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感謝の想いが溢れる、長年お世話になった病院の医師

年が明けた1月5日。
職場で、同僚から「K先生亡くなったの知ってる?」と、聞かれた。

K先生とは、私が10年以上前からお世話になっている病院の医師だ。
私は、30年以上前から慢性副鼻腔炎とアレルギー性鼻炎を患っている。
いくつかの薬を試しても改善せず、常に鼻が詰まり、においがわからない状態だった。
あまりにも鼻がつまって、息苦しいので、手術をしようと一大決心をした。
ホームページで、鼻の治療について詳しく記載されている病院を探した。

K先生の病院は、先生が地域の情報を調査した花粉の飛散の情報や手術の方法などをコラムで発信していた。
手術の実績も公表されていた。
これらの情報を見て、「この先生にお願いするしかない」と、言う気持ちで受診した。

初診時から、とても気さくな感じで、まるで昔からの知り合いのような雰囲気だったのを覚えている。

子供や仕事のこともあり、外来手術が希望であることを伝えた。
「入院はできないのか。外来でできるけど、手術後は痛いけど、大丈夫かい?」と、希望を受け入れてくれ、外来手術のための検査と並行して、今までの治療歴から今後の治療について相談にのってくれた。

鼻の手術をしてからは、2カ月おきに診察を受けていた。
同じ医療職ということもあり、行くと必ず、「仕事はどうだ、忙しいのか」
「今、どこの部署にいる?」「休みは取ってるか」と、診療の合間に仕事のことや雑談をした。

せまい街なので、よくあることかもしれないが、先生とはお気に入りのパン屋で偶然会ったり、食事先でばったり会うこともあった。

私は、副鼻腔炎の影響で、飛行機の着陸時の気圧の変化で耳や頬に激痛が走る。
どうしようもない現象と思っていたが、「飛行機で耳が痛くならないか」と、聞いてくれたことがあった。
もちろん痛くて辛いと答えると、「薬があるから、飛行機に乗るときは言って」と、薬で症状を回避することができることを教えてもらった。

旅行や出張の時には、必ず薬をもらい、行き先を聞いては、「何を食べてくる?」とか「あれは見ておいた方がいい」と、旅行の話で盛り上がったりもした。

12年前、手術をする時から、「喘息があるので、鼻はまた悪くなる」と言われていた。

去年の秋、風邪をきっかけに、鼻づまりがひどくなった。
1カ月以上も鼻づまりが続き、中耳炎にもなってしまった。
そのままにしておけないので、2023年の年末、レーザーで鼻のポリープを切除してもらった。

年末年始の休み前、切除後の確認で、12月29日に受診した。
特に問題なしという事で「年明け、また見せてちょうだい」と、言われ、一年を締めくくる挨拶をして診察室を後にした。

その日は先生の病院が仕事納めの日だった。

そして、冒頭の同僚からのセリフだ。
12月29日の診察の時は、いつもと変わらず元気だった先生が亡くなった。
信じられなかった。

先生は70歳。
昨年の春に、息子さんが院長に就任された。
先生は、70歳で引退と決めていたが、思ったよりも体が元気だからもう少し続けることにしたんだと、教えてくれた。

私は、いつも受診のたびに「先生、元気でいてよ」と、毎回のように言っていた。その度に、「元気なんだ、どこもなんともないから」と、笑っていた。

仕事納めの翌日、倒れられそのまま亡くなられた。

先生は地域に向け、長きに渡り花粉飛散の情報発信を続けていた。
地方都市であっても、医学研究の妨げにならず、地方だからできる事など、先生の考えをコラムなどで発信されていた。

ご家族の方、病院スタッフの方々も大変な思いだろうと察せられる。

昨日は、経過観察のため受診だった。
病院玄関には先生が急逝したことを知らせる案内が貼られていた。

診察室には、やっぱり先生の姿はなかった。
息子さんに診察していただいた。
診察までの待ち時間に、何と声をかけようかと考えていたが、顔を見たら何も言えなかった。
スタッフのみなさんも、平常の対応をされている。
そのまま、診察を終えた。

診察を終えたご高齢の方が、「先生、これから頼みますよ」と、話す声が聞こえた。

突然のお別れに、先生への言葉も用意できていない。






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