見出し画像

60歳の今だからこそできる新しい夫婦のかたち①

夫がアスペルガー症候群(ASD)だと知るまで、
私達の夫婦関係はずっとすれ違いだった。
お互いに向き合って話し合い、一番いい方法を模索するのに
莫大な時間と精神力を費やした。
その結果、そもそも、話し合いをしても意味がない関係だった事に
気づいただけだった。

もう離婚しかないと決断したのが今年の始め。

向き合う事に疲れていた私は、カウンセリングルーム開業に向けて
自分のエネルギーを注いでいた(まあ、仕事に逃避していた訳だ)

今年の初めには
「60歳になったんだから新しい事はさすがにしない」
「貯金が趣味の節約家」
そんな人生まっしぐらだった。
そんなある日、公認心理師の友人に誘われ、
あるコミュニティーに入る事になった。

私はそこで、今まで家族を優先していた事に気づいた
そして、優先順位で自分を一番にしてみた。

やめる覚悟を決める!

そう考えると、したくない事だらけ
「~すべき~」「~しなければならない」のオンパレード!!

考えてみたら夫婦2人生活なんだから、
家事をしなくたって誰も困る人はいないハズ!(いや、1人いたが…)

取りあえず、したい事だけすると決めた。
私は今よりマシな姿になりたいと思い、外見からスタート

1.パーソナルコーチに筋トレと食事療法を受け3か月で10㎏減量
2.アンチエイジング美容、好きなファッションの服を着る

Facebookで発信していくと、そのうちに仲間もできた。
その仲間の相談を受けていると 口コミで集まってきた
夫婦問題を抱えた膨大な数の女性たち。

「なぜ日本の女性はこんなに生きづらいんだろう?」
そんな気持ちが湧いてきて作ったのは

【パートナーシップ相談室】(無料)
パートナーの事で悩んでいる女性たちのFacebookグループ

相談を受けているうちに「妻とか母親とか女とか、そんな事どうでもよく、もっと自分を解放して好きなように自由に生きていい!」そんな思いが強くなってきた。

「私は60歳、こんな私が発信することに意味があるのではないか」
と思い、次にできたのは 

【サロンド・グレイス】(無料)
40代後半からの女性しか入れない限定サロン

主な活動は
・Facebookグループでの私の発信
・週1回zoom交流会
・月1回ゆきねえ講座「親ワーク」「罪悪感ワーク」など
・月1回リアルランチ会「ゆきねえとゆっくり話そう会」
(話したいと言われるとホイホイ行くゆきねえ)
こんな事をしているうちアッという間の半年間

こんな私のストーリー ちょっと長いけどきっと後悔はさせません!

before & After

さかのぼる事、何年???(もう忘れた)
私は22歳で結婚しました。
が、、、

夫は「釣った魚には餌はやらない!」と平気で言ってのけ、
仕事も「俺とお前どっちが稼いでると思う?オレだろ、だからお前が家に入るのが合理的」と言い切られ、私は泣く泣くパートに格下げ状態!

3年後に長男を出産し、世界がドンドン小さくなっていく感じ、わかる??

育児って本当に孤独との戦いで、まだ話せない赤ちゃんと2人きり、

話しかけても「オギャー!!」お腹すいたの??
それともオムツ??
抱っこしてもダメ??
クタクタになり やっと1日が終わろうとしていた頃
深夜に夫は酔っぱらって帰って来る、そんな毎日

話しかけても、疲れているからと言われ
「お前は一日中家にいて家事だけやってればいいんだから、楽でいいよな」ってな感じ。

あまりにも自信満々な夫。

うつ病で私が倒れたのは2人目の出産後、仕事以外は何にもしない夫なので、ワンオペと息子の小学校入学、娘の出産に引越しが重なっていた頃。

毎日孤独な生活が続き相談も出来ず、それでも子ども達には私しかいない。
半年した頃、私は夜中にトイレで倒れ意識不明になり救急車で病院へ運ばれ入院!

その後、精神科へ
先生に「ご主人は奥さんの1番の理解者になってあげてください」と言われたが、私達は全く会話なし

そこで夫が「もう無理です」と私の母に泣きつき、
私達は実家で同居生活をする事に

実家は普通の家とは違い、家族としての機能が成り立っていない家族。
幼少期の私の生き残る道は母の人形として生きることだった

私は、一番帰りたくない母の元(実家)に戻されてしまった。

母は孫にまで「子どもは造り松だから、思った通りに言う事を聞かせればどんな風にでも育つ」と口を出し、父は、私がしつけている横で子どもの味方をする始末で、また引越し!

でもその後すぐ、事件が勃発!!

ある日、通帳を見ると、お金が1円もない!

私は「オレオレ詐欺」かも?と話したら
「俺だよ」と
「え〜‼️」何で❓
と聞くと「俺が稼いだ金を何に使おうが俺の勝手だろう!」と一言

パチンコで貯金を使い果たし、借金までしていた夫。

私は気づいたら家を飛び出していた、でも実家へは帰れない…。
雨の中、トボトボ歩いていたら、
兄ちゃんが走って追いかけて来て、
「おかん、帰って来てヨ」と、ひとこと。

その言葉を聞き 夫はともかく
「私は、この子ども達のそばにいたい!」
と強く感じ、家に戻ることに。

その時、
兄ちゃん中学3年生
妹は小学3年生

この事件のおかげで子供達への愛の再確認をし、
私は泣きながら 2人に「ゴメン😞」といい

旦那との長~い話し合いの末
「父と母の役割はしよう、そして2人が自立したら離婚しよう」 
そう約束し 離婚届を書いてもらい、私が預かる事に。

子ども達と一緒に過ごそうと決め
今しかできない尊い事だと気づいた私は 
とにかく楽しく15年間を過ごし

子ども達は やりたい仕事を見つけ自立
大好きな人と結婚し しあわせに💓
あまりにもあっけないけれど
「母の最後の仕事は捨てられる事」

師匠との出会い

私は精神科に通っていた頃「偉大なる師匠」と運命的に出会っていた。

その師匠は「アダルトチルドレンと言う言葉を作った人」

なぜ私がアダルトチルドレンで、
なぜ夫がアスペルガーで
なぜ私がその人に惹かれ結婚し、
カサンドラになり、うつ病になったのかを、
いとも簡単に紐解かれたショックから 
私は心理学にのめり込み 
気づいたら、

リカバリングカウンセラー(回復者のカウンセラー)
公認心理師と言う心理学では初の国家資格を取得
その後、カウンセリングルームを開業

夫は 
「感情面の話をしても理解できない」これは人間の
コミュニケーションにとって致命傷的な事なのに
40年間サラリーマン頑張った!

アスペルガー&カサンドラの夫婦
ほとんどの結末は離婚、それが正解!
遺伝性なので治る事はないし
お互いがどこまで妥協し、
諦める事ができるかにかかっていて
私たちのような例はめったにない

だからこそ、こんな変な夫婦の形も
これから発信していこうと思っています

最後まで読んで頂きありがとうございました!!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?