見出し画像

🔥🔥利他精神と利己精神🔥🔥

利他的に生きること。これが大切であるとこれまでの人生で100回くらい聞いたことはありませんか?
そして、利他的に生きていくことをお勧めしてくる人いませんか?
しかも大抵、利他的に生きることをお勧めする人は、自分より立場の上の人。
自分の部下に、後輩に、利他的に生きましょう。などと言われたことは私は一度もございません。

この下の人に家族がいたら、何が利他で利己かわからんよね🥺

そもそも、なぜ【利他的に生きることが大切】と先輩、上司は言うのか。
ここをよく考えてみました。

辿り着いた答えは、【帰属するコミュニティの中で利他的に生きることで利を得る人がいることです。】

私たち人間はコミュニティの中で生きていく生き物です。例外なく、今このノートを読んでいる人は何かのコミュニティの一員です。
そのコミュニティで全員が利己的な考え方をもっていたらどうでしょうか。
【ルール・制度】これを定めないと、喧嘩がおこります。戦争が起こります。そしてこのコミュニティは破滅していきます。

だからこそ、極限までルールをコミュニティから排除するために必要な生き方が利他的な生き方だと思っています。
自分が得をするのではなく他人に得をさせる生き方。
ではなぜ利他的な精神が必要なのか。それは、自分が作り出した【コミュニティの健全な生存の為】ではないでしょうか。
もちろんミクロな視点で見れば、利をもらった人はうれしい、幸せな気持ちになる。他人にも優しくできる。こんなメリットがありますよね。それがそのコミュニティで蔓延していけばみんなハッピーです。

ではマクロ視点で考えて見ましょう。
コミュニティには必ず長が存在していて、そのコミュニティは段々と個性を持っていきます。その個性は長の人格を色濃く投影したものとなります。
長の自尊心までもが反映されたこのコミュニティの繁栄と生存を、長は求めています。それが長の利になるからです。(金銭的にも時には精神的にも)
利他的に生きろ!これは万人に対してではなく、あくまでそのコミュニティに対してなのです。

例えば小学校の道徳の授業も同じですよね。
人には優しくする。みんな落ちこぼれを作らず、みんなで同じタイミングで同じゴールを目指しましょう。
学校というコミュニティ。義務教育という最低限をクリアした人材を育成するという教育委員の目的においてはとても有効です。

しかしこれが企業だとどうでしょうか。
みんなに優しく、みんなで同じタイミングでゴールしていこう!なんてやっていたら、すぐに出し抜かれます。社内競争もできなければ、企業競争に飲み込まれて倒産してしまいます。
ゴリゴリの営業会社などでは、先輩社員に勝つことが恩返しだ!なんて風潮もあったりします。

つまり、長を反映させたそのコミュニティに必要なものが思想です。

その思想の一つが「利他的精神」であると理解して見てください。


【利他は違う角度から見れば究極の利己である。】

例えば不動産屋さんで例える

A不動産に勤めているB君は、C会社のEさんから特別に御社だけだよと言って未公開物件をもらった。
B君は【利他的精神】にて自分だけの情報にせずにA会社の社員みんなで共有した。
まさに利他の塊です。

違う角度から見てみましょう
B君はみんなにこの情報を共有していきたい!
そう思い、D君という友達の勤めているE会社にもその情報を共有しました。
果たしてこれは【利他的精神】でしょうか。

B君の主観では完全なる【利他的精神】ですね。

A会社からしたらライバルに情報提供するじゃねえよ。お前の個人的な付き合いで利己的に動くんじゃねえ。得すんのはお前の自己満足感と、他社だろうが。とB君は【利己的精神】とみなされてしまうかもしれません。

などなど、無数にあるコミュニティから見る角度を変えれば、一つの行動は【利他的精神】にも【利己的精神】にもなるということです。

つまり、【利他的精神】と【利己的精神】は表裏一体であり、見る角度の違いということです。

他人を【利己的精神】の持ち主だ。と非難する前に、それを非難しようとしている自分こそが【利己的精神】の持ち主なんだ。ということを気づきましょう。

思想は自由です。
どのコミュニティから物事を考えるも人の自由です。
それを矯正したり、非難することは許されません。

日本国憲法第19条参照

日本国憲法第19条より



他人から見た【利己的精神は】、本人からしたら【利他的精神】である。


実例として、こんなこともありました。

Aさんは仕事はきちんとこなす。係長という役職も持っている。でも、ケチ。違う上司はガンガン奢ってくれる。お金も困ったら貸してくれる。
でもAさんはもらった歩合は全部自分の財布に入れてる。お金は絶対に貸さない。

本当にケチで利己的な人だなー。なんて言われていました。
それが【職場でのコミュニティ】

でも本当はAさんにはこんな考えを持っていた。
自分はいつまで働けるかもわからない。
だから多くお金を稼げる今、少しでも多くNISAに入れて家族を守る資産を今のうちに気付きていかなくてはいけない。一馬力で働いているからこそ、他人にお金を使う場合じゃない。
この考え方は果たして【利己的】なのでしょうか。
【家族というコミュニティ】から見たら、素晴らしい【利他的】な思考ではないでしょうか。

逆に家族から見たら、ガンガン他人に奢る。人にお金を貸す。そんな人こそ、家族からしたら、あんた自分の見栄のために【利己的】なことしないで!

となります。

利他的精神とは利己的精神であり、利己的精神は利他的精神である。

大昔の偉い人が作った世の諺

だからこそ、自分のコミュニティの中で人に【利他的に生きろ】なんて言ってはいけません。


なぜなら、もうすでにその人は【利他的に生きている】からです。

利他を他人に求める人間は偽物だ

自分にもたくさんのコミュニティが存在しているように、その人もたくさんのコミュニティを持っています。

人には人のコミュニティがある。他人は他人という割り切った考え方ではなく、他人には自分の知り得ない他人のコミュニティがある。それを容認する器を持とう。


どこのコミュニティから【利他的精神】を持っても自由なのではないでしょうか。
それを、強制できるほど偉い人はいるのでしょうか。
神様のような人なのでしょうか。


また、本当に自分に還元される利益がなく【利他的精神】がある人は、非営利団体で子ども食堂とかをやっているのではないでしょうか?



【利他的に生きろ】こう言っている人ほど、募金をしません。脱税をしようとします。でも自分の組織にはサービス残業をさせますし横領されたら怒り狂います。

それなら【俺のためにこのコミュニティの利益を先優先に利他的に生きろ】まずは俺が金持ちになる。
そのあとお前らも俺ほどじゃないけど今よりは遥かに金持ちにしてやるよ。まかせろ。

ここまで言ってくれた方が気持ちがいいものです。

まとめです🥺

他人には自分の理解の範疇を超えたコミュニティをいくつも持っている。
そのコミュニティの立ち位置次第で、一つの行為は【利他的にも利己的にもなる】
そのコミュニティを許容する器の大きさが大切。
別コミュニティからの【利他的にも利己的にもなる】違う価値観を認めてあげることが大切。
本当に【利他的な人】はボランティア、募金している。
他人に【利他的に生きろ】と言うことは、他人の生き方を強制する行為。これ以上ない【利己的な行為】である。


ただし、例外があります💡
言っている本人が属さない他人のコミュニティの中で【利他的に生きろよ!】
こう言ってくれる人は、ホンモノです♪♪
俺には利はいらない。他人に利を与えろ。こう言ってくれる人を探しましょう。※口だけではなく本当に利を受け取らない人。
一生付き合っていくべき人ですよん🥺🥺🥺


ホンモノの利他精神の持ち主


ではまた👋

続きも書きました!


僕の自己紹介です♪

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?