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「人と夏響」/ショートストーリー


僕の名前は、ふじの じん。漢字で書くと藤野 人。藤野という名字に文句は、ない。じんにも文句は、ない。人という漢字でなければ。

じんという漢字は他にも色々とあっただろうにと思う。人という漢字であったばかりに「ふじのひと」とよくいじられた苦い体験があるからだ。僕だって、逆の立場だったらそいつを面白がって、いじったかもしれない。

だいぶ、大人になってから母から名前の由来を聞いたのだが、のぞけるほど驚いた。最初、藤野精霊せいれい にするつもりだったらしい。母は、妖精や精霊、神仙が登場するファンタジー小説やらドラマが大好物だったのだ。だからと言って、精霊はないだろう、精霊は。きっと、いじられたぐらいで、すまなかっただろうと容易に想像できる。良識ある(と思う。)父が反対してくれて良かった。父には、その件に対して大いに感謝している。

自分のすることに対して、ほとんど反対しない夫が珍しく反対したので、母は従ったのだ。ただし、じんはJIN。精霊を意味する。

この親の子供の名前の付け方に関して、もう一人被害を被ったものがいる。双子の姉だ。姉の名前は、かのん。漢字で書くと藤野夏響だ。普通読めないだろう。かのんなんて。本当に信じられない、親だ。今流行りのキラキラネームかよ。

双子とは言え、二卵性だから僕と夏響とは全然似ていない。僕は、無邪気で怖いもの知らずの馬鹿であり、いつも日に焼けて健康だけが取り柄というのに対して、夏響は、虚弱体質というのか、すぐに熱をだす体質で秀才だった。夏響は、寝込んでも、いつも何かの本は読んでいたが、僕はそのころマンガしか、読まなかった。そういえば、夏響は辞書も愛読していた。そのせいか、双子とは思えないほど夏響のほうが大人びていたと思う。

夏響は、ものこごろついた頃から絶えず何かを吸収しようとしていた感じがある。そんな夏響に対して、そのころ経済的に余裕があった両親はサポートを惜しまなかった。夏響の健康状態が安定し始めてきた頃、本人がやりたいと言えば、どんなお稽古事も語学などの勉強も本格的にさせていた。行きたいという場所にも国内であれば、ほぼ連れて行った。ただ、お稽古事は長く続くものもあれば、3日もたたずにやめてしまうこともあった。「せっかく、始めたのに。」と僕が聞くと夏響は不思議そうな顔で答えた。

「私が思っていたのと違ったの。だから、早くやめないと時間がもったいない。時間って、無限じゃないの。」

僕は、夏響の言っている意味があまり分からなかったが、そんなものなのかと思うだけだった。それに、なんでいつも夏響ばかりに親の関心がいくのかと不満だったのと友達と外で遊びほうけていることに夢中で、あまり物事を深く考えていなかった年頃だったのだ。


自分の名前の由来を聞いたときに衝撃を受けた僕は、夏響の名前の由来も聞いてみることにしたのだ。夏響にも何か驚きの由来があるのではないかと。

「じゃあ、夏響のほうは?あれは、あれで読めないよ。かのんなんて。僕の名前と同じぐらいにお馬鹿な理由があるだろうね、きっと。」

「恩ある親に向かって、お馬鹿などとはどういうつもりなのかしらね。」と言って少しだけ、間をおいて答えてくれた。

「夏響はね。今は元気だけど。生まれたとき、初めて抱かせてもらったときに感じたのよ。この子はちょっとまずいわ。あまり、長生きしないかもしれないって。」

なんだなんだ、この展開はと僕は焦った。みさきさんの時にも焦ったばかりなのに。

「そうしたら、分娩の時に入ってくれたベテランの助産師さんが旦那に言ったそうよ。お嬢さんは、出来たら早いうちから色々とお好きなことをさせたり、経験させてあげてくださいね。きっと、私と同じことを感じたのよ。」

今度は何かオカルトめいてきたではないかと僕は思って言った。

「それは、早く死ぬとかどうとかじゃなくてさ。いわゆる、女のお子さんだから大切にとかであって、深い意味はないんじゃないの。」

「まあ、そうかもしれないけれど。でも、健康状態が安定するまで、結構時間がかかったわね。ずっと、不安というトゲがのどに引っかかっているみたいだったけど。やっと、中学に入る頃に夏響はもう大丈夫だって確信するものがあってうれしくて、お父さんと祝杯をあげたわ。」

僕は少し、鳥肌が立っていた。ちいさな時からの夏響に対しての両親の向き合い方を思い出すと、腑に落ちる。

「もう、いいよ。その話は。で、夏響というのはつまり?」

僕は話の方向を変えたかった。

「夏に生まれたあの子の命を響かせてほしいということで夏に響く。」

「そこまでは、分かった。なんでかのんという読み方なんだ。」

「私は。」と母は不思議なまなざしをして言った。

「かのんに、観音菩薩様のご加護いただこうと思って。だけど、かんのんでは、罰当たりのような気もするから悩んでいたら、お父さんがパッヘルベルのカノンという曲が好きだから、かのんにしようって。」

僕はなんだか、父に対しての見方が変わったようなきがした。

「ところで夏響は、自分の健康状態とか知っていた?」

まさかまさか、あの何でも吸収したいという渇望にも似た感じは、自分の身体のことを知っていたのか。あまり長生きできないかもしれないと、両親から思われていたことを知っていたからこそか。

「言葉の意味が分からないうちから、夏響には何度も言い聞かせていたの。かのんちゃんは、じんちゃんみたいに元気でいられないかもしれないから。好きなこと、やりたいことはできるだけかなえてあげるから、遠慮なんかしないでちゃんと言うこと。それで、精一杯かのんちゃんの命を響かせて生きていくのよって。最初はもちろん、きょとんとしていただけど、年ともに理解して受け入れていたわね。」

お馬鹿にひたすら元気に日々過ごしていた僕とは違い、姉の夏響は薄氷を踏むように日々生きていたのだ。はやくに大人びるはずだ。

「なんだか、ひどい親という気もするけどな。親のエゴじゃないのかってさ。」

「あら、どこが。みさきさんは、褒めてくれたけど。夏響のことも、私とお父さんのことも。」とどこか誇らしげだった。うちの母は、なんでもみさきさんに打ち明けているのでないかという疑いをこの時、僕はもったのだが。

いろんな意味で枠にはまらない母は、どこでも何んでも自分を発揮してしまえるのだ。羨ましいぜ、母さん。と僕は久々に心の中で悪態をついた。

精霊と観音菩薩様が名前の由来とは、僕も夏響も大変だ。

「あなたは自分の名前に不満があるようだけど、名前って親からの最初の贈り物よね。私たちは、あなたたちの名前に祝福と祈りをこめたのよ。」

「いつまでも元気に過ごせますように。大難は中難に、中難は小難に、小難は無難になりますように。いつも祈っているの。」















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