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いつでも夢をと核戦争

いつでも夢をと核戦争の危険性を煽られて



「いつでも夢を」そんな題名の歌番組が昔あった。
良い題名である。
誰もが夢を追いかけた時代が昔あったのだ。

令和の時代の年金生活を生きる


太平洋戦争が終結してからの戦後日本は、希望に溢れていた。
その時代が戦後長く続いた。
その頃、老いも若きも夢を抱いて生きた。
日本という国の未来に夢があった。
ドラえもんが生まれたのもその時代だ。
そして、失われた日本と言われた30年後の令和。
今、夢を持って生きている人は、どれだけいるのだろうか。
夢は誰だって見る。
でも、その夢を信じている人はどれほどいるのだろうか。
人は幸せになるために生きてきたのだ。
だから、幸せになることを夢見るのは当然だ。

幸せになるのは一人ではできない


大抵の老人は、年金を当てにして生きている。
死ぬまで年金を受け取ることができると信じて生きている。
前の世代が、年金を受け取ってきたように、自分たちも同じように生活ができると信じている。
前の世代が、そうであったが、自分の時代では不可能と考えたら、先が見えない。
未来を見ることが、不可能になるのだ。
だから、国民は政府を信じるしかない。
もし、信じることができなかったら、わたしたちは、年金制度を否定するだろう。
そういう時代がやって来ない保証はないけれど、わたくしたちはまだまだ日本の社会制度を信じている。
そう、信じなければ社会は破綻してしまう。
多くの日本人は、そのために一生懸命に生きている。
その事実を年金生活者は忘れてはならないと思う。
自分の幸せは、社会全体で支え合って成り立っていると忘れないことだ。

全体を見る目を忘れない


最近は、日本人の平均収入が世界の中でも低いと話題になっている。
特に先進国の中で一番低収入だとマスコミが騒いでいる。
アメリカは最低賃金が日本の二倍だと言う。
貧しい国日本と、マスコミは日本や日本人を蔑む。
私は、たしかに貧しい生活をしているので、日本人が貧しくなっても仕方がないなあと思う。
しかし、この指摘は、「幸せになるのは一人ではできない」からしたら、疑問が多い。
アメリカの銃社会は、安全が確保されていない。
インフレ率はどうだろうか。
昼食に数千円かかるし住宅費用は、日本の何倍もする。
教育費も比較にならないほど高い。
戦争になれば徴兵もある。
マスコミの指摘は、いったいなんのために指摘なのだろうか。
マスコミは、いつも全体が見えないように報道をしている。
ウクライナのキウイの爆撃で破壊された瓦礫の映像のすぐ側では、マックが営業している。
しかし、マスコミは、瓦礫の横でマックのハンバーガーを口にする少年や少女を撮影することはない。
マスコミは、ニュースを作るために、よりうまく情報を操作するしかないのだ。
結果として、マスコミは視聴者の心情操作をすることになる。
これが、人々を不安にさせる。
やっぱり日本はおかしいのか、世界も同じだと。
マイナスのニュースばかりに晒されていると、わたしたちの心は、不安になる。
年金生活者は、小遣いをもらっている子供と同じ状態だから、
悪いニュースは、生活を不安定にさせる。
怖いもの見たさの好奇心に振り回されると、自分を見失うだけ。

ウクライナと核戦争の予兆報道


マスコミも政府も、国民に対して、北朝鮮やロシア情報に常に懸念を抱かせる。
情報を見れば、それは妥当と言える。
けれど、実際の日本人は、懸念を抱いても、具体的になにをしていいいのかまったく分からない、
ウクライナとロシアが戦争を始めて久しい。
予想に反して戦争は泥沼を呈している。
手強いウクライナ軍に対して、戦争が膠着状態になっているロシア側は、戦略核を使うと公言している。
戦略核兵器を使っても、それで全面的核戦争にはならないらしいが、
庶民にとってそれは寝耳に水だ。
同じようなことを北朝鮮も実施している。
核兵器の開発に全力を投入して、アメリカとの交渉を有利に進めようとしている。
日本は射程圏内にすっぽり入っている。
北朝鮮だけではない、
ロシアも中国も保有している核兵器の射程距離内に、日本はすっぽり入っている。
核による戦争は、いつでもおきる、それほど、核は兵器として特別なものではない。
使おうと思えば、いつでも使える。
政治的な駆け引きで得ではないから使っていないだけだ。

核による最終戦争がわたくしたちに教えてくれること


人は、戦争がなくても自然に息絶える。
交通事故や火事や災害でも人は亡くなる。
特に日本人は、地震や津波や台風などの自然災害と向かい合って生きてきた。
だから、核戦争で死ぬことが、何も特別なことではない、
日本人の心の中には、常に「無常」という気持ちがある。
核戦争になるからしれないと、煽られなくても日本人には、人はいずれ死ぬという死生観があるのだ。
いずれ死ぬかもしれないけれど、だからと言って心配ばかりして生きて行くわけではない。
そうではなくて、生きていることに感謝をして一日一日を生きていこうとしているのだ、
自然災害や核の恐怖は、個人ではどうすることもできない。
だからこそ、自分で出きることを精一杯頑張るべきなのだ。
恐怖を煽る情報に耳を傾けるのは、自分自身を危険な精神状態に誘導するだけだと、肝に銘じよう。
恐竜の時代が、終わったように、人間の終わりもまた来るかもしれない。
それは、人間一人ひとりに、死が与えられることと同じ。
人は、生まれて、そして死ぬ。そこに例外はない。
だから、生きることをおろそかにしてはいけないと考えた方が良い。

夢とはなんだろうか


ニュースで流れている、世界各国の夢は、他国と共存するよりも、競争に勝つことにこだわっていると分かる。
ニュースに目を向けていると、個人の幸せは見えてこない。
老人の夢、年金生活者の夢は、ささやかな夢だ。
日々の生活が穏やかでありまうように、三度三度をおいしく食べられます様に、
病気をしないでいつまでも健康でいられますように。
宛のない見えない遠い未来の夢を見るより、手応えのある眼の前の夢を手に入れよう。
マスコミよ、政府よ、こうしたささやかな夢を見ている庶民の夢を邪魔しないで欲しい。
たったこれぐらいの夢を、大目に見ていられる国であってほしい、
平和の時代に感謝して、一日を大切に過ごそう。
平和ボケといわれても、言っている方が悪い。
平和にボケられるぐらいが、生きるにはちょうどいいのだ。
なにより大切なのは、煽られないことだ。
煽りたがる人は、自分の利益のために煽っているのだから。
老人よ、来る日まで毎日夢をみよう。
人は、生きる権利として、夢を見ることができるのだから。

旗じいの話を最後まで聞いてくれてありがとう。
人はなぜ夢を見るのだろう。
マッチ売りの少女の話は不幸だけれど、
マッチ売りの少女が見た夢を、誰も非難をする権利はない。
毎日、寝床に入って良い夢をみたい。
ささやかだが、誰にも邪魔されず自由に夢の中で眠りたい。

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