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愛し背の君

マリナ油森さんの恋愛エッセイ「初恋は、かけひきを降りた先に」

に触発されたので、わが背の君ミツ子との出会いについて語ろうかと思う。


たまたま、の重なった出会いだった。たまたま同じ読書会に申し込んで、たまたま決められた席が隣だった。紹介した本がたまたま相手の気を惹き、たまたま会話が盛り上がった。
それでも、一目惚れと言ってもいいかもしれない。ひと目で、かれの中身に惚れ込んでしまったのだ。

わたしとミツ子との出会いは、当時で10数年の歴史を持つブックトークオフという読書会だった。読書会としては珍しくビジネス書がご法度で、酒を酌み交わしながら文芸書を紹介しては語り合う形式のものだ。

本棚はそのひとのひととなりを表わす。
その一部を覗かせ、それを肴に酒を飲むため(下戸なので烏龍茶だったけれど)、自然と人と人の距離は縮まる。


そのころわたしは10年近くもぐだぐだと続いた初恋に見切りをつけ、10数回の合コンを経て、合コンにも見切りをつけたところだった。

初恋は、初々しかった。初々しく、未来や相手を失うことを怖がって、そのくせ気持ちや夢だけが先行して、すれ違って、すれ違いを埋められるほど言葉を交わすこともできなくてそのくせ10年近くもグダグダずるずると引きずってしまったのだからたちが悪い。これもまた、「恋に似ていた」のように、未熟で痛々しくて青臭くてまさに初恋の名にふさわしいものだった。要するに、互いに運がなかったのだ。
初恋のかれと会うことがあるなら(多分ないけれど)、まだ、お互いに格好つけてしまうのだろうなと思う。だから、会わないほうがいい。
とにかく、見切りをつけることにして正解だったのだ、お互いの人生のために。

その後縁結び神社も参拝したし、おみくじを引いてお守りも買ったはずだ。おみくじの中身はちっとも覚えていないし、お守りも、いつの間にか失くしていたけれど。

しかしその霊験はあらかたで、それまでちっとも縁のなかった合コンのお誘いがひらひら舞い込むようになり、4か月で10数回の会合に参加することとなった。
しかし、合コンに来るような男子にわたし好みの地味なひとがいるわけがない。
そしてそもそも、合コンで求められる女子のようにわたしは洗練されても、あか抜けてもいなかったのだ。要するに、出会いを求める市場を間違えていた。

そこでいったんわたしは、合コンをセッティングしてくれた友人たちには申し訳ないけれど、欲を捨てることにした。
田舎から出てきたこの広い東京で、矢鱈に恋人を求めるのではなく、まずは会社以外の乏しい人間関係を脱却し、もう一つのコミュニティに属することを目指したのだ。それが、前述のブックトークオフである。


ミツ子とわたしの第一印象はのちに話したときに判明したのだが、互いに同じく、「なにこのひとおもしろい」だった。
そのとき着ていた服とか髪型とか、そんなものはちっとも覚えていないくせに、何なら当時は顔そのものよりも、その後メッセージをやり取りしたmixiアイコンのほうがしっくりくるくらいの程度の薄ぼんやりかげんで、初デートの神保町駅で待ち合わせるとき、ちゃんと出会えるか不安だったくらいのくせに、そんなことは強烈に覚えている。

紹介していた本は、これもまたはっきりと覚えている。わたしが『ホビットの冒険』、ミツ子が『泥まみれの虎』だった。これについてはまた別の機会に。


それから今年でまる9年たつ。9年前の今頃は、お付き合いの手前の、恋の最初の一番初めで、毎晩のmixiメッセージにときめいていたころだ。うう、たのしそう。なつかしうらやましい。

『思ったことは大体全部言ったほうがいい。』というのは、わたしの数少ない恋愛経験とミツ子とのお付き合いの中で得た行動指針である。

それを踏まえて、今日の昼食どきに訊いてみた。
「わたしはあなたのことを、人生のパートナーとして恋愛の対象として親友として好きなんだけど、さいきんどんな割合で好きなのかわからなくなっちゃって。」
魂は確かに近いところにある。毎日キスやハグもするし、ねこのことを子どものようにかわいがっている。それでも、親密である、という以上のことがどうにも言語化できなくなってしまったのだ、言語化するのが『エッセイスト』なり『詩人』なのかもしれないけれど。
それを聞いたミツ子も、『僕もどう好きなのかはわからないよ、好きなのは確かだけれど。』と言っていた。


『好きなのは確かだけれど』
普通に暮らすなら、夫婦ってそれでいいんじゃないかな、とも思い始めた、出会って10回目の春。
わたしはその先に行きたいわけだけれど。

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