もし、世界から悲しみが消えたなら。
もし、世界から悲しみが消えたなら。
私は毎朝、出社ギリギリまで布団で眠るのをやめるだろう。
もし、世界から悲しみが消えたなら。
私は朝日を浴びて伸びをするのをやめるだろう。
もし、世界から悲しみが消えたなら。
私は晴れの日にお気に入りの服を着るのをやめるだろう。
もし、世界から悲しみが消えたなら。
私はすれ違う子供を目で追うのをやめるだろう。
もし、世界から悲しみが消えたなら。
私は電車で座るのをやめるだろう。
もし、世界から悲しみが消えたなら。
私はコンビニで昼ごはんを漁るのをやめるだろう。
もし、世界から悲しみが消えたなら。
私は正午、同僚と愚痴大会をするのをやめるだろう。
もし、世界から悲しみが消えたなら。
私は午後三時にお菓子をつまむのをやめるだろう。
もし、世界から悲しみが消えたなら。
私は定時に帰宅するのをやめるだろう。
もし、世界から悲しみが消えたなら。
私はコンビニでスイーツを漁るのをやめるだろう。
もし、世界から悲しみが消えたなら。
私は晩酌でビールを飲み干すのをやめるだろう。
もし、世界から悲しみが消えたなら。
私はネットフリックスで映画をみて泣くのをやめるだろう。
もし、世界から悲しみが消えたなら。
私は明日も頑張ろうと呟いて眠るのをやめるだろう。
もし、世界から悲しみが消えたなら。
もし、世界から悲しみが消えたなら。
もし、世界から悲しみが消えたなら。
そんなことばかり考えていると、もう夜は開けていた。
***
みゆうです。
エッセイの解説を手身近に!
世界のあらゆる幸せは、悲しみと表裏一体なのかもしれないし、
悲しみがなくなった世界では、私たちは幸せを感じることができないかもしれない。
何気ない日常に潜む一部の幸せは、
もし世界から悲しみが消えると、感じることができなくなってしまうし、
私たちはきっと、幸せのための行動をしなくなるんじゃないか。
でも幸せになるために生きるとしたら、それと同じくらいの悲しみを背負うことになる。
だから悲しみの裏で幸せを感じることのできる強さが私たちには必要で、
それは私たちは本能を超えて幸せになれる存在だからこそ、
課せられている運命だと思うのです。
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