私はみんなが参加する成人式は嫌いだ
私は成人式が嫌いだ。行く(参加する)理由がイマイチわからない。
「成人式」はみんな行く(参加する)
「成人式」は女性は振袖を着る、男性は袴を着るもの
この考え方↑は幅広い年代のマジョリティな考えであろう。(最近は、成人式に参加せず同窓会だけ参加する人も割といる。(同じ大学の学生に聞いた私調べ))
「成人式」では、市長(町長)の話を聞いたり、久々に会う同じ地域の子たちと笑いあったり、昔の思い出を話し合ったり、同じように振袖や袴を着ておめかしをした子たちと写真を撮ったり、きっと「普通」の子なら楽しいと思うのだろう。
しかし、小中の学校生活は最悪で楽しかったことがないわけではないが、現在連絡を取り合っていない小中同じだった人に対して「嫌い」もしくは「その人に対して何か変化があろうと別に知らなくてもいいやと思うほど無関心」といった気持ちだ。
高校の人たちとの同窓会に参加するのはありだな、と思ったが地元の高校に進学した訳ではないので私の地元の成人式の話を聞かれるのが億劫だと思ったことや、私が進んだ高校からの進路もその高校からだと「マイノリティ」である進路選択をしたりと周りと共通して楽しく話せる内容がないなと思ったこともあって、同窓会に参加しないことを選んだ。
私の生まれや育ちは、母、祖父、祖母がともにいた。祖母は私が高校入学してすぐに天国へと旅に出た。
貧富の度合いとしては、下を見れば裕福であり、上を見れば貧困であろう。
収入としては、私の母が主な稼ぎ頭で、あとは祖父の年金である。
私は、今までご飯に困ることはなく、五体満足で育った。
しかし、「周りと比べる」性格が私の中にはあったため、今までの人生で何度も母の考えとぶつかった。
まず今回の「成人式」についてかなり母と衝突した。
私は成人式は出たくないけど、自分が選んだ振り袖を着て写真を撮れればいいやと思っていた。
しかし、母は私の成人式の振り袖代について考えていなかった。
忘れていたというようなことではなく、母にとってそれが「当然」であったのだ。
私は高校3年時から徐々に家に届きはじめる「成人式のために着る振り袖」の広告を見ては、「もうすぐ成人するのか」や「振袖何を着よう」や「お母さんから振り袖の話を聞かないけど、まあ、いつか予約しにいけるよね〜」というように考えていた。
しかし、大学入学2年になり、「とうとう来年が成人式だし、みんな夏休みに前撮りするらしいから、そろそろ振り袖決めないとヤバい…」と母から全く振り袖の話をされなくて沸を切らした自分は「ねえ、振り袖どうする?」と母に尋ねた。
母は「えっ、振り袖着るの…?」と話した。
母の発言に私は思わず呆気に取られた。
そして私は「もう決めないと振り袖の前撮りもあるし、振り袖のレンタル代も予約が遅くなると高くなるらしいよ…だって13万からとか書いてるし、結構するじゃん」と話した。
続いて母は「高いわ、無理。あたし出せない。あんたがどうにかして払って」と話した。
母の発言に私は精神的にダブルパンチをくらった。
まさかの大学入学して自分が振り袖を着れないことがわかった。ショックすぎて、その場で母と喧嘩した。
母は成人式に出ていない。
そして振り袖も着ていない。
母は「成人式に出たいなら、スーツでいいじゃない。」と話し、母の「普通」に苛立った私は「みんな振り袖着て成人式出るもん!!」と話したりとかなり白熱した口論に発展していた。
後日、母が母の職場の人に振り袖を持っていないかと聞いてくれていた。母の職場に「娘の成人式で振り袖を買った」という人がいたため、その人が振り袖を貸してくれるという話が出てきた。
しかし、私の周りの子は「振袖屋さんで好きな振り袖を選んでいた子」ばかりだった。
そのため、「私の好きな振り袖じゃなくて人の振り袖なんて嫌だ」と話した。人によってはこの発言がわがままだと捉えられると思う。
しかし、私の周りと私としてはそれが「普通」だったのだ。
母と私の成人式に対する「普通」の差がしばらく母と私を苦しめることになった。
私の大学の友達や私のバイト先で一緒に働く人などから、「成人式」の話を振られることがとても辛い。
「成人式はいつ?」
「振り袖は何色にしたの?」
「成人式の前撮りいつ?」
という言葉を耳にタコができるくらい質問された。
きっと振り袖を着て成人式に出る人たちにとっては特に差し障りのない質問だと思う人が多いのではないかと思う。
しかし、成人式に出ない選択をした私にとって
「多分私の地域は日曜日ですね〜」
「成人式出ないから、振り袖着ないんですよ〜」
「あたし前撮りしてなくて〜」
と笑顔で答えた。とても心は騒ついていたし、ヒシヒシと「マイノリティ」だということを感じて「周りと比べる私」は、さらに辛くなった。
そして「成人式出ない」と答えた人の多くは「なんで出ないの?」
「なんで振り袖着ないの?」と質問した。
そこで、「母が少しファンキーでなので成人式の振り袖代出さないって言われて」や「母がちょっとクレイジーなので成人式の(以下略」という答えを笑顔で返したら、みんな驚いたり、笑ったりしていた。
ここでも笑いながら、母のことを悪く言っている自分に対して辛くなったり、「だいぶファンキーだね」や「それはだいぶクレイジー」と言われたことに対しても、笑って「ですよね〜」と笑って返答しても母が悪く言われて辛くなった。母を悪く言っているのは私自身なのに。
中には、自分の成人式の話をしてくれる人(この色の振り袖を着るなど)がいたり、私が一人っ子であることに関連して「一人っ子なのに(振り袖代出してもらえなくて)珍しいね」なんて言われたりもした。 無意識のうちだろうか、一人っ子がみんな甘やかされたり、可愛がられたりして育つとは限らないことを伝えたくなったが、日頃とてもよくしてくれているバイト先のリーダーのような方だったので、ぐっと言葉を飲み込んだ。
やはり、「みんな」成人式に出て、振り袖を着ているのである。
「みんな」自分の好きな(自分で母などの振り袖を着るという選択をした人も含む)振り袖を着てるのに、「何故私は、好きな振り袖を着れないの、何故自分で選べないの」という怒りが湧いていた。
しかし、私の家計は現在ほぼ母が生計を立てているようなものであったため、私が振り袖に対しての譲れないわがままを強く言い出すことは母を必要以上に責めて現状が何か変わるどころか良くないと思った。
いろんな人から成人式の質問をされるたびに怒りと悲しみが混ざった気持ちになって、顔は笑顔、声は高いトーンで話していた自分とは裏腹であった。でも成人式についての質問をしてくれた人は悪気があって質問したわけではなく、きっと楽しい話がしたかったのだろうと推測している。
だから、誰も悪くないのだ。多分。
母は母なりに、「農協に冠婚葬祭の洋服を貸してくれるところがあるから、そこから借りるか?」という提案をしてくれた。
しかし、やはり「自分の好きな振り袖を着たい」という考えや成人式に対しての悔しさなどもあり、断った。
〝自分は成人式に出ない選択をした上に思い通りの振り袖が着れない〟
そうなると、「成人した」という思い出のような成人式に変わるようなものがほしいと考えた。
そして私は「ひとり成人式」と題してひとり旅を成人式の代わりとして行うことにした。
場所の候補として、当初「台湾」を考えていたが、春から長期留学するために自分の予算を考えると厳しくなって国内にすることにした。
そして、先日自分の誕生日の日に「ハーモニーランド」へ行ったことと、「昔から憧れていた場所だけれど私の旅行先に行きたいと言ってくれた人がいなかった場所に行こう」
ということで旅行先を「サンリオピューロランド」にした。
物心つく前からキティちゃんに触れ、小学生ではシナモンにハマり、高校受験ではキティちゃんのミニ机は相棒のような存在で、中学から高校にかけてそして今もポムポムプリンにハマり、またシナモンにもハマったこともあって昔からサンリオは私のそばにいて、さまざまなストーリーがある。
そして、今、サンリオに対しての熱量が高いこともあって、サンリオピューロランドを旅行先に設定することに躊躇いや迷いなどはなく、むしろスッと決まった。
閑話休題。
これから綴る話として、小学校時代まで遡って話すと、「卒業式」の話である
制服のない小学校の卒業式に「ブレザーなどの制服(?)」を着る子が多いと思う。
思い返すと、私は小学校の卒業式の服もその制服を着せてもらえてはいなかった。
当時仲がよかった子のお母さんが子供服のセレクトショップをしていて安く手に入るとのことだったので、その話をしても私の母は、「もっと他に卒業式以外でも着れるような服にしなさい」と話していた。
その時も成人式の服装で口論になったように、母に「何故私にみんなと同じような制服を着せてくれないの」と泣いて喧嘩した覚えがある。
実際の卒業式では、当時私が読んでいた雑誌で憧れのブランドだったLIZ LISAのセットアップを着て卒業式に出た。
憧れのブランドの服を着ても、やはり「周りと比べる」私は、どこか落ち着かなくて、卒業証書をもらう前に壇上上がる時、正面を向いて前の人が卒業証書を受け取っている時なんて「早く終わってほしい」や「早くこの壇上から降りたい」気持ちでいっぱいだった。
当時の私のキャラとしては「目立ちたがり屋」な面もあり、普段の学校生活から派手な服を着ることもあったため、卒業式の私の服装を見た周りの子たちは、そのキャラが効いてあまり違和感はなかったかもしれない。(実際のことはわからないが
多分母は、「一度しか着ない服にお金を払う」ということに対してあまりいいように思っていないのだと思う。
私は、ハロウィンなどでコスプレをしたりするのが好きであることもあって「一度しか着ない服にお金を払う」ことに対して状況によっては寧ろ好んで払う場合がある。
この点が例え血の繋がった親子間でも違っていたため、いろんな衝突があり、母は「服装がその場にいる多くの子どもと違う」ということに対して気にしないのだと思う。(しかし、進路選択などでは揉めた際は周りを気にしていたため、母も周りを気にする性格だと思う)
ちなみに…この記事を書こうと思ったきっかけは、先ほど袴を着た親戚(同じ歳のはとこ)と遭遇したことから、また同じように「振り袖を着ない」ということについて口論になって、私は泣き虫なのですぐ泣いてしまったことがきっかけである。
泣きっ面で文を綴っていたが、すっかり涙が乾いてしまった。
まさか「ひとり成人式」と題した旅行の出発前に泣くとは思いもしなかった。 今日のお昼の出来事である。
親子でも家族でも血が繋がっていたとしても、自分と100%同じ人間ではないから大事な場面だと思うところで考えが合わないことだってある。
母の考えと私の考えの折衷案を考えて、生活していくこと。
自分以外の人との考えにうまく折り合いをつけて生活することは「大人」なることなのかもしれないと思った。
母との折衷案は、「母が私への振り袖代と考えて出せる金額の範囲内での旅行」となった。
母も私も大の旅行好きだ。
旅行が成人式だなんて一年前の私は思いもしなかっただろう。
でも今、この文を綴っていく中で「周りとは違った」形の成人式も悪くはないと思った。
ファンキーでクレイジーな母とこれから先も数え切れないほど喧嘩してしまうとは思うのだけれどなんだかんだで愛しいのだと思う。
最後に
実は「成人式」にもいろんな種類があるのかもしれない。
そして、みんながみんな「成人式」に参加するということや、当たり前のように「振り袖」を着ることが「普通」でない人もいるのだということを知っていただけたのなら、このnoteを書いた意味があったように思う。
(どうやら、遠出をすれば振袖を着て写真だけ撮ってくれる場所があるらしいのでそこで写真を撮ることも考えてはいる…本当に撮るかどうかはまた後日)
(そして今回の画像は、成田空港に着いた際に不二家レストランで食べた「ストロベリーホットケーキ」とても美味しかった。)
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