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嫌なことと、同居することとは

思い描いた世界はあるのだろうか


「幸せ」という言葉は、人の心をうっとりさせる。
大抵、人は幸せのイメージを持っている。
だから、いつか、その幸せのイメージに近づくように努力をする。
けれど、「幸せってあなたにとって具体的にはどういうことですか」
と、質問をしてみると、イメージが具体的を表現できる人はまれだ。
人は、誰でも心の中では、自由に思い描くことは出来る。
しかし、それを実際絵にしてみれば分かるけれど、絵にするのは簡単ではない。
心の中に思い描いている世界は、心の中にしかない。
現実に向かい会えば、心象世界とかけ離れた世界が待っている。
それを現実という。

思い描く世界は無駄な世界だろうか

思い描くことは、子供じみた世界かもしれない。
それでは、そういう子供じみた世界をイメージするのは、無駄なことなのだろうか。
そういう言い方をする人はいるにはいるけれど、誰もが全部現実の世界で生きているわけではない。
映画や本の世界は、作り事だ。
ノンフィクションと言っても、作品を見たり読んだりすると、現実そのものとは言えない。
生身の人生をそのまま小説にしたり映画にするなど、出来ない相談だ。
それでも、映画を見たり小説にを読んだりすることには価値があるはず。
人は、現実の中で生きるだけではない。
精神の世界の中でも同時に生きているはず。
「思う」と言う世界は、現実とは違うけれど、「思う」ことで、人は現実を直視しなでいられる。
いわば、「思う」は世界と自分の「間に「緩衝材」のような働きをしている。
苦しい現実があったとしても、緩衝材としての「思う」世界があれば、苦しみが和らぐ。
穏やかな人は、そういう緩衝材を自分で育てている人ではないか、そんな気がしてならない。

成長とは、思い描いた世界と現実とのギャップを埋めること

私達は、子供から大人へと、成長をする。
長い時間をかけて、私達は、一つ一つを学んでいく。
その学びの根本は、国語や英語ではない。
現実と、思い描いている理想とが、うまく融合できるように自分の心を整理整頓することだ。
理想は否定されるものではない、そして現実も受け入れていかなければならない。
どちらが、片方を否定した時、人は心や体のバランスを失い、途方にくれる。
何度も途方にくれながらも、人は学び直して成長をしていくのだ。
だからこそ、長い時間が必要なのだ。
老後も、その成長過程にあることを忘れてはいないだろうか。

理想の幸せは、現実と理想の中間にある

老後、夫婦二人きりでで過ごすことが多いだろう。
その時、理想の老後を夢見ている人が多い。
一番その時に必要なのは、相手の欠点を非難しないことだ。
非難しないのではなく、決して口にしてならない禁止事項だ。
もしそうしなければ、いつも理想だけで物を言うことになるから。
人には、自分では気がつくことがないけれど、欠点が必ずある。
欠点のない人間はいない。
人は善良で心が優しいだけでは生きてはいけない。
その欠点を否定することは相手の生き方の否定だけだ。
もし、今までの夫婦の関係を壊したかったら、それもいいだろうが、
お互い様と分かっていれば、理想の老後など考えないほうが良い。
嫌なことと同居できないで、理想を追うのは幼稚だ。
理想は、結局幼稚な妄想なのだ。

老人になるには年季が必要

嫌いな相手でも、付き合えるのが能力と言うもの。
そういう能力を若い頃から会得してきたかどうかで、老後の快適さが変わってくる。
若い頃から、嫌いな感情に流されないことが必要だ。
刹那な気分でいると、好き嫌いの生活に流されてしまう。
しっかり、嫌いの正体に向かい合って、その嫌いという感情を乗り越えたいものだ。
嫌いと好きは、正反対のものではない。
むしろその反対の感情は表裏一体で、好きの裏返しが嫌いであり、
嫌いの裏返しが好きなのかもしれない。
それほど、好きと嫌いは深い分かちがたい感情と言える。
だから、今嫌いなことをあっても、その感情に振り回されないことだ。
嫌なことと共存できて、一人前になれるというもの。
嫌なことと共存する方法は、日々の学びの中で会得するしかない。
老人だって、日々学ばなければならないのは常識だと思ったほうがいい。
向学心のないものに、幸せはやってこない。
いや、幸せを見つけることが永遠にできないと言っていいだろう。
身近なところに幸せがあっても、その幸せに気づく心が大切ではないだろうか。

旗じいの話を最後まで聞いてくれてありがとう。
嫌いな感情は、相手にも伝わるものだから、嫌いの感情に良い結果はないと思う。

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