自分の事だけ考えたい
2023年夏、大学の同窓生に25年振りに再会した。
そして学生時には一度も旅行したことがなかった間柄なのに、何がなんだか分からないうちに2023年11月、15年振りの海外旅行、しかも初バンコク、しかもツアーではなく「ホテル+往復飛行機チケットのみ」という、完全に「子育てが一段落して空の巣症候群に陥ったアタオカおばさん達」がやりそうな、破れかぶれの旅をした。
でも、この旅行で私は発見してしまった。
「自分の事だけを考えていれば良い自由」というものに。
夫のことも、こどものことも考えずに、「今、自分がしたいことだけ」を考えればいい。
もちろん、友人と一緒にいるのだから完全に自分の事だけ、というわけにはいかない。
だけど「友人」は「友人」だ。旅行が終わればまた別々の日常に戻る。
「旅行の間だけ」の関係性、つまり「連続性がない、断続的な関係性」。
旅行から帰った後の事=その後の『生活』を考えなくて良い、これが何より気楽だった。
こどもが幼かった頃は毎年スキーに行ったし、自分が幼い頃には夏休みに海水浴に連れて行ってもらった。
楽しかった思い出ももちろんある。
だが友人と旅行、というものをどれだけしたことがあるのか…。大学の卒業旅行だけかもしれないと気付く。
常に「家族」と一緒だった。
それを後悔しているわけではない。
ただ知ってしまった。「自由ってこういうことなのかも!」ということを。
旅行から帰宅した後の洗濯物、こどもの体調、三度のご飯、ペットの体調、夫(もしくは両親)の機嫌、学校の宿題、自分の体調と仕事。
私は旅行の間も常に「帰った後」のことを考えていた。しかも自分以外の誰かの何かを。
旅行中にテンションが上がってはしゃぐ私に「行儀よくしなさい!」と叱る母。
車の運転中に後部座席で少しでもこども達が口を開くと「うるさい!」と舌打ちする父。
こどもの荷物の準備に忙しい私の横を涼しい顔で通り過ぎ、自分だけ準備を済ませ、「まだ用意できてないの?」と宣い、旅行後は大量の洗濯物を私が洗濯することが当然のように洗濯籠に放り込む夫。
旅行から帰った次の日からは「行きたくない~。」と駄々をこねるこどもをなだめすかして幼稚園バスに押し込み(または学校に登校させ)、仕事に行き、お迎えに行き、ご飯を食べさせ、風呂に入れ、寝かせなければいけない。
だから旅行中もこどもがケガをしないように、体調を崩さないように細心の注意を払っていた。
家族ってめんどくさいな、と初めて思った。
一人ってこんなに自由なんだ、と初めて感じた。
「自分だけ」ってこんなに楽なんだ、「自分のことだけ考えていればいい」ってこんなに解放的なんだ、なんて心地良さなんだ!
あれから5か月が過ぎようとしているが、あの解放感と心地良さが波のように寄せては返し、また寄せては返しを繰り返している。
忘れようとしても忘れられない、常に私を引き戻して私の耳元で囁く。
「自分のことだけ考えればいいんだよ。」