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ワーママ三十路女、ひとりで海に浸る  


 ひとりで海へ行った。
2才の子どもがいるのに。私も夫も仕事が休みの貴重な家族休日の日に。

 以前危篤になった遠方の祖父に私一人で会いに行こうとしたら、祖母に「夫と子どもを置いて女が1人で来るなんて考えられない。あなた1人だったら来るな」と言われ、1才の娘を連れて6時間の旅路についたのを思い出した。
この日のことを祖母が聞いたら激怒するだろう。つまり母親なのにってやつだ。


 勢い余って海に行った理由は、特別我が家に大きなトラブルが舞い降りたという訳では無い。
 娘にスプライトをぶっかけられた。私もスプライトをぶっかけ返した。ついでに夫にもスプライトをお見舞いした。
謎だ。ただの勢い、八つ当たり、ガキ臭い行動、甘え、ヒステリー、いくらでも罵倒する言葉が思いつくと思う。
 それなのに夫は、海から帰宅し菓子折り持って土下座した私を見て「スプライト事変だ」と笑いこけてくれた。


往復4時間かかる海辺まで車を走らせた。ほぼペーパードライバーで運転に自信のない私。だがこの日は運転の怖さより、罪悪感や虚無感の感情の方が強く、あっという間に現場に到着した。
 「恋」の名前がつく浜辺に、30歳になる女が1人。
ルンルンで日焼け止めを塗り、イヤホンをつけフィルムカメラを首にかける。
 砂浜を歩くが、なんとなくグッと来ずカメラのシャッターを気持ちよく切れない。フィルムカメラは一発勝負のカメラだ。一枚一枚大事に撮りたい。
 ひとまず歩くことにした。
 潮風の懐かしい気持ちにさせてくれるこの匂い…!
風を食う。しお味だよね、潮風だし。いや、意味わからん。最高にイタいな今の自分。とか考えながら歩く。

 砂浜で咲く花がいた。
これだけ潮風に晒される場所でよく咲ききっている。
なんて力強く可愛らしい花なんだろう。因みに私は強い女は好きだ。間違ってもキツい女ではなく、強い女が好き。
 名前も知らないし、よくある花なのかもしれないけど今日の私は感受性爆発日だからじわじわと感じる。


 小さな灯台が見え、そこを目指し歩く。
 日没1時間前。落ちかけた太陽がアスファルトに反射していた。何も見えないぐらい眩しくなり、光の中を歩いた。

光、光、光…。うん、「光るとき」を聴こう。
羊文学/光るとき
歌詞抜粋 
“ならば、全てを生きてやれ”
“何回だって言うよ、世界は美しいよ 君がそれを諦めないからだよ”

 私は自分の人生に対して少し喧嘩腰なところがあるから、“生きてやれ”この言い方がなんだか好きだ。

 「世界はどんなだと思う?」と聞かれたとして、世界は美しいと答えられないのが私だ。幼少期から美しくないものが近くで渦巻いていたからだと思う。
 それでもこの歌い手は、光のような声で雲を生むように世界は美しいよと言う。しかも何回だって言うと先に断言している。
もう負けましたよ。
私の負けです。
捻くれまくっている私の心も、ひっぱられて折れましたよ。
白状する。光の中を数秒歩いた時、世界は美しいと思った。なんなら太陽が海に沈むまで何回だって思ってしまった。


 わたしは一人が好きだ。
一人の時間を大事にしている。今だって一人じゃないと文章を書くことができない。
 ずっと、言ってはいけない。考えてはいけないと思っていたことがある。「一人暮らしに戻りたい」この言葉は今の夫と娘を否定する言葉になる。だからずっと拒絶し続けていた。
 漫画の1シーンに、不倫する男が「一人暮らしに戻りたいよ」と愚痴を漏らしているのを見たことがある。この言葉と思考は悪だと認識していた。
実際そうだと思う。
 悪だ、悪だ。だめだ、だめだ。自分が子どもの時に感じた嫌悪や悪意を、絶対に自分の子どもには与えさせない、触れさせたくない。
親を反面教師にする。自分の親のような親にはならないようにしないと。同じ遺伝子をもっているのだから気をつけないと、気をつけないと。
全て、とらわれである。
囚われているから苦しくなる。自分で自分の首をしめていく。
自分の胸の前でそれを両手で包み、丸く小さく小さくしようと力いっぱいに力を入れる。でも反発するように大きくなっていき、最後には自分の力ではどうにもできなくなる。
本心を拒絶してはいけない。
折り合いを探すのをサボってはいけない。
私は私をやめることはできないのだから。

 そんなことを考えながら太陽が沈む海をぼーっと見ていたら、涙が自然と溢れ出る。
散歩をしている人や、海水浴をしている人が数人居た。若い時の自分は顔を伏せ隠していただろうが、この日は不思議と慌てなかった。流れるのなら流れるままにどうぞ。いい年のとり方をしていると思いたい。

 そもそも、私は今一人で海に来ているが一人ではなかったと気がつく。

娘が海を見たら「しゅごーい!」って言って走り出すだろうな。
昨年死んだおじいちゃん、犬の散歩で海に来たときコンビニでアイスを買ってくれたな。普段無口なのに「(キツい)おばあちゃんには内緒だぞ」と言ってたな。
兄が連日、腹痛だと言って学校を早退していた時期、あのキツいおばあちゃんが学校をサボらせて海に行ったとか言ってたな。そんな時に見る海はどんな風だっただろうか。というかあのおばあちゃんが本当にサボりを容認したのかな?未だに信じられん。
沖縄の海でゲロってる私を友人が介抱してくれたな。
本島最北端に行った看護師の親友、海は繋がってるよ。これはちょっと恥ずかしいな。

 一人で海を見ているけど、頭の中は色々な人物が次から次へと登場出演。
「一人が好き」と「一人で生きる」を同義にしない。一人で生きてきた気になってはいけない。それに一人で生きたいわけでは無い。一人でボーッと浸る時間が私は好物なだけだ。
 誰がそれを否定した?
夫は否定しない。娘もいってらっさいと言ってくれる。
否定するのはいつだって自分自身だ。
自分の中で作りあげた常識や文化だ。

 海の匂い、音楽、フィルムカメラ。
これらに包まれゆっくりとたくさん歩いた。

 月もすぐそこになったところで、さて帰りますか。
一人は好物だが食べ過ぎては飽きる。
昔より飽きが来るのが早くなった気がする。人に会いたいなーってなる。
昔のようになりたいと思っても、自分がもう昔の自分ではなくなっているのかもしれない。
ん?私は何に悩んで海に来たんだっけ?結局ごちゃごちゃ考えているようにみえているだけで、私の脳はかなり単純な作りをしているのだろう。

 それにしてもフィルムカメラ50枚程シャッターを押してしまったのは初めてだ。
フィルムカメラは一発勝負。撮影ごとに確認したり編集ができないから、心がぐーっとなった時にだけシャッターを押そうと決めている。
今日はぐーっとが多かったということだ。


 土下座みやげのカワハギの干物、凄く美味しかった。
なんとなんと、食べムラ真っ只中の娘も食べた。本当に本当にすごいことなんだよこれ!

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