見出し画像

【ほぼトラ】バイデン撤退で1968年に似てきた大統領選とその後…

日本時間7月22日未明にアメリカのバイデン大統領が突如として大統領選からの撤退を表明した。また同時にカマラ・ハリス副大統領を大統領選候補として推薦すると表明した。

先日行われた大統領選挙の討論会でのバイデン大統領の悲惨な状況以来、バイデン大統領の大統領選挙からの撤退論が噴出していたことから、この撤退自体にはそれほど驚きはないかもしれない。
しかし現職大統領が大統領選挙から撤退するのは、1968年のジョンソン大統領以来のことでもある。
そして結局1968年の大統領選挙に勝利したのは、ニクソン大統領だった。
そう、あのドル・ショックで有名なニクソンだ。
もし歴史が繰り返すとしたら、次の大統領の任期中に大きな変化があるかもしれない。

ジョンソンの大統領選撤退

1968年(昭和43年)当時の大統領はリンドン・ジョンソン大統領だった。ジョンソンは、元々はテキサス選出の上院議員で、暗殺されたジョン・F・ケネディ大統領の副大統領だった。そしてケネディが暗殺されると副大統領から大統領に繰り上がって大統領に就任することになった。

ベトナム戦争介入で躓く

ケネディ暗殺で繰り上げで大統領に就任したジョンソンは、最初の大統領選挙では難なく再選を果たした。しかし、その後に激化したベトナム戦争への介入で躓いた。
1965年にジョンソンは、後にアメリカのでっち上げと言われるようになるトンキン湾事件をきっかけにに北ベトナム爆撃の北爆に踏み切ると同時に、アメリカ海兵隊をベトナムのダナンに上陸させてベトナム戦争への介入を本格化した。
そしてその後は、徐々に兵力を増強し、最終的には1967年には50万人近い米兵がベトナムで従軍することになった。

テト攻勢

当初ベトナム戦争は、共産主義に対抗する正義の戦いとして世界、そしてアメリカ国民に喧伝されていた。

しかし1968年の1月のベトナムの旧正月(テト)の間にベトコンが大攻勢に出た。有名な”テト攻勢”だ。特に有名のが、当時の南ベトナム政府の首都がおかれていたサイゴン(現ホーチミンシティ)にあったアメリカ大使館へのベトコンの攻撃だった。約20名のベトコンがアメリカ大使館に突入して籠城した。
アメリカ軍とCIAが何度も奪還を試みるもベトコンの頑強な抵抗にあい、大使館の奪還に苦労することになった。
このテト攻勢の様子が全米にTV中継されると、それまで米軍優勢を説明されていたアメリカ国民にベトナムでの苦戦が明らかになることになった。
共産主義への民主主義を守る正義の戦いどころか、ジャングルの中で米兵が農民を殺している現実がTVで世界に報道されるようになった。
そして、この”テト攻勢”をきっかけにアメリカ国内では、大規模なベトナム反戦運動が燃え上がることになった。

大統領選撤退

ベトナム反戦運動を受けて、1968年1月の民主党大統領予備選挙でベトナム撤退を唱えて立候補したマッカーシー上院議員が現職のジョンソンに勝利した。この予備選での現職敗北を切っ掛けにしてジョンソン大統領は、大統領選挙からの徹底に追い込まれることになった。
その後の民主党の大統領候補選びは混迷を極めた。暗殺されたしたジョンFケネディ大統領の弟で元司法長官だったボビー・ケネディが大統領候補に立候補するも、予備選の途中カリフォルニア州の予備選直後に暗殺されてしまった。
8月末にシカゴで行われた民主党全国大会には、全国からベトナム戦争反対派が集まり、シカゴ市内で警官隊と衝突し流血の惨事となった。最終的には、民主党予備選挙では、ハンフリー副大統領が立候補したが、結果は、共和党のニクソンが勝利することになった。

ニクソンの政策

ジョンソンの次に大統領に選出されたニクソン大統領は、次々に大胆な政策を実行していった。

ベトナム戦争撤退

泥沼化していたベトナム戦争の終結を試みた。パリで北ベトナムとの和平交渉を行ると同時に、北ベトナムへの圧力をかけるために大規模な北爆を再開した(ライン・バッカーⅡ作戦)。またホーチミンルートを遮断するためにカンボジア侵攻に踏み切った。
ベトナム戦争自体は、和平交渉が纏まり1973年にアメリカ軍は、ベトナムから完全撤退した。南ベトナム政府自体は1975年まで戦い続けたが、最終的に2年後の1975年に敗北して、南北ベトナムが統一されることになった。

ドル・ショック

ニクソン政権がとった経済政策の中で一番歴史にのこるのが、ドルと金の交換を停止した”ニクソンショック”または”ドルショック”だろう。
第二次大戦終結間際の1944年に締結されたスミソニアン合意に基づき、アメリカ政府は、1オンス=32ドルでドルと金の交換を保証していた。またドル円相場に関しては、一ドル=360円で固定されていた。昔懐かしい固定相場制だ。この固定相場制の下で日本は驚異的な経済発展を遂げた。
しかしベトナム戦争による経常収支の悪化を受けて、固定相場制を維持するのが困難になっていった。1968年には、欧州で金の国際相場が立つようになり、実質的にドルと金の固定性は終わりを遂げていた。そして、ニクソン政権は、1972年についに金とドルの交換停止に踏み切った。
ちなみに、ニクソンショックのあった日付は1971年8月15日だ。そう8月15日だ。当時から日本への当てつけと言われていた。
このニクソン・ショックで四半世紀近くに渡って続いた”固定相場制”が終了して、今に続く”変動相場制”が始まった。

第四次中東戦争とオイル・ショック

ドルショックに続く1973年には、有名な”オイルショック”が発生している。
直接の原因は第四次中東戦争だ。サダト大統領率いるエジプトとシリアが、ヨム・キップルと呼ばれるユダヤ教の安息期間中にイスラエルを奇襲攻撃した。当初はイスラエルが苦戦し、一時は核兵器の使用まで取りざたされる事態になった。その後アメリカの強力な軍事援助でイスラエルが反転攻勢に出て、スエズ運河を超えて逆にエジプトに逆上陸する事態になった。
この第四次中東戦争を受けて、アラブ諸国を中心とするOPEC諸国は、イスラエルを支援する欧米諸国への原油禁輸に踏み切った。ドルと同じように石油価格が自由に上下し始めたのは、このオイルショックが始まりだ。
ただ、直接原因は、第四次中東戦争だが、遠因としては前述のドルショックがある。当時は原油相場がドル建てて実質的に固定されていた。ドル安が急激に進むと、実質的な収入の減少に直面したOPEC諸国が値上げで対抗したのが原因だ。

米中国交正常化

外交面での最大のサプライズは、米国と中国の回復だ。1972年2月にニクソン大統領が突然北京を訪問して世界を驚かせた。これが今に繋がる米中関係の実質的な始まりだ。
ちなみに当時の日本政府にも全く知らされておらず、日本政府は完全に寝耳に水だったようだ。そして田中角栄総理が慌てて中国を訪問することになった。

ウォーターゲート

ベトナムからの撤退、米中国交正常化など歴史的な偉業を成し遂げたニクソン大統領だが、二期目に入るとスキャンダルに襲われ、最終的には辞任に追い込まれた。
有名なウォーターゲート事件だ。
まだ同時期にアメリカ議会上院で行われたチャーチ委員会でCIAが世界的に行っていた違法な工作などが次々に暴露されることになった。
その煽りを食らったのが、有名な”ロッキード事件”だ。

バイデン撤退後

歴史は必ずしもその通り繰り返すわけではないだろう。しかし歴史は韻を踏むとも言われることがある。バイデン撤退後の展開が”歴史の韻を踏む”と仮定すると以下のような展開が予想される。

共和党のトランプが勝利

1968年と同じような展開になるのなら、大統領選挙は、下馬評通りトランプが勝利することになるだろう。

ドルショック

ドル高を修正する何らかの大胆な政策がとられることになる。既にトランプ大統領は、今のドル高、円安、元安を非難して、通貨価値の修正をほのめかしている。何らかのドル切り下げを伴う通貨調整があるかもしれない。

ウクライナ撤退

1968年のベトナム戦争に相当するのが、現在戦われている”ウクライナ戦争”だろう。
既にトランプ元大統領は、自分が大統領に再選されたらウクライナ戦争を終わらせると明言している。
1968年との対比で興味深いのが、ニクソン政権は、北ベトナムとの和平交渉に際して、北ベトナムに圧力を加えるために逆に北爆やカンボジア侵攻など軍事攻勢を強化していることだ。
もしプーチンが和平交渉に応じない、または妥協を拒否した場合には、逆にトランプ政権が軍事的強硬策にでる可能性もあるかもしれない。
考えたくもないが、和平交渉が失敗した場合、下手をすると第三次世界大戦が勃発するかもしれない。

イスラエル

当時も今と同じようにイスラエルによる戦争が行われていた。そして最終的に第四次中東戦争にイスラエルが勝利したことが、後のエジプトとイスラエル間のキャンプデービット合意に繋がった。ただし、イスラエルと和平合意を締結したエジプトのサダト大統領は、後にムスリム同胞団に暗殺されている。

米中関係

米中国交正常化の裏には、1968年に発生した中ソ紛争がある。
これに対して、今は一応中露は蜜月関係だ。したがって米中関係に関しは、反対に対立が激化するかもしれない。
しかし同時にトランプは、台湾の防衛義務に関しては曖昧な態度を取っている。
場合によっては、前回のトランプ政権による突然の北朝鮮との首脳会談のように、突然トランプと習近平との会談が行われるかもしれない。
1972年と同じような突然の政策変更が行われるかもしれない。日本は足元をすくわれるリスクを認識すべきだろう。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?