも過激派な城オジたちが閃光弾を使って奪い、クロトワを焦らせた、あの戦車。クロトワだって、「あ、あいつら、戦車を盗りやがった!」と言っている、あの、戦車。
あれ、実は戦車じゃないらしいんです。

うちのミツ子(夫)は「良識あるミリオタ」というやつで、超絶性善平和主義だったわたしは、10年くらい前お付き合いするにあたって主義思想が合うだろうかとしばらく悩んだのですが、まあそれは別のお話。
とにかく、宮崎監督がそうであるように、ミツ子も鉄砲だの大砲だの飛行機だの戦車だのが好きな男子だったわけでして。
そんな彼に言わせたところ、『あれ、戦車じゃないよ、突撃砲っていうの。』

え?

クロトワが劇中で「戦車」って言ってますけど?
そもそも戦車って、「砲台のついたキャタピラの車」の総称じゃないの?

『うん、宮さんもわかってる筈なんだけど、わかりやすい言葉を使ったんだろうね。』

そう、われわれ映画の民は宮崎監督に舐められていたのです。まじか。
ほかにも、風の谷のガンシップもバカガラスも、空を飛ぶことはできない、とか(アスベルのガンシップとか飛行瓶は無理だろうな、とは、いくらわたしでもちょっと気づいてた)、
コルベットがブリックを雲に押し付けて乗り移るなんてことはできない、とか、
とにかく彼はわたしの常識を覆しまくってくれたので、もうちょっとやり方はあるだろうよ、と恨み言を言いたい。

あれ?小ネタの話がしたかったんだけどな。


3、エンディングがストーリー仕立て
「ユパ様とアスベルの腐海紀行」

わたしね、映画のエンディングすごく好きなんですよ。
ちょっと犠牲を無視すぎかなとも思うけど、ナウシカとクシャナが和解して、風の谷の復興に尽力。アスベルはユパ様に弟子入りして、腐海の深部に旅する。
(ところでアスベル、ペジテの王族として先頭に立たなくていいのか、映画では王族と明らかにされていないからいいのか。)

そして、ナウシカが残した飛行帽と共にチコの木が芽生えていること知る。そう、世界は浄化されようとしているのである。

という事実が、久石譲の名曲『鳥の人』とともに明らかになる。こんなにも、世界の真実に迫る希望に満ちたエンディングが他の宮崎駿作品にあっただろうか。あった気もする。未来少年コナンとか


そして4。DVD化以降のご褒美、オーディオコメンタリー
「風の谷のナウシカ(映画)のオーディオコメンタリーが面白いらしい。」というのはずいぶん前に聞いたことがあった。

おじさん1、庵野秀明(巨神兵のシーンの原画とか『風立ちぬ』の二郎さんの声をやった人)とおじさん2、片山一良(演出助手、よくしらなくてごめんなさい)による、ぐだラジオみたいなもので、これが実に面白かった。二人して宮崎駿監督の絵や構成、造形に感嘆したり、テトが可愛いって言ったり、撮影の苦労話をぼやいたり、テトが可愛いって言ったり、宮さん(宮崎監督)ナウシカの胸の表現にすごい拘ってるよねって(ご本人も漫画のあとがきにナウシカの胸は母性の象徴って書いておられるけど)言ってみたり、テトが可愛いって言ったり。
(庵野さんどんだけテトが好きなの、10回ぐらい『あーテト可愛い』って言ってたで)

興味深かったのが、「巨神兵を目覚めさせたクシャナが羊水を浴びるシーン」という構想があったこと。結局王蟲の子の体液に染まるナウシカと被るという理由でカットされたそう。
映画の時点で漫画の構想がどこまで進んでいたかは、わたしは知らないが、漫画で巨神兵オーマの母となったナウシカとの対比ができるため、映画でクシャナが巨神兵の母となるシーンはぜひとも見たかったなあ!


以上、わたしが思う『ナウシカ、映画だっていいんだヨォ』でした。
漫画を読んだうえで映画を見ると、さらに楽しめるので、時間がある人はぜひ。もう、本当に是非。もう、文字通り、是非。

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