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【小説】 さよなら、ローファー

靴箱をのぞいたら、奥の暗がりにローファーを見つけた。
思わず手にとって、玄関にそっと並べてみる。

ころんと丸いつま先。
高めに作られたヒール。
そうだ、あのときわたし、かわいい形のローファーを探したんだよね、と思う。

ほんの1ミリでも背が高くなれば、あのひとの視界に入れるかな。
そんなふうに思ったりして。
少しヒールが高いものを選んだ。

今思うと、ばかみたいで笑っちゃうけど。

それでもわたし、お店でこの靴を見つけたとき、すごく嬉しかった。

毎朝、玄関でこの靴がわたしを待っていてくれて。
履くと、ほんの少しだけ、背が高くなって……少しだけ、可愛くなれた気がした。

もしも今日、学校に行くときにあのひとに会えたなら。
ほんのちょっぴりでもいいから、かわいいって思ってもらえるかな……なんて、思って。

どきどきして。

そんな気持ちと一緒に、このローファーで歩いてたんだ。

ふふふ。
なんだか懐かしくて、笑みがこぼれる。

そっと指先で、靴の表面をなぞる。
大切に履いてるつもりだったけど、よく見ると細かなキズがたくさんついていた。
たくさん、キズをつくりながら。
一緒に、歩いていたんだな。

「どう?荷物、まとまりそう?」

リビングから母の声がした。
パタパタとスリッパの音が近づいてくる。

「うん。だいじょぶ」

あらかた、必要なものはもう、荷造りを終えている。

玄関にしゃがみこんでいたわたしの背後に母が立つ気配がした。

「あなた、ヒールの靴ばっかり履いてたから履く靴がないんじゃない?」

心配するような、母の声。

「うん、だから、買ったよ。ぺたんこの靴」

ローファーのとなりに並んだ、買ったばかりの平たい靴にわたしは視線をすべらせる。

飾り気もなくて、シンプルな靴。
だけど、今のわたしには、たぶんこれがちょうどいい。

「なら良かった。お昼にしましょ」

立ち上がるとき気をつけなさいよ、と母が私に声をかけて遠ざかる。

じっと、ローファーをもういちど、わたしはみつめる。

あれから随分時間が経って。
学校を卒業してからはローファーを履くこともなくなった。
でも、かわいい靴を履くと嬉しくなるわたしの気持ちはそのままで、高いヒールの靴、きれいなかたちや色の靴をいろいろと履いてみた。
ヒールがぽきりと折れてしまって、どうしようもなくて、泣きたくなったときもあったっけ。
かたちも色も履き心地もぴったりの靴をみつけて「これがわたしの探してた靴!」って思ったけれど、その可愛くないお値段にびっくりして、売り場でうんと悩んだときもあったな。

だけど。
はじまりは、やっぱり、この靴だったんだ。

「ありがとね」

そっと小さな声でつぶやく。

ローファーを持ち上げて、ビニールの袋へ入れた。わたしのゆびさきからするっと離れたそれは、がさりと音を立てて袋の奥へ落ちていく。

もう、わたしには必要のないものだから。
だから、バイバイしても、大丈夫。

「よいしょっと」

声を出して立ち上がる。

「おかあさーん、お昼ごはんなーに?」

声をかけながら、リビングへ向かう。

リビングの扉をあけたら、母がつくるオムライスの匂いがした。
わたしの好きな、ごはん。
変わってるかもしれないけれど、うちのオムライスにはいつもお味噌汁がついている。
ケチャップの味と、お味噌汁のほっとする味が、実は結構合っていて、わたしは好き。

この組み合わせ、アイツはなんて言うだろう。
そこまで考えて、ふと思った。

ああ、そうだ。
引っ越しが終わったら。
アイツにも、作ってあげよう。

それからいつか、この子にも。

ふふふん♪

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