悟りを開いたはずが、元に戻ってしまった話
「遂に悟りを開いたぞ!」と言いたいところですが、俗にいう一瞥体験でしかなかったという話です。
突然の一瞥体験
その悟り(一瞥体験)は、突然不意にでした。
2年ほど前、近隣の市への一泊旅行の時に立ち寄った、イトーヨーカドーのフードコートで起こりました。
土曜の昼下がりに、少し小腹が空いてマックのソフトクリームを食べようと、席に着いてくつろいでいた時です。
その時ただ、「自分(自我=エゴ)」が無くなっていたのです。
「あれ、何これ?」と、初体験の感覚にとまどいながら、何が起こっているのか観察してみると、
・自分(自我)は無いけど、自分の体と世界はただそのまま存在している。
・目の前の世界も自分の体も、ワンネス(一体)のような感じがする。
・透明な落ち着いた幸福感(やすらぎ)がある。
そういうことに、ただ気付いている状態です。
心地いいので、「このままずーっといれたらいいなぁ」と思っている反面、元に戻る予感はありました。(自分が無いのに、思いはあるのですね)
元に戻ったけど、幸福感の余韻は続く
案の定、5分~10分程すると、自分が戻ってきました。
自分が消えたのは突然でしたが、戻ってくるのは、徐々になんですね。
自我にもグラデーションの強弱がある感じです。
それでも、幸福感の余韻があり、旅行中でこの後はホテルでゆっくりするだけなので、余韻に浸っていられました。
会社のストレスですっかり元通りに
月曜から、ストレス満載の会社がはじまり、どんどん余韻が薄れていきました。
私、会社に根性で適応してますが、会社勤めが苦手なのです。
一週間も経つと、余韻も何も残っておりませんでした。あ~無念。
一瞥体験の収穫は?
それでも、貴重な体験をしたことは確かです。
長年、悟りを探求して数多のマスターの本を読み、頭での理解でしかなかったことが、体験して感覚でわかったのですから。
それでも、自分で再現できるのかと考えると、難しい気がします。
この一瞥体験は、瞑想とか座禅でスッキリとリラックスした状態とも違って、完全に自分(自我)が消え去っている感じなのです。
悟る可能性を高めるには、苦悩や葛藤等のストレスが無く、くつろいだ状態でいることが、必要だと思います。
これから、どうしていこうか?
それで、会社をやめて自由にストレスの無い生活をしようと目論んでいるのですが、これがスゴイ葛藤を生み出しているのです。
「安定収入と所属欲求」、会社が提供してくれるこれらのことが、なかなか捨てられません。だから、会社が苦手でもストレスに耐えるしかない。
我が家は専業主婦なので、自分が収入を得ることがマストです。
「会社を辞めてもなんとかなる」と心の深い部分では感じているのですが、今はまだ、不安だし、もったいないと思ってしまいます。
ブッタのように妻子を捨ててでも、悟りを追求するなんてできませんしね。
悟った人が、「必要なお金は勝手に巡ってくるから大丈夫」と言ってることがありますが、その境地でもありません。
ビジネス(投資)能力と悟り力の二刀流
「会社を辞めてもなんとかなる」
この確信を強くしていくべく、自分のビジネス(投資)能力をコツコツ高めることが今は大事なのでしょう。
それから、私としては、これからの悟りの追求は自力ばかりでは無く、悟った人の力をお借りしてやっていきたいと思っています。
悟った方と一緒に過ごすことで、意識が開ける気がしています。
これから「風の時代」の流れもあって、悟る人が増えていくのだろうと思います。
その一方で、ワーキングプアとか鬱とかで苦しむ人もいて、過渡期は混乱がつきものなのかもしれませんね。
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