見出し画像

【何者でもなくても起業ができる】ep4.停滞〜退職・転職まで

前回社会人生活3年目までを話しました。
ここからは4年目〜退職そして転職までの話をしたいと思います。


社会人4年目(年収330万円)

ずっと希望していた広報への異動となり4年目を迎えます。
主な業務は、高校へのガイダンス、高校訪問、オープンキャンパスなどのイベント運営、保育学科付き広報、HPの管理・対応でした。
特に高校ガイダンスは一番自分がやりたかった仕事だったのでとても楽しみにしていましたし、実際高校生の皆さんとコミュニケーションを取ることはとても面白かったことを記憶しています。
この時は社会人1年目の時と同じようなワクワク感が多く、仕事をする上で数字の目標達成をすることへの意欲がとても湧いてきました。また今のビジネスの軸になっているHPについての業務も自分がとても面白い業務だと感じ毎日の仕事が楽しく感じていました。ただ個人的な課題も多く数字に固執するばかり自己中心的な考えになったり、4年目にもなり横柄な態度をとる事があったり社会人そして人としての課題もかなり見えてきた1年だったと思います。

社会人5年目(年収330万円)

5年目は、いよいよ学校全体の広報数字の管理や戦略作りというフェーズに入っていきます。というのも広報になり毎年上司が変わり、今回広報が初めての上司になった関係で、全体のサポートを経験がる自分が行う形になりました。
またこの同年に毎年両国国技館で行われる入学式(参加者:3000人規模)のプロジェクトメンバーに選ばれ全学校スタッフの式典総務部門のリーダーを行うことになりました。
この入学式プロジェクトの経験は自分にとって、とても貴重でありかつ初めてのマネジメントの経験でもあり、様々な事が勉強になりました。特に4年目でも書かせて頂いたように、自己中心的かつ横柄であった自分ですが、今回他の学校の様々なスタッフの皆さんと協力しながければいけない環境下の中でたくさん助けられたこともあり、人への感謝、モノの伝え方の大切さに気が付く事ができました。

無事入学式も成功し、滑り出しも順調な5年でしたが、さらに10年振りの入学目標を達成することができました。自分が配属されてからグループの中でも常に入学目標の数字が最下位で周りから多く指摘を受け悔しい日々でした。そんな中自分も中心的な関わりをしながら目標数字を達成できたことは大きな自信になりました。

ちなみにプライベートの事はあまり書いてありませんが、一人暮らしであまりお金もなくたまにいける社会人サッカーが息抜きで、あとはスーパーの値引き商品やレトルトカレーを食べていた毎日でした。。。

ただ目標達成して次年度はいよいよ昇進又は給与大幅アップかという期待もありワクワクした気持ちで6年目を迎えましたが。。。。

社会人6年目(年収350万円)

この頃から自分を周りの友人や同期と比較しだし、給与面等をすごく気にするようになりました。そして目標を達成した5年目もあり年始の給与改定があったのですが、数千円程度の昇給で怒りと悲しみがあったことを覚えています。今となってはとてもありがたいことだったと思いますが。
そんな自分は今考えるとバカですが、取締役にこんなに給与があがらないのなら辞めますという直接メールを送り昇給額を交渉したこともありました。

6年目もまた新しい上司が来ての勤務でしたが、世の中の働き方改革で残業代が出なくなることも増え、お金に対してのストレスがすごくそれによりかなり勤務態度も悪くなっていきました。その頃は「何故こんなに働いてるのに〇〇より給与が低い」「評価軸が腐っている」などの思考で今考えると短絡的かつ自己中心的なありさまでした。
またプライベートではよくお金についての本をかったりSNS等で様々なセミナーに参加してみようとしたり、転職サイトを見たりなんとか稼ぎを上げようとしてみましたが結局何も行動できずに終わりました。

そんな形で素行態度も悪かった自分は他校の人事異動の兼ね合いもあり、社会人になって初めて新しい学校への異動になります。
その学校は自分が勤めていた学校の5倍の規模で福祉関連のマンモス校でした。この頃の自分は異動という現実と、厳しいことを多くの方に言われ自信がない状態でしたが最後のチャンスだと想い必死に頑張るしかないと思っていたことを覚えています。

社会人7年目(年収350万円)そして転職

そして迎えた新たな環境での1年目。
また0から人間関係を作るのは正直きつかった記憶があります。
特に慣れない環境でかつ職員数も倍以上あるなかでかなりストレスの負荷は高いものでした。業務内容自体はほとんど変わらないので問題はなかったのですが、人間関係構築がかなり大変だったのを記憶しています。

そしてこの年ついにコロナがやってきました。
このコロナの影響で通常業務や時代の流れが大きく変化し目まぐるしい日々を過ごしていました。全てのものがオンラインになり、過去のどれもが参考にならない状況下で対応していく事は大変だったと同時にとても良い勉強になりました。動画編集に興味をもち少しづつチャレンジし始めた時期もちょうどこの辺りでした。

そんなコロナもなんとか乗り越え、人間関係もだいぶ落ち着きいよいよ8年目で心機一転、いよいよ管理職やマネージャーを目指そうと思った矢先事件が起きます。

あるイベント運営で、長く東京福祉にる女性スタッフからかなり理不尽な扱いを受けます(今でいうパワハラ)ただそれに対し自分は我慢しつつもこれはおかしなことではないかと学校責任者に伝えなんとかすると答えをもらいました。ただその後もパワハラは止まらず、他の管理者の方も見てみぬふりでついには直属の上司もその女性スタッフの味方をし始めました。

そんな環境下で会社のためにと死ぬ気で働いてきた1年だったこともあり、学校に裏切られたという気持ちで悔し涙を出していた日々もありました。そんな中、ある知り合いの社長に相談したところ、だったら転職すれば良いし紹介してあげると言われ、実際に面接に行くことになりました。

介護事業を中心に行なっている会社でしたが、なんの実績もない自分をチャレンジだけどと言いながらも採用してくれることになりました。

完全に心の糸が切れていた自分は採用が決まったその日に学校へ連絡し退職の意思を告げました。幸い年度終了まで引き継ぎ期間があったので最後まで引き続きを終わらせ退職致しました。

7年間様々な勉強をさせて頂いた最初の職場には心から感謝をしています。
様々な問題があった自分を受け入れてくれたことは今振り返るととてもありがたかったです。

そしてこの転職が自分の人生を360度変えるとはこの時の自分は一ミリも思っていませんでした。

次はいよいよ人生を変えた転職〜独立まで書いてきます。

この記事が参加している募集

仕事について話そう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?