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あの夏のアツく切ない恋の記憶

ときめきが足りない。触れ合いが足りない。感じることが足りてない。そんなあなたに五感を揺さぶる恋の記憶を呼び覚ます、ときめきエモ度高めな恋愛ベストシネマをご紹介! 眠れない、アツい夏の夜のお供にぜひ。

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ときめく夏よ、蘇れ


“あの夏の数かぎりなきそしてまたたつた一つの表情をせよ”

早世した歌人・小野茂樹がそう歌ったように、夏の恋は記憶に鮮やか。

浴衣で出掛けた花火の夜。裸足ではしゃぐ海辺の散歩。夕暮れに染まるバーテラス。

幾つになっても“数かぎりない”シーンがあって、それでいて、どの夏も“たつた一度”しか味わえない。

そんな貴重な夏が今年もやってくるわけですが、あいにくのコロナ禍で、なんだかテンションが上がらない。

外に出ればマスク姿の殿方ばかりで、目が合うことも少ないし、デートをしても、ついつい飛沫が気になっちゃう。
手を触れるにも消毒前提、抱きしめることにすらためらいが生まれて。
鼻も口も塞がれて、恋の匂いを感じることさえできない。

人と人との触れ合いに、こんなに距離ができたことなんて
人類史上あったのでしょうか…?


だから今、あの夏の恋が無性に恋しい。

汗ばむ肌も、火照ったカラダも、夜に吹く生ぬるい風も。
頭で思い出すよりも、皮膚感覚で覚えてる。

全身で感じた、あの人の存在。
魂が震えた、あのときめき。
切なさも、昂りも、あの感覚を思い出したい。

…というわけで、
リモートになんてなりえない、
五感に刻まれた恋の記憶を呼び覚ます恋愛ベストシネマ3つを、「NEW LIFE」の偏愛ヘンタイ番長ことわたくしvenus maiが、趣味全開でご紹介いたします。(少々ネタバレ含みます)


ときめきを掻き立てるセレクトポイントは3つ。

①大人の恋じゃない
初恋、とまではいかないけれど、若者の「青い春」的な恋をセレクト。思い出す恋って結局そんな時代のことだったりしませんか? 分別が先立つ大人より、ときめきに忠実に動く若者のパッションに学びたい。

②夏のエモさが濃厚なこと
五感に刻まれた記憶…となれば、映画の中からも香りや温度が立ちのぼっていてほしい。ムンとする湿度や照りつける太陽、避暑地の風に熱い砂ぼこりまで感じさせる、美しい映像はマスト。体に響く音楽が素晴らしいことも欠かせません。

③どこかに秘密がある
これこそ超個人的なときめきポイント。ストレートなだけじゃグッとこない。秘密とか背徳とか、ちょっと訳ありな恋の話が、想像と妄想を掻き立てます。

そして実はもう一つ基準がありますが、それはラストに…。
まずは作品をご覧ください。


すれ違う、未熟な恋が切なすぎるー『欲望の翼』1990年

蒸し暑い香港のスタジアムの片隅で、男と女は出会う。

―友達になろう。
―お断りよ。
―時計を見ろ。
―どうして?
―1分でいい。
―1分経ったわ。
―何日だ。
―16日。
―1960年4月16日、3時1分前、君は俺といた。この1分を忘れない。君とは1分の友達だ。

そこで彼女が恋に落ちたように、この映画に恋に落ちてしまう。そんな秀逸なオープニングで始まる『欲望の翼』香港映画の巨匠ウォン・カーワイの出世作であり、今から30年前にも関わらず、いつ見ても古びない切なくミステリアスな作品。

1分から2分へ、2分から1時間へ、そして忘れられない男になる…。こんなシチュエーションは実際にはないんだけれど、でも「そうだ、恋ってこんな風に突然始まるんだった」と目が覚めるような思いがします。


恋は、どうやって始まった?

冒頭の2人を含め、登場する5人の男女は互いに恋に落ち、恋に敗れ、すれ違う。それぞれのときめきとそれぞれの別れが、交差しながら物語を織りなします。

強引に近づいてきたのに、突然突き放す男。
優しくて、踏み込めない男。
さよならになすすべなく、立ち尽くす女。
たとえ拒絶されても、みずから乗り込んでいく女。

みんながちょっと切なくて、不器用で、愛する人との距離をうまく扱えなくて。自分もきっとこの中の誰かだったことがある…と、青臭い恋を思い出して、胸が締め付けられるような思いに駆られます。

でも、恋に器用な人などいるのでしょうか?

突然知らない人と恋に落ちるより、安全安心堅実な恋を目指す。そんな選択をしていたら経験しないようなときめきが、この映画には溢れてる。

特筆すべきは、絶対振り回されるとわかっていながら魅力にあらがえない、主演のレスリー・チャンの退廃的な美しさ。気怠く微笑む彼の瞳に、終始心をつかまれっぱなしの100分。

蒸した夜、やまない雨、光るアスファルト…。濡れた映像美と陽気なラテン音楽が妙に物哀しく。記憶を揺さぶり続ける映画。


性別もルールも飛び越える普遍の恋ー『君の名前で僕を呼んで』2017年


アジアのうだるような夏とはまた違う、イタリアの短い夏を舞台に、キラキラしてみずみずしくて切なくて…奇跡のような恋の一部始終をおさめたのが『君の名前で僕を呼んで』

2018年に日本でも大ヒットしたので、ご覧になった方も多いのではないでしょうか。わたくしも、あまりに感動して二週連続で映画館に通ってしまったほど。

大学教授の息子である早熟な17歳と、インターンとしてやってきた院生の24歳の青年。ひと夏の、でも忘れられない恋。そう、いわゆるBL映画なのですが、ジェンダーの枠を軽く飛び越えた、普遍的な愛の姿がここにはある。

嫌われたかな?と悩んだり、
ちょっとした触れ合いにときめくのに
二人きりになると妙に意識したり。

舞い上がった後の自己嫌悪とか、
初めて夜を一緒に過ごした後の
なんともいえない気恥ずかしさとか、
「あーーー、もうこれ、ぜんぶ知ってる…!」と叫びたくなるほど共感の嵐で、号泣。

だから、男性同士の恋だけど、見ているすべての人にとっての恋なのです。


気持ちに嘘をつけない

戸惑いも、高揚も、
逃げ出したくなるような恥ずかしさも、
どうしようもない苦しさも、
泣き出したいぐらい幸せな気持ちも、
恋をしたときの心の揺れが、すべて詰まっている。

そして、体裁なんてかなぐり捨てて、あんなに恋に全力だったことを、懐かしく思う。

今、思い出して泣きながら書いていますが、ピュアなときめきと誠実さに満ちた語り継がれるべき傑作です。

北イタリアの楽園のような風景に、クリスタルのようなピアノの音。水しぶきを浴びる半裸の青年。掌からこぼれ落ちる果実の汁。
すべてが眩しすぎて、過呼吸になるかと思うぐらい!



欲望が加速する少女のエロスー『愛人 L‘amant』1992年

早熟な恋といえば、思い出されるのがもうひとつ。フランスの文豪マルグリット・デュラスが、彼女自身の体験をもとに書いた小説を映画化した『愛人ーL‘amant』

これも30年近く前の作品ですが、今見てもセンセーショナルなラブシーンが当時大きな話題に。中学生だったわたくしは、いったいどんな内容なのかとドキドキしながらも、観ることが叶わなかったのを思い出します。年齢とか差別問題とか、性描写とか、今だとあらゆる意味で撮れないかも…。

舞台は当時、フランス領のインドシナと呼ばれていたベトナム。貧困家庭のフランス人の15歳の少女と富裕な華僑の32歳の青年が、水上バスで出会う。肉厚な唇、気位の高そうな態度…彼女にひと目で惹かれた彼は、寮まで車で送ると持ちかけ、そこから二人の欲望の物語が。

男物の帽子を被り、早足で歩き、プライド高く敢然と誘いかける彼女。いつも仕立てのいい服をきて、ゆったりとした仕草、それでいてどこか自信がなさそうな彼。

不思議と年齢差や貧富の差が逆転したかのような二人。雄大なメコン川と激しいスコールが濁流のように押し寄せるベトナムで、やがて衝動のままにお互いを求め合うようになります。

ときめきか、欲望か

好きとか愛してるとか一切なく、秘密の隠れ家で、二人だけで過ごす愛欲の午後。名前も聞かず、ただただカラダを重ね、汗を交える。二人の肌と汗の滴がクローズアップされる大胆なラブシーンは、夏の恋を思い出す引き金にも。

やがて歳をとって、彼女は回想する。あれは、恋だったのか?

ふしだらだと批判されることも多かったというこの映画ですが、それは見た人が、自分の中の欲望をあらわにされてしまうと思ったからかもしれません。ときめくその瞬間には、単なる「好き」だけじゃなくて「欲望」だって潜んでいて。欲望を自覚しないで、恋を進めることなんてできないはず。淫らだなんていうよりも、激しい情動に身を任せるふたりを、羨ましくも思うのです。

愛か、欲望か。これを見て、あなたはどんな結論を出すでしょう。
その二つを、私たちはどれほど分けられるのでしょうか。

ある意味ベッドシーンより強烈な、最初の出会いの車のシーンがこちら。欲情を隠せない、エロティックな名場面。猥雑な街の中で、なぜか2人は、いつも白い服を着ているのが印象的。『ベティ・ブルー』の音楽も手掛けた作曲家ガブリエル・ヤールによる、コロニアルな音楽も耳に残ります。


傷つくことさえ、愛おしい

さて、ここに挙げた3つの作品は、どれもいわゆるハッピーエンドかと言われると違います。じゃあ悲恋だったかというと、それも違う。そう、これがもう一つのセレクトポイント。

痛みも含めて、「忘れられない恋をした」ということが鮮やかに記されている3つなのです。

ときめく恋には「いいことだけ」なんていうのは存在しません。ときめきは、安定や安心とは真逆にあるもの。胸が高鳴ったり、ドキドキするのと同じぐらい、苦しくて切ない思いにも駆られます。

もし、面倒なことを避けたい、いいことばかりが起きてほしいと思っているのだとしたら、それは同じ枠の中で何もなくただただ生きていくということ。失敗しないけれど、奇跡のような恋にも出会わない。ときめきももちろんないでしょう。「いつまでも幸せに暮らしましたとさ」は、本当のハッピーエンドではないのです。

奇しくも『君の名前で僕を呼んで』のなかで、少年に父親が言います。

痛みを葬るな。感じた喜びで満たせ。

ベタつく汗も、重ねたカラダの重みも、言葉を尽くさないと分かり合えないやりとりも、
もしかしたら今の世の中では、煩わしいことかもしれない。それでも、煩わしさや痛みを恐れていたら、震えるようなときめきには出会えない。感じることを疎かにしていたら、喜びも味わえない。

3つの映画を観て思うのは、ただひたすらに、傷つくことすら、愛おしい。ということ。

痛みを恐れて一歩も踏み出せずにいるよりも、感じた喜びで満たしたい。このコロナ禍だからこそ、それを切に願うのです。

喜びを諦めないために、痛みを怖がらない。

ときめくためには何よりも、強さが必要なのかもしれません。




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venus mai

「NEW LIFE」エディトリアルプロデューサー。東京大学文学部美学芸術学科を卒業後、小学館にてファッション誌編集者として12年勤務。スピリチュアルのスの字も興味がなかったのに、ひょんなことから形而上学とミステリースクールに出会い、エリート人生をポイ捨て。相棒neffy maiとともに会社を辞めて、ヒーラー&魔女ユニット“mailove”として独立する。独特の感性で美を追求するロマンティストな側面と、蛇のようにしつこく頑固な根性を持つこだわり派。恋も仕事も猪突猛進。座右の銘は「never ever give up」。愛と美と官能で溢れる世界を創りたい。雑学王のいて座。



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