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気づいたら私も醜い世間の一部だった

自分だけは、こんな醜い世間に流されるわけがない。
飲み込まれるわけがない。
自分を貫いて生きていくんだ。
そう思っていた。

小さい頃から観察して想像するのが癖だった。
家族の顔色を伺って、怒られないように、逆鱗に触れないように。
周りの人達には話しやすくて優しい自分を見せる。なるべく注目を浴びすぎず、期待されすぎず、仲良い人には頼られるように。
親によく言われたのは、世渡りが上手な子になったねって言葉だった。
まぁ、嬉しいけど、自分を持ってないみたいで少し嫌だった。

気づいたらそんな生活のまま、高校生になっていた。
スマホをみんな持ってて、SNSも当たり前になっていた。
学校で時々あるSNSについての講習。
モラルについて。ネットいじめについて。
色んなことが当たり障りのないように教えられる。
SNSではもっと過激なことが起きているというのに。
日々のニュースやバラエティ、動画サイトの誹謗中傷や自分こそが正義だと思い込んでいる連中の書き込み。
それに対する、モラルの見本のような中身のない注意喚起をする大人たち。
私は書き込みを全然しない人だから、あまり気にしていなかった。

私はこんな低レベルな戦いはしない。
なぜなら、私だけは世間とは違うから。

本気でそう思っていた。
つまり、見下してた。

SNSの人たちは薄っぺらい人間しかいない。
嘘か本当かわからないような情報しかない。
本気でそう思っていた。

しかし、気付かぬうちに、けれども確実に、私は世間に飲み込まれていた。

きっと私のような世間とは違いますって気持ちを持った人は多くいるだろう。
SNSに惑わされず、情報をよく吟味してから取捨選択をしている。
SNSに溢れているこの時代に必要なことであるのに間違いはない。

しかし、私は次第に腐っていった。
嘘か本当か、正義か悪か、何もわからなくなったこの世界で、信じることに対する恐怖だけ抱き、前に進めなくなっていた。
現実の人でさえも上辺だけの付き合いでよくわからない人たちとつるんでいる。
顔は笑っていても心の中で何を思っているかは本人にしかわからないのに。
この社会は上辺だけの謝罪と感謝とお世辞があればどうにか生きていけるだろうとなめていた。
そんなチョロい大人しかいないと思っていた。
すると、そのチョロい大人になろうとしている自分がいた。
子供の頃のような純粋さはなくなり、大人は汚いと蔑んでいたが、その大人に着々と近づいていた。

きっと、世間というのは、社会というのは、私のような人たちで溢れているのだろう。

都合よくルールを守り、上の言うことには従い、上が悪いことをしていたとしても目を瞑る。
そんな人たちの集まりの方が楽なはずだ。
きっとまとめやすいし扱いやすいだろう。

あぁ、このまま大人になるのだけは御免だ。
社会の歯車となるくらいだったら、外れてやりたい。
だけど、そんな勇気もなければ自分の技量だけで生きていけるようなスキルも持ち合わせていない。
醜いこの世界の機嫌をとってお金をもらうしかないのだろうか。

1番なりたくなかった大人に1番なれそうだ。

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