見出し画像

Happy Father's Day!

New York は今、土曜日の夕方。日本は、日が明けて日曜日の朝。「父の日」ですね。

きっと、note には、「父の日」や「お父さん」に関する記事が、多く投稿されている事でしょう。

もちろん、それだけではなく、ある人にとって、「父」の様な存在のひとについてだったり、人間だけでなく、犬やネコ、動物達にとって大切な人達の事も、書かれているかもしれないですね。

私も、今日は例外なく、亡くなった父の事デス・・・。

でも、書き始めれば、情けなくも又、涙目になるに決まっているので、あまり感情的にならず、淡々と書き残します。

2013年1月23日、93歳でした。年齢的にも、人工透析を受けながらにしては、大往生だったと思います。

画像1

これは、父が New York に居る、私宛の郵便に同封した、走り書きのメモです。内容を読んでみると、どうやら私は、またレイオフになり、職探しの真最中に、一時帰国した様です。

これだけではなく、父はたくさんの手紙を書いて、送ってくれていました。でも、いちいち読み返していると、いつもの如く涙があふれ、鼻が詰まり、悲惨になるので、この短いメモ書きだけを、自分のいつも手の届くところに置いています。

度重なる試練に、ペシャンコになりそうになると、これを見ては、自分に対して、『喝』を入れるつもりが、結局、うるうるなり、鼻をすすりあげる始末です。

父は、私にとって、応援団長の様な存在でした。望まない離婚をして、自立する為に留学したいと、言った時も、真剣に話を聞いてくれました。

画像2

私が10代の終わり頃に、父が台湾の台北市に転勤になり、私は両親について台湾で暮らしていました。

台湾に移っても、とても忙しくしていましたが、この写真は、たまに休日に家にいた時に、自宅のプールで一緒に泳いだのでしょう。

自分が今、この時の父よりも、幾つか多く歳を重ねているとは、信じられない事です。時間の流れとは、本当に摩訶不思議です。

父は、その年代の日本人の男性としては、少し変わっていると言ってもおかしくない、不思議なところがありました。それは、「優しさ」です。

本当に優しい人でした。人の嫌がることを口にしない。喜ばせようとして、何かをするわけでもない些細な行為が、とても純粋で、それを決して恩着せがましく言うような事は、絶対にしない人でした。

いつも忙しく、休日も滅多に家にいない事が多かったですが、家にいると、自分の革靴を磨くのと同時に、家族全員の靴も磨くような人でした。

母が、旅行で留守にした時には、父が私と姉のお弁当を作ってくれました。

あれは、私が高校生の時だったと思います。父が、私の誕生日に、アップルパイを焼いてくれました。私は当時、精神的に辛い時を過ごしていました。何が直接の原因だったのか・・・、多分色々と重なり合ったストレスからだったと思うのですが、学校に行けない状態が続いていました。

そんな私を、少しでも励まそうと、父らしい、暖かな思いやりでした。

画像3

姉が嫁ぎ、父にとって二人の孫が生まれて、本当によく可愛がっていました。特に初孫になる男の子には、いろいろな所に連れて行ってあげていました。

姉一家が遊びに来ると、父がこの小銭入れを持って、孫たちを連れてよく近所のコンビニへ、アイスクリームを買いに行っていました。

父が使っていた、お札入れは、今、私のパートナーが、とても使いやすいと言って、愛用しています。

本当に、楽しくて、良い思い出をたくさん残してくれました。

そりゃあ、もう一度会いたいです。色々な話をしたいです。触れてもみたいし、声も聞きたい。たまに、夢の中に父が出てきた時は、本当に安らかで、幸せな気持ちになれます。

自分の親が、なくなる頃までには、自分は、もっと、もっと、成熟していて、何もかも、全てを平気で受け入れることができるような人間 =「大人」、になっていると信じていました。

どうやら、そうなるにはもう少し時間がかかりそうです。情けないことですが、自分らしいとも思ったりするわけです。

一晩明けて、父の日になり、父の遺影に今年は何と話しかけるのだろう・・・。そんな事、ふと、思ったりしています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?